エレナ編 第三十三章 エレナとサージュの特訓② エレナの焦り
それからの日々は、剣術と魔術が交互に続いた。
午前はセリナ姉ちゃんの剣術、午後はルーメン兄ちゃんの魔術。エレナとサージュは並んで立ち、同じ動きを真似し、同じ言葉を唱えた。
剣術では、三つの型をすべて教わった。
厳流型、陣越型、背散型。
エレナは、厳流型と陣越型は何とか形になり始めていたが、背散型になると体がついてこない。踏み込みが遅れ、剣先が流れる。
「エレナ、今のは悪くないけど、迷いが出てるわ」
セリナ姉ちゃんの声は優しいが、容赦はない。
一方、サージュは三つとも、拙いながらも最後まで振り切れていた。
「今の、いいわよ」
そう言われるたび、エレナの胸はきゅっと縮む。
魔術でも同じだった。
土と火、水と癒し。初位の魔術は、少しずつ増えていく。エレナは水と癒しを何とか使えるようになったが、風だけはどうしても掴めなかった。
「流れは感じてる。でも、発動の瞬間で途切れてるね」
ルーメン兄ちゃんの言葉は、正しい。だからこそ、余計につらい。
サージュは、気づけば全属性の初位と、いくつかの中位まで形にしていた。
「すごいね、サージュ」
思わずそう言うと、サージュは照れたように笑う。
「そんなことないよ。できるようになっただけ」
その“だけ”が、エレナには遠かった。
同じ場所に立って、同じ時間を使っているのに、結果だけが少しずつずれていく。
エレナは剣を握り直し、魔術の詠唱をもう一度繰り返した。
追いつきたい。追い越したいわけじゃない。ただ、置いていかれたくなかった。
剣術の打ち込みは、次第に対戦形式が増えていった。向かい合って立ち、合図と同時に踏み込む。
最初の頃は、エレナもサージュも互角だった。勝ったり負けたり、笑い合いながら剣を下ろしていた。
けれど、日を重ねるごとに、その均衡は少しずつ崩れていった。
サージュの剣は、迷いが少なくなっていく。踏み込みが早く、間合いの詰め方も自然だった。
エレナは、考えてしまう。
「今はどの型?」「次はどう動く?」
その一瞬の迷いが、遅れになる。
結果、サージュの勝利数が増えていった。
「……もう一回」
エレナは何度もそう言った。
負けるたびに、胸の奥がじくじくと痛む。
魔術でも同じだった。
詠唱を重ね、魔力の流れを探る。エレナは確かに少しずつ理解している。昨日より今日、今日より明日。
それでも、サージュの方が一歩先にいる。
「飲み込みが早いだけだよ」
セリナ姉ちゃんも、ルーメン兄ちゃんも、そう言ってくれた。
「エレナは普通。心配することはない」
でも、“普通”という言葉は、今のエレナには重かった。
普通だから、追いつけないの?普通だから、あんなふうになれないの?
剣を振る腕が、少しだけ重く感じる。魔術を放った後、胸の奥に残るざらつきが消えない。
悔しい。悔しいのに、その理由をうまく言葉にできなくて、エレナは唇を噛みしめるしかなかった。
その日から、エレナの中に、はっきりとした「焦り」が生まれ始めた。
サージュは、練習のあともいつも通りだった。
「今日はちょっと疲れたね」
「お腹すいたなぁ」
そんな何気ない言葉を聞くたびに、胸の奥がきゅっと縮む。
(どうして?)
エレナは思う。同じ時間、同じことをしているはずなのに。同じ先生に教わって、同じように剣を振って、同じように詠唱しているのに。どうして、サージュの方が先に行ってしまうの?
家に帰ると、剣を手に取る。誰もいない庭で、教わった通りに素振りをする。
セリナ姉ちゃんの声を思い出しながら、腰を落として、踏み込んで。腕が震えても、やめなかった。
魔術も同じだ。詠唱を小さく繰り返し、魔力の流れを探る。少し感じ取れるようになってきたはずなのに、サージュの背中は遠い。
(もしかして……)
頭の中に、嫌な考えが浮かぶ。
サージュは、家に帰ってからも練習しているんじゃない?誰にも言わずに、こっそり努力しているんじゃない?だから差がつくんじゃない?
