表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

159/183

エレナ編 第三十五章 エレナの転機② 崩れた友情

セリナは、しばらく何も言わなかった。怒鳴ることも、すぐに叱ることもない。ただ、エレナをまっすぐに見つめていた。


その沈黙が、かえって場の空気を張り詰めさせる。


「……エレナ」

低く、抑えた声だった。

「あなたは、剣を何だと思っているの」


エレナは即座に答える。

「強くなるためのものよ。勝つためのもの」


その言葉を聞いた瞬間、セリナの表情が変わった。

怒りというより、失望に近い。


「違うわ」

はっきりと、否定する。

「剣は、誰かを踏みつけるためのものじゃない。まして、友達を切り捨てるためのものでもない」

セリナは一歩前に出る。

その動きに、エレナの肩がわずかに強張った。


「あなた、今、自分が何を言ったかわかってる?」

問い詰める声ではない。

だが、逃げ場のない問いだった。


「サージュちゃんは、あなたの敵じゃない。一緒に汗を流して、悩んで、頑張ってきた“仲間”よ」


エレナは視線を逸らす。

「……でも、弱いなら……」


「それ以上、言わないで」

鋭く遮る。


セリナの声には、はっきりとした怒りが乗っていた。

「弱いから切り捨てる?勝てないから価値がない?そんな考え方で剣を振るなら、私は、あなたに剣を教え続けることはできない」

その宣告は、重かった。


エレナの目が大きく見開かれる。

「……え?」


「剣は、力を誇るための道具じゃない。人を敬えない者が振るう資格はないの」

セリナの声は、震えていた。怒りだけではない。妹への期待が、裏切られた痛みが混じっている。

「今のあなたに剣を教えたら、それは“強さ”じゃなくて“歪み”を育てることになる」


エレナは、反論しようと口を開きかけた。だが、言葉が出てこない。


「だから……」

セリナは、きっぱりと言い切る。

「今日から、あなたには剣術は教えない」


その瞬間、エレナの中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。



張り詰めた空気の中で、ルーメンは一歩前に出た。

セリナの激昂が収まらないことも、エレナの動揺が深いことも、すぐに分かった。

だからこそ、声を荒げることはしなかった。


「エレナ」

静かな呼びかけだった。


エレナはゆっくりと顔を上げる。その目には、まだ反発の色が残っている。


「僕からも、話していいかな」

問いかけるようでいて、実質的には通告だった。


「……なに」

ぶっきらぼうな返事。


ルーメンは一度だけ息を整え、言葉を選ぶ。

「さっきの言葉、サージュちゃんに向けた言い方は、明らかに間違ってる」


エレナの眉がひそめられる。

「私は事実を言っただけよ」


「違う」

即座に否定する。


「事実かどうかじゃない。

“どう言ったか”と“誰に向けたか”の問題だ」

ルーメンは、エレナを責める目では見ていなかった。

だが、甘やかす目でもない。

「君は、剣も魔術も強くなった。それは事実だし、努力も知ってる。でもね、エレナ。力がある人間ほど、言葉と態度に責任が生まれる」

エレナは唇を噛みしめた。


「もし、あの言葉を聞いたのがサージュちゃんじゃなくて、もっと心の弱い子だったらどうなってたと思う?」

答えを待たず、ルーメンは続ける。

「僕は、魔術を“誰かを支配するための力”としては教えていない。それは剣と同じだ」


視線が、エレナにしっかりと向けられる。

「だから、このままの考え方でいるなら、僕も魔術は教えられない」


エレナの目が揺れた。

「……兄ちゃんまで?」


「そうだよ」

きっぱりと、しかし静かに言う。


「セリナ姉は剣の話をしている。僕は魔術の話をしている」

「でも、理由は同じだ」


ルーメンは一歩近づき、目線を合わせる。

「力は、誰かを見下すために使うものじゃない。友達を切り捨てるために使うものでもない。それが分からないうちは、教える側として、ここで線を引くしかない」


エレナは何も言えなかった。

胸の奥で、怒りと悔しさと、理解できない何かが絡み合っている。


「これは罰じゃない」

最後に、ルーメンはそう付け加えた。


「君が、どう力と向き合うかを考えるための“止め”だよ」

その言葉は、エレナにとって、剣を取り上げられるよりも重かった。



張りつめていた空気が、ふっと緩んだのは、エレナとルーメンのやり取りが終わった直後だった。

その瞬間、耐えていたものが一気に崩れ落ちたかのように、サージュの肩が小さく震え始めた。

最初は、声を出さないように必死で堪えていた。唇を噛み、俯き、拳を握りしめて。


