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エレナ編 第三十三章 エレナとサージュの特訓③ エレナの挫折

数日が過ぎても、状況は変わらなかった。

剣術の打ち込みでは、相変わらずサージュの方が一歩早く反応し、実戦形式になると、その差ははっきりと数字になって現れる。


最初は互角だったはずなのに、気づけばサージュの勝ちが増えていた。

一度、二度ではない。

繰り返すほどに、結果は同じだった。エレナは歯を食いしばりながら木刀を握る。

(次は勝つ)

そう思うたび、力が入りすぎて、動きが硬くなる。


セリナの声が飛ぶ。

「エレナ、力みすぎ。相手を見るの」

分かっている。分かっているのに、体が言うことを聞かない。


魔術の時間も同じだった。

ルーメンの前で、詠唱を唱える。

水の魔力。癒しの魔力。形にはなる。

でも、サージュの魔術は、同じ初位でも安定感が違った。

発動の瞬間、迷いがない。

エレナは自分の魔術を見下ろす。

(どうして……)

(同じように教わってるのに)


ルーメンは優しく言う。

「エレナは普通だよ。焦らなくていい」

その言葉が、胸に刺さる。

普通。それは安心の言葉のはずなのに、今は違った。

(普通って……遅いってこと?)

(私だけ、置いていかれてる?)


サージュは息を切らしながら笑う。

「難しいね。でも、楽しいよ」

その笑顔が、まぶしくて、少しだけ憎らしかった。

(楽しい……?)

エレナは楽しくなかった。悔しさと焦りで、胸がいっぱいだった。

夜、布団に入っても眠れない。剣の振り、詠唱の言葉、サージュの動きが、頭の中で何度も繰り返される。

(明日は……明日こそ)

そう思いながら、目を閉じる。でも、胸の奥に広がる不安は、少しずつ、確実に大きくなっていた。



翌朝、まだ空が白み始める前に、エレナは目を覚ました。家の中は静まり返っている。誰も起きていない時間。その静けさが、今のエレナには都合がよかった。

木刀を握り、庭に出る。冷たい空気が肌を刺す。一振り、二振り。教わった通りに型をなぞる。

(遅れちゃだめ)

(もっと……もっと)

腕が重くなっても、止めなかった。息が上がり、足がもつれても、歯を食いしばって続ける。

誰に見せるわけでもない。褒められるわけでもない。それでも、やらなきゃいけない気がした。

学校から帰ると、今度は魔術の練習だ。詠唱をゆっくり唱え、魔力の流れを探す。でも、感じ取ろうとすればするほど、分からなくなる。

(どうして……)

(昨日より、できてない気がする)


焦りが、魔力を乱す。失敗するたびに、胸の奥がきゅっと縮んだ。

(努力が足りないのは、私?)

(それとも……私には、向いてない?)

そんな考えが、頭を離れない。家族は優しかった。

「無理しなくていい」

「ちゃんとできるようになる」

その言葉を聞くたび、エレナは笑顔で頷いた。でも、心の中では違った。

(できなかったら?)

(このまま、ずっと追いつけなかったら?)

夜、布団の中で、天井を見つめる。胸の奥に、黒い影のような不安が溜まっていく。それは、誰にも言えない。

言ったら、本当に“できない子”になってしまいそうで。



数日後、剣術の打ち込み稽古で、エレナはまたサージュに負けた。

最初の頃は五分五分だったはずなのに、今では結果がはっきりしている。

木刀を交えるたび、サージュの動きは迷いがなく、エレナの剣は一瞬遅れる。

「そこ、踏み込みが浅いよ」

セリナの声が飛ぶ。

分かっている。頭では、ちゃんと分かっている。でも、体が追いつかない。

息を整えながら、エレナは唇を噛んだ。


魔術の時間でも同じだった。

ルーメンの指示通りに詠唱し、魔力の流れを意識する。

隣ではサージュの魔術が安定して形になる。

自分の魔術は、揺れて、弱く、途中で崩れる。

「大丈夫だよ、エレナ」

ルーメンはそう言ってくれる。

「焦らなくていい」

その優しさが、今日は少しだけ痛かった。

(優しいってことは……やっぱり、私が遅れてるってこと?)


休憩時間、サージュはいつも通り笑っていた。

「今日も楽しかったね」

その笑顔を見て、胸がちくりと痛む。サージュは何も悪くない。分かっている。それでも、比べてしまう。

(同じ時に始めたのに)

(同じ年なのに)

(どうして……)

帰り道、エレナは少し遅れて歩いた。夕焼けに染まる道を見つめながら、足取りが重くなる。

頑張っている。誰よりも、頑張っているつもりだ。それでも結果が出ない現実が、心にひびを入れていく。

(私、まだ足りない)

(もっとやらなきゃ)

その思いだけが、強く、強く残っていた。



翌朝、エレナはまだ薄暗い時間に目を覚ました。家の中は静かで、誰の気配もしない。胸の奥に残った昨日の感覚が、眠りを浅くしていた。

(なのに、サージュは、どうしてあんなに上手なんだろう)

