エレナ編 第三十六章 荒れ果てるエレナ② 止まらない攻撃
一歩、また一歩。
俺はエレナとの距離を詰めながら、声を張り上げた。
「エレナ!! 何をしている!!」
自分の声が、校舎の壁に反響するのが分かった。
それでも、止まらなかった。
「見ろ!! そこに倒れているのは同級生だ!! 訓練でも模擬戦でもない、完全な実戦だぞ!!」
エレナは、こちらを一瞥しただけだった。
その視線には、戸惑いも、後悔もなかった。
あるのは、苛立ちだ。
「……うるさいわね」
エレナが、吐き捨てるように言った。
「邪魔しないで。今、話しかけないでくれる?」
その言葉に、頭の奥で何かが切れた。
「邪魔だと……?」
拳が、震えた。怒りで、ではない。恐怖で、だ。
「お前がやっているのは“注意”でも“しつけ”でもない!! ただの暴力だ!!」
俺は、倒れている男の子たちを指さす。
「見ろ!! 泣いてる!! 震えてる!! 声も出せないんだ!!」
怪我人の一人が、かすれた声で言った。
「……も、もうやめて……」
「お願いだ……」
その声を背に受けながら、俺はエレナを見据えた。
「聞こえないのか、エレナ!!」
しかし、エレナの目は、どこか遠くを見ていた。
俺を見ているようで、見ていない。
「……だから何?」
淡々とした声だった。
「向こうから絡んできたのよ。気に入らないって、言いがかりつけてきて」
エレナの足元で、魔力が渦を巻く。
大地が、低く唸る。
「少し“分からせてあげただけ”。それだけよ」
「少し……だと?」
俺は、歯を食いしばった。
「全身怪我だらけで倒れてるのが“少し”か!!」
返事はなかった。
代わりに、エレナの指先が、地面へと向けられる。
嫌な感覚が、背筋を走った。
「エレナ、やめろ!!」
俺は叫んだ。
「話をしよう!! 今すぐだ!!」
だが、その声は届かなかった。
エレナの足元から、魔力が一気に噴き上がる。
土が震え、地面が割れ……
「……もういいって言ったでしょ」
次の瞬間、ストーンランチャーが、形成され始めた。
俺の視界に、複数の岩塊が浮かび上がる。
来る。
そう確信した瞬間、俺は歯を食いしばり、魔力を引き上げた。
その瞬間だった。
俺がエレナに向かって一歩、距離を詰めた、その刹那。
背筋を撫でるような、ぞわりとした感覚が走った。
言葉では説明できない。
けれど、確かに「嫌なもの」がそこにあった。
「エレナ……」
名を呼ぼうとした、その時。
エレナの足元の地面が、わずかに盛り上がった。
次の瞬間、石塊が弾丸のように射出される。
ストーンランチャー。
しかも、狙いは俺ではなかった。
すでに地面に倒れ、呻き声を上げている男の子たちの方角だ。
「やめろっ!!」
喉が裂けるほどの声で叫んだ。
「何をしている!!もう終わりだ! 聞こえないのか!!」
だが、エレナは視線も合わせない。
その表情は、怒りでも、悲しみでもなかった。
ただ、空っぽだった。
感情が抜け落ちたような、焦点の合わない目。
誰かを見ているようで、誰も見ていない視線。
石が、再び地面から撃ち出される。
「助けて……っ」
「や、やめてくれ……!」
怪我人の一人が、這うように後ずさりながら叫ぶ。
別の子は、腕で頭を庇い、必死に身を縮めていた。
「エレナ!!聞け!! それ以上やったら……」
言葉は、途中で意味を失った。
エレナは、何も言わず、何も考えず、ただ魔術を“撃っている”。
そこに意思は感じられない。
あるのは、止まらない衝動だけだ。
「……くそっ」
歯を食いしばる。これは説得じゃない。叱責でも、会話でもない。
今この瞬間、止めなければまた怪我人が出る。
それだけが、はっきりしていた。
俺は、エレナから目を離さないまま、前に出る。
体が勝手に動いていた。
理屈よりも先に、兄としての本能が前に出る。
「……やめさせる」
誰に言ったのかも分からない独り言を、吐き捨てる。
一撃が放たれる前に、俺は、迎え撃つしかなかった。
地面が、波打った。
次の瞬間、土の塊が一斉に引き剥がされる。
ストーンランチャー
地面のあちこちから同時に引き抜かれた石塊が、十、二十とまとめて宙へ浮かび、一直線にこちらへ殺到する。
その進路の先には、すでに治癒を終えた男の子たちがいた。