「……うっ……うっ」

けれど、喉の奥から漏れた、抑えきれない音とともに、大粒の涙がぽろぽろと地面に落ちた。


セリナはすぐに異変に気づき、歩み寄る。

「サージュちゃん……」

膝を折り、視線の高さを合わせると、

サージュは何も言えず、ただ首を横に振った。


「……だいじょう、ぶ……」

言葉にならなかった。

声は震え、呼吸が乱れる。


セリナは迷わず、その小さな肩に手を置いた。

「無理しなくていいわ。今は、泣いていいの」


その一言が引き金になった。

「……わ、たし……」

サージュは声を上げて泣き出した。

「ずっと……いっしょに……がんばって……エレナちゃんと……」


嗚咽に言葉が途切れる。

「おなじくらいに……なりたくて……おいていかれたく、なくて……」


それは、怒りでも恨みでもなかった。

ただ、純粋な「一緒にいたかった」という願いだった。


セリナは、サージュをそっと抱き寄せる。

「あなたは、何も悪くない」


ゆっくり、はっきりと。

「ここまで一緒に練習してきたこと、

誰よりも私は見てたわ」


サージュはセリナの服を掴みながら、必死に首を振る。

「でも……わたし……つよく、なれなくて……」


「違うわ」

今度は、はっきりと否定した。

「あなたは弱くない。努力してきたし、逃げてもいない。ただ、成長の仕方が違っただけ」


その言葉に、サージュは一瞬だけ顔を上げた。

セリナは優しく微笑む。

「比べられると、苦しいわよね。でも、比べる必要なんて、本当はなかったのよ」


少し離れた場所で、ルーメンもサージュの様子を見ていた。

胸の奥が、重く沈む。


(エレナだけじゃない。傷ついたのは、サージュちゃんもだ)


ルーメンは静かに近づき、声をかけた。

「サージュちゃん」


サージュは涙を拭いながら、恐る恐る顔を向ける。

「今日は……もう無理に練習しなくていい」


「君がここまで頑張ってきたことは、僕もちゃんと知ってる」

それは慰めではなく、事実だった。


サージュは小さく、何度も頷いた。

「……ごめんなさい……わたし、泣いちゃって……」


「謝らなくていい」

ルーメンは首を横に振る。

「泣くのは、ちゃんと向き合ってきた証拠だよ」


その言葉に、サージュは再び涙をこぼしながらも、ほんの少しだけ、表情を緩めた。

だが、その背中には、もう以前のような無邪気さは残っていなかった。

友情に入った、はじめての深い亀裂。その痛みは、静かに、確実に残っていた。



しばらくの沈黙のあと、エレナは一歩、前に出た。

足取りは迷いなく、背筋も伸びている。

その姿だけを見れば、いつもの強いエレナだった。


「……サージュ」

名前を呼ばれ、サージュはびくりと肩を震わせる。

セリナの腕の中から、恐る恐る視線を向けた。


エレナは深く息を吸い、そして、頭を下げた。

「さっきは、言いすぎたわ。あなたを傷つけるつもりはなかった。その……ごめんなさい」


それは、確かに「謝罪」だった。

言葉としては、間違っていない。

けれど。


その声には、迷いも、揺らぎも、戸惑いもなかった。

自分が間違ったと“理解した”というより、謝るべきだと判断した、そんな響きだった。


サージュは、すぐに返事をしなかった。

俯いたまま、両手をぎゅっと握りしめ、何かを探すように、床を見つめている。

「……」

沈黙が続く。


セリナは口を挟まなかった。

ルーメンも、あえて視線を逸らしていた。


やがて、サージュが小さく口を開いた。

「……うん……わかったわ……ごめん、なさいって……言ってくれて……ありがとう」

それ以上の言葉は、続かなかった。


エレナは顔を上げ、サージュを見た。

その表情に、怒りはない。悲しみも、拒絶も、ない。

ただ、距離があった。


昨日まで、並んで剣を振っていた相手を見る目ではない。

何かを共有していた相手を見る目でもない。


エレナは一瞬だけ、その違和感を感じ取ったようだったが、

すぐにそれを振り払うように、口を結ぶ。

「……じゃあ、今日はここまでにしましょう」

淡々とした声だった。


「練習も……続けられそうにないし」

その言葉に、サージュの指先が微かに震えた。


「……うん」

それ以上、何も言えなかった。


セリナが場を締めるように言う。

「今日は、解散にしましょう」

誰も異を唱えなかった。


帰り支度をする間、エレナとサージュが言葉を交わすことはなかった。

視線が合うことも、なかった。

ただ、同じ空間にいるだけで、

かつての距離が、はっきりと「過去」になったことが分かる。


ルーメンは、その様子を見ながら思った。

(謝った。でも、元には戻らない)