布団を抜け出し、そっと木刀を手に取る。庭に出ると、朝の空気は冷たく、澄んでいた。

剣を構え、素振りを始める。一振り、二振り。セリナに教わった通りに、腰を落とし、軸を意識する。でも、動きはぎこちない。

(違う……)

(これじゃだめ)


剣を振るたびに、昨日の敗北がよみがえる。サージュの迷いのない動き。自分の遅れた一瞬。

胸がきゅっと縮む。

(置いていかれる)

その言葉が、頭から離れなかった。

朝食の席でも、エレナは黙り込んでいた。母が心配そうに声をかける。

「無理しなくていいのよ、エレナ」

「うん……」

返事はしたが、心には届かない。


学校でも、サージュはいつも通りだった。楽しそうに話し、笑い、魔術の授業でも飲み込みが早い。

その姿を見るたび、胸の奥に小さな焦りが積もっていく。

(どうして私は、同じようにできないの)

(お姉ちゃんやお兄ちゃんみたいになりたいだけなのに)


放課後、剣術と魔術の練習を終えても、エレナは帰らなかった。一人残り、何度も剣を振り、何度も詠唱を繰り返す。

疲れているはずなのに、やめられない。やめたら、本当に置いていかれてしまう気がした。

夕暮れの空が赤く染まるころ、ようやく手を止める。腕は重く、足は震えていた。

それでも、胸の中の焦りは消えない。

(まだ足りない)

(もっとやらなきゃ)

その思いだけが、エレナを前へ、前へと押し続けていた。



それからのエレナは、毎日同じことを繰り返した。朝は誰よりも早く起き、剣を振る。

学校から帰れば、魔術の詠唱を何度も口にする。

夜、布団に入っても、頭の中では剣の軌道や魔力の流れを思い描いていた。

休むという選択肢は、最初からなかった。

(休んだら、もっと遅れる)

その考えが、エレナを縛りつけていた。

家族は変化に気づいていた。


セリナは稽古の合間に、少し心配そうな視線を向ける。

「エレナ、力が入りすぎてるわよ」

ルーメンも、魔術の練習の後で声をかける。

「焦らなくていいんだよ。エレナはちゃんと進んでる」

でも、その言葉は胸の表面を滑るだけだった。

(ちゃんと進んでるなら、どうして差が開くの)

(普通って何? 私は普通でいいの?)


サージュは相変わらずだった。剣術でも魔術でも、少しずつ確実に伸びていく。

それを見て、エレナは笑顔を作る。

「すごいね、サージュ」

そう言いながら、心の奥では別の声が響いていた。

(すごいのはサージュで、私は違う)

(私は、できない側なんだ)


夜、一人で魔術の練習をしていると、失敗が続いた。サンドストーンは形が崩れ、思った場所に飛ばない。詠唱を繰り返すほど、魔力の流れが分からなくなる。

「……なんで」

思わず、声が漏れた。誰もいない部屋で、その声は小さく消える。

(私、向いてないのかな)

(剣術も魔術も、才能がないのかな)

考えたくないのに、考えてしまう。


兄や姉の背中が、遠くにあるように感じる。追いかけているはずなのに、距離は縮まらない。むしろ、離れていく気さえした。

その夜、エレナは布団の中で目を閉じたまま、拳を握りしめた。

(だめ)

(弱音を吐いたら、本当にだめになる)

自分を責める声が、心の中で止まらなかった。



数日後、放課後の帰り道。エレナとサージュは並んで歩いていた。

夕方の風は少し冷たく、土の匂いが混じっている。いつもの道、いつもの会話。

なのに、エレナの胸の中は落ち着かなかった。しばらく黙って歩いたあと、エレナはぽつりと口を開いた。


「ねえ、サージュって……剣術も魔術も、ほんとに上手いよね」

サージュは少し驚いた顔をしてから、首をかしげた。

「そうかな? エレナもちゃんとできてると思うけど」

エレナは足を止め、サージュを見た。

「帰ってから、お父さんとかお兄さんに教えてもらってるの?」

サージュは即座に首を振った。

「ううん。うちは教えてくれないよ。だから、エレナのところのお姉さんとお兄さんには、ほんと感謝してる」

その言葉に、エレナの胸がきゅっと縮んだ。


「……じゃあ、帰ってから一人で練習してるの?」

「まさか。帰ったら疲れてるし、ゆっくり休んでるわ」

あっけらかんとした声だった。悪気はまったくない。ただ事実を言っただけ。


それなのに、エレナの中で、何かが音を立てて切れた。

(じゃあ、なんで)

(なんで私は、こんなに頑張ってるのに)

(なんで、差が埋まらないの)


頭が熱くなり、視界が揺れる。喉の奥に、言葉にならない感情が詰まった。

悔しさ。焦り。自分への失望。それらが一気に押し寄せる。

サージュは気づかず、いつもの調子で笑っていた。

「ねえ、明日も一緒に頑張ろうね」

エレナは返事ができなかった。


うつむいたまま、ぎゅっと唇を噛みしめる。

(もう、嫌だ)

(置いていかれるのは、嫌)

その日を境に、エレナの中で何かが変わり始めていた。

努力だけでは埋まらない溝を、初めてはっきりと意識してしまったのだった。


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