彼らは倒れていない。だが、身を低くして固まり、反射的に腕で頭を庇っている。
恐怖で、足が動かない。
逃げる余裕など、ない。
「やめろ、エレナ!!」
声を張り上げながら、俺は迷いなく前に出た。
男の子たちと、エレナの間。完全に、射線を塞ぐ位置。
風が集束し、目の前に、一枚の透明な刃の壁が展開される。
ウインドカッター
本来は切断のための上位風魔術。だが今は、迎撃と防護に徹する。
次の瞬間、激突音。
石塊が、風の刃に叩きつけられ、砕け、割れ、空中で細かく弾け飛ぶ。
それでも、終わらない。
第二波。間を置かず、さらに石塊が放たれる。
「……っ」
俺は一歩も引かず、同じ位置に、二枚目の刃を重ねた。
風の密度が跳ね上がる。衝撃は分散され、石は完全に勢いを失って崩れ落ちる。
だが、まだ来る。地面が、再び盛り上がるのを視認した瞬間、判断は即座だった。
三重。三枚目のウインドカッターが重なり、風の壁は、もはや揺るがない。
石塊は届かない。すべて、俺の前で砕け散る。
背後で、誰かが息を呑む音がした。
「……っ、やば……」
「……死ぬかと思った……」
声は小さい。震えている。
それでいい。恐怖を感じているうちは、理性はまだ保たれている。
俺は前を向いたまま、叫ぶ。
「エレナ!!もう終わってる!!」
怒りを、隠さない。
「治療は終わってる!全員治癒し終わっている!!それでも撃つ理由が、どこにある!!」
返ってくるのは、沈黙。
いや――沈黙ではない。
エレナの周囲に、荒れた魔力の気配が渦を巻いている。
理性が、そこにない。
「……くそ」
歯を食いしばる。防げる。攻撃自体は、完全に防げている。
だが、このままでは、終わらない。
妹は、俺の防護の向こう側で、治癒された人間も、恐怖に固まる人間も、
ただ「邪魔なもの」としてしか見ていない。
「エレナ……!」
声が、怒りと恐怖を帯びる。
「兄ちゃんはな……お前を守るために、ここに立ってるんだ!!」
その瞬間、エレナの視線が、こちらを向いた。
焦点の合わない目。感情だけが先行し、理性が抜け落ちた瞳。
俺は、理解した。防ぐだけでは足りない。
ここで止めなければ、次は取り返しがつかなくなる。
ウインドカッターを維持したまま、俺は、次の選択に意識を切り替えた。
防げている。それでも止まらない。その事実が、胸の奥を締めつける。
エレナは、こちらを見ている。だが、その視線は「兄」を見ていない。
魔術を放つ理由を、疑うという発想そのものが、抜け落ちている。
「……エレナ」
名前を呼ぶ声が、わずかに震えた。
怒りではない。恐怖でもない。
迷いだ。
妹に向けて、魔術を使わなければならないという現実。それを選ばなければ、止められないという判断。
何度も頭の中で否定する。
違う。使いたくない。だが、今は。
拳を握る。
ここで躊躇すれば、次に起きるのは、もっと取り返しのつかない何かだ。
「……ごめん」
小さく、誰にも届かない声で呟く。
光を呼ぶ。
サンダーボルト。
だが、それは“攻撃”の形を取らない。
威力は、限界まで削る。深部には届かせない。神経を焼かない。筋肉を傷めない。
意識だけを、ほんの一瞬、切り取る。
魔力の流れを極限まで絞り込み、触れた瞬間にほどけるよう、「残らない」ことを最優先に設計する。
これ以上は、妹を傷つける。これ以下では、止まらない。
その紙一重に、すべてを合わせる。
光が走った。
強くはない。眩しくもない。だが、確かに届く。
エレナの身体が、ほんの一瞬、硬直する。声は出ない。叫びもない。
力が抜け、そのまま、前に崩れ落ちそうになる。
俺は、すでに動いていた。
抱き留める。乱暴にならないよう、だが確実に、落とさないように。
「……エレナ」
腕の中の体温は、いつもと同じだ。呼吸も、脈も、乱れていない。
狙い通り。それが分かっても、胸の奥に残る重さは消えなかった。
妹に、魔術を向けた。止めるためとはいえ、向けてしまった。
背後で、張りつめていた気配が、ようやく緩む。
だが、俺の中では終わっていない。
行為は止めた。だが、原因は、まだ腕の中にある。
エレナを抱え直し、静かに歩き出す。
ここから先は、兄として、逃げられない。




