エレナ編 第三十四章 挽回のエレナ② 姉兄からの承認
翌日の稽古でも、違和感は消えなかった。けれどそれは、不安よりも確認に近い感情へと変わりつつあった。
木立の影が伸びる中、エレナとサージュは向かい合う。
木剣を構えた二人の間に、張り詰めた空気が流れていた。
「それでは、始め!」
セリナの合図で、二人が同時に踏み込む。
これまでなら、エレナは初動で一歩遅れていた。踏み込みが浅く、反応がわずかに遅れる。それが積み重なって、結果として押し切られる。それがいつもの流れだった。
だが、この日は違った。
剣が打ち合わされる直前、エレナはほんの僅かに軌道を変えた。
正面から打ち合うのではなく、角度をずらし、相手の剣を弾く。
「……っ」
サージュが小さく息を詰める。
その隙を逃さず、エレナは一歩踏み込み、体重を乗せて打ち込んだ。
剣筋はまだ荒い。だが、迷いがない。
「止め!」
セリナの声が飛ぶ。
二人は同時に動きを止め、息を整えた。サージュは驚いたように目を瞬かせ、エレナを見た。
「今の……すごかったね」
「そう?」
エレナはそう返すだけで、特別な表情は見せない。誇らしげでもなく、戸惑いもない。
ルーメンは少し離れた場所から、その一連を見ていた。偶然ではない。今の動きは、状況を見て判断した結果だ。
「もう一回、やってみようか」
セリナが静かに言う。
再び剣が交わる。今度はサージュが間合いを詰め、主導権を握ろうとする。
だがエレナは引かない。踏み込み、引き、受け流し、また踏み込む。一つ一つの動きが、以前よりも繋がっていた。
結果として、勝敗はまだ五分五分。けれど内容は、明らかに変わっていた。
「……エレナ」
セリナは思わず呟く。
上手くなった、という言葉では足りない。“戦い方”が変わり始めている。
その事実だけが、静かに積み重なっていった。
練習場を離れ、四人で家へ戻る道すがら、空は少しずつ夕色に染まり始めていた。
少し前を歩くエレナとサージュの背中を見ながら、セリナはふと足を緩め、ルーメンの隣に並んだ。
「ねぇ、ルーメン」
声を落とし、いつもの調子で話しかける。
「今日のエレナ、すごくなかった?」
ルーメンは一瞬だけ視線を前に向けたまま、ゆっくりと頷いた。
「うん。なんて言えばいいんだろう……技が増えた、って感じじゃないんだ。動きも魔術も、全部が繋がってきてる感じがする」
セリナは小さく笑った。
「やっと、成長しだしたって感じがするわ。姉として、正直すごく嬉しい」
その言葉には、先ほどまでの引っかかりはなかった。
ただ、妹を見守る者としての、素直な実感だけがあった。
「そうだね」
ルーメンも言葉を選びながら続ける。
「何かを掴んだような、高い壁を越えたような感覚がある。まさに急成長だと思う。ただ……」
「ただ?」
「昨日までのエレナと、あまりにも違いすぎてね。正直、驚いてはいる」
セリナは肩をすくめる。
「私たちの妹なんだから、当たり前よ。心配する必要なんてないわ」
そして、少しだけ声に力を込めた。
「もっともっと教えてあげましょう。エレナを、ちゃんと強くしてあげないと」
ルーメンはその言葉に、迷いなく頷いた。
「そうだね。僕も、できることは全部教えるよ」
その会話が聞こえたわけではないが、前を歩いていたエレナが、何気なく振り返った。
二人の視線が合い、エレナは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべる。
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもない」
セリナはそう言って、いつも通りに笑った。
エレナは小さく首を傾げ、それ以上何も聞かなかった。ただ、その足取りは、さっきよりも少しだけ軽く見えた。