それは、誰かが悪いからではない。

一度生まれてしまった溝は、

言葉ひとつで埋まるものではなかった。


その日を境に、二人の間には、静かな冷却が始まった。

表面上は、何も変わっていないように見えて。

けれど確実に、何かが終わっていた。



剣を教えない。魔術も教えない。

その言葉が告げられてから、エレナは一晩、何も言わなかった。


翌朝。まだ誰も起きていない時間、エレナは一人で身支度を整え、居間に向かった。

そこには、すでにセリナとルーメンがいた。


「……姉ちゃん。兄ちゃん」

呼びかける声は小さかったが、逃げはなかった。


二人が振り向く。

エレナは、その場で深く頭を下げた。


「昨日のこと、ごめんなさい。サージュに言ったことも、姉ちゃんに言い返したことも、全部、悪かったと思ってる」

言葉は整っていた。言い訳はなかった。


「私、強くなったって思って……それで、周りが見えなくなってた」

セリナは、すぐには何も言わなかった。

ルーメンも、黙って様子を見ている。


「剣術も、魔術も……続けたい。教えてほしい」

エレナは顔を上げた。視線は真っ直ぐだった。


しばらくの沈黙のあと、セリナが口を開く。

「……謝れるなら、それはいいことよ」

厳しい声だが、拒絶ではなかった。

「でもね、エレナ。謝ったからすぐ元通り、って話じゃないわ」


エレナは黙って頷く。


「剣を振る資格は、強さだけじゃない。人を見下す心を持ったままじゃ、私は教えられない」

その言葉を、エレナは受け止めた。

「だから、続けるかどうかは、これからの態度を見て決める」


ルーメンも続ける。

「魔術も同じだ。力は便利だからこそ、扱う人の姿勢が問われる」


エレナはもう一度、深く頭を下げた。

「……わかりました」


その声に、迷いはなかった。

それから、練習は再開された。

ただし、以前と同じではない。


次の日も、その次の日も。

いつもの時間になっても、サージュは姿を見せなかった。


最初のうちは、誰も深く考えなかった。

「今日は用事があるのかしら」

「体調でも崩したのかな」

そんな言葉が、何気なく交わされるだけだった。


エレナも、特に何も言わなかった。

剣を手に取り、いつも通り準備をする。

サージュの立っていた場所が空いていても、

そこを見ることはない。


練習は続いた。

セリナの指導は変わらず厳しく、

ルーメンの魔術の確認も、淡々と進む。


ただ、二人分の足音が、一人分になった。

木剣が打ち合わさる音も、掛け声も、半分になったように感じる。


「……今日はここまでにしましょう」

セリナがそう言うと、エレナは静かに頷いた。


「はい」

短い返事。

余計な感情は乗っていない。


帰り支度をしながら、

ルーメンは何度か、エレナの横顔を盗み見た。


いつもより、無表情だ。

集中している、と言えばそれまでだが、どこか、閉じている。


三日目。四日目。

サージュは、やはり来なかった。


「サージュちゃん、今日は来ないの?」

セリナが、何気ない口調で尋ねる。


エレナは、少し間を置いて答えた。

「……知らない」

それだけだった。


声は平坦で、本当に知らない、という響きだった。

「学校では?」

「最近は、あんまり喋ってない」

それ以上の説明はない。


セリナはそれ以上追及しなかった。

ルーメンも、あえて話題を変えた。


空気が、静かに固まる。

それは、衝突の後の重苦しさではない。

時間が流れていく中で、自然に距離が広がっていく感覚だった。


サージュのいない練習は、エレナにとっては、むしろ効率が良かった。

誰かを待つ必要もない。誰かに合わせる必要もない。

剣も、魔術も。自分のペースで、ひたすら積み重ねられる。


「……問題ないわ」

エレナは、そう言うようになった。


誰に聞かれたわけでもないのに。まるで、自分自身に言い聞かせるように。

けれど、練習場の端に残る、空いた場所だけが、

何も言わずに、その言葉を否定していた。


サージュが来なくなった。それは事実だった。

そしてそれは、誰も止めず、誰も引き戻さず、ただ日常として受け入れられていった。


この時点で、関係は「冷えた」のではない。終わったのだ。

音もなく、痛みも表に出さないまま。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