違和感は、いつの間にか承認へと姿を変えていた。努力を積み重ねてきた妹を、ようやく正面から認める段階へと、二人は静かに踏み出していた。
それからの日々は、静かだが確かな変化を伴って流れていった。
剣術の稽古も、魔術の鍛錬も、特別なことは何もしていない。やっている内容は、昨日までと同じ基礎の繰り返しだった。
けれど、結果は違った。
剣を構えた瞬間の重心。踏み込む前の一拍。相手の動きに合わせて、無意識に修正される間合い。
エレナは、セリナが声をかけるより先に、自分で動きを整えていた。
「……今の、よかったわ」
セリナがそう言うと、エレナは小さく頷くだけで、特別に喜ぶ様子も見せない。その落ち着きが、以前との何よりの違いだった。
対戦形式に移ると、サージュもすぐにそれを感じ取った。
「エレナちゃん、今日は……やりにくいね」
「そう?」
「うん。剣が来る前に、もう次の動きが決まってる感じ」
最初は互角だった勝敗が、少しずつ変わり始める。
サージュが勝つ場面もあるが、エレナが押し切る場面も確実に増えていった。
五分五分。
それが、今日の正確な評価だった。
魔術の練習でも同じだった。
詠唱は変わらない。魔力量が急に増えたわけでもない。それでも、発動は安定し、失敗が減っている。
「兄ちゃん」
エレナが珍しく自分から声をかけた。
「次、土の中位、もう一回やっていい?」
「いいよ。さっきより、少しだけ意識を前に置いて」
エレナは静かに頷き、ゆっくりと詠唱を始める。
魔力は乱れず、滑らかに集まり、狙った通りに放たれた。
「……できてるね」
ルーメンがそう言うと、エレナは一瞬だけ目を細めた。
「うん」
それだけだった。誇ることも、比べることもない。
ただ、積み重ねてきたものが、形になり始めている。その事実だけが、確かにそこにあった。
サージュは息を整えながら、エレナの横顔を見つめる。
「エレナちゃん、やっぱりすごいね」
「……サージュも、ちゃんと強いよ」
二人の視線が交わり、すぐに逸れた。競う相手であり、並ぶ存在でもある。
セリナとルーメンは、その様子を少し離れたところから見守っていた。違和感は、もうなかった。
そこにいるのは、努力を続けた妹と、結果を受け止め始めた二人の背中だった。
片付けを終え、四人は並んで丘を下りていた。沈みかけた夕陽が、長い影を足元に落としている。
エレナは少し前を歩き、サージュと何気ない話をしていた。笑い声も、歩幅も、いつも通りだ。
その背中を見ながら、セリナは小さく息を吐いた。
「……ねぇ、ルーメン」
「うん」
声の調子で、何を言いたいのかは分かる。
「正直に言うとね、まだ全部は納得できてないの」
ルーメンは否定しなかった。
「僕もだよ。理由を聞かれたら、うまく説明できない」
二人の視線は、自然とエレナへ向かう。背筋を伸ばし、前を見て歩くその姿。
「でも、努力してきたのは事実よ。朝も夕方も、一人で続けてたの、私知ってるわ」
「うん」
「だからね、私は“成長した”って受け取ることにしたの」
それは、判断ではなく選択だった。
ルーメンはゆっくりと頷く。
「分からないから止める、じゃなくて。分からないけど、信じて任せる……か」
「そう」
セリナは穏やかに微笑んだ。
「エレナは、私たちの妹だもの」
その言葉には、理由を超えた重みがあった。
少し離れた前方で、エレナが振り返る。
「姉ちゃん、兄ちゃん。明日も、よろしくね」
何気ない一言。
けれど、そこには迷いも、不安も見えなかった。
「ええ、もちろん」
セリナは即座に答える。
「任せて」
ルーメンも、短くそう返した。
違和感は、消えたわけではない。
ただ、今はそれを問い詰めないと、二人は決めただけだ。
それが、エレナを前へ進ませるために今できる、最善の距離感だと信じて。