そう思うと、胸がざわざわして落ち着かなくなる。
「私も、もっとやらなきゃ」
そう呟いて、エレナはさらに剣を振った。早朝にも起きて、眠い目をこすりながら剣を持つ。帰宅後も、魔術の練習を続ける。家族は心配そうに言った。
「無理しなくていいのよ」
「ちゃんとできるようになる」
でも、その言葉は、エレナの不安を消してはくれなかった。
(置いていかれたら、どうしよう)
(できない子だって思われたら、どうしよう)
焦りは静かに、でも確実に、エレナの胸を締めつけていった。
日を重ねるごとに、差ははっきりと形になっていった。
セリナ姉ちゃんとの打ち込みでは、エレナは何度も止められる。
「踏み込みが遅い」
「相手を見るのが遅れてる」
「考えすぎて体が固まってるわ」
一つ一つは正しい指摘なのに、胸に刺さる。
隣で同じ指導を受けているサージュは、次の打ち込みで修正してくる。剣筋が整い、動きが滑らかになる。
そのたびに、エレナの中で小さな音が鳴った。置いていかれる。
魔術の練習でも同じだった。
ルーメン兄ちゃんの前で詠唱すると、サージュの魔術は安定している。魔力の流れも、発動の瞬間も、はっきりしている。
エレナの魔術は、揺れる。出せる時と出せない時がある。
「焦らなくていい」
「エレナは普通だよ」
そう言われるほど、心は逆にざわついた。
(普通って、なに?)
(サージュが普通じゃないだけ?)
(それとも、私が……)
答えは見つからない。夜、布団に入っても目が冴える。剣の振り方、詠唱の言葉、魔力の感覚。頭の中で何度も繰り返す。
それでも、翌日になると、また同じ差を見せつけられる。
サージュは笑う。
「今日もいっぱい練習したね」
その笑顔が、エレナにはまぶしすぎた。
(どうして平気なの?)
(悔しくないの?)
そんなこと、聞けるはずもなかった。エレナは笑顔を作って頷く。でも胸の奥では、不安が静かに、確実に広がっていた。
ある日の帰り道、エレナはずっと考えていた。どうして、こんなに差がつくのだろう。
同じ日に始めて、同じことを教わって、同じ時間を過ごしているのに。
(私、何か大事なところを間違えてるのかな)
頭の中で、セリナ姉ちゃんの言葉や、ルーメン兄ちゃんの説明が何度も浮かぶ。
間合い、重心、魔力の流れ、発動の感覚。
分かっている、つもりだった。でも、体がついてこない。
サージュは、違う。一度言われたことを、次の一振りで直してくる。失敗しても、切り替えが早い。魔術も同じだ。詠唱を口にする前から、魔力の流れを整えているのが分かる。
エレナは、必死に追いかける。でも、追いかければ追いかけるほど、背中が遠くなる。
(もしかして……)
胸の奥に、嫌な考えが浮かぶ。
(私、剣術も魔術も向いてないのかな)
(お姉ちゃんみたいにも、兄ちゃんみたいにも、なれないのかな)
その考えを振り払うように、歩幅を早める。家に着くころには、心が重くなっていた。
夕飯の席で、家族はいつも通りだ。笑って、話して、穏やかな時間が流れている。でもエレナは、どこか上の空だった。
「エレナ、どうしたの?」
そう聞かれても、「なんでもない」と答える。
言えるわけがない。自分だけが、置いていかれているなんて。
夜、布団に入る。天井を見つめながら、サージュの剣筋を思い出す。
(明日は、もっと頑張ろう)
(もっと、もっと……)
そう思うほど、胸の奥が苦しくなった。
翌朝、エレナはいつもより早く目を覚ました。まだ空は薄暗く、家の中も静まり返っている。布団から抜け出すと、小さな胸をぎゅっと押さえた。
(今日こそ……今日こそ、追いつく)
裏庭に出て、木刀を握る。朝露で地面が少し湿っていたが、そんなことは気にしなかった。
セリナ姉ちゃんに教わった厳流型。一つ一つ、思い出しながら振る。
「……はっ」
声を出すたびに、剣先がぶれる。踏み込みが浅い。腰が浮く。自分でも分かる欠点が、次々と出てくる。
(違う……そうじゃない)
何度も振り直す。腕がだるくなり、息が上がる。それでも止めなかった。
朝食の時間になり、母に呼ばれても、最後の一振りまで続けた。
学校から帰ると、今度は魔術の練習だ。土の魔力を集め、詠唱をゆっくり口にする。
サンドストーン。
石は出る。でも、形が安定しない。発動の瞬間、魔力が散る感覚がはっきり分かる。
(また、失敗……)
サージュなら、もう直している。そう思うと、胸が締めつけられた。夕方、家族が声をかけてくる。
「少し休んだら?」
「無理しなくていいのよ」
優しい言葉だった。でも、その優しさが、今のエレナには痛い。
(無理してないよ)
(無理しないと、追いつけないの)
心の中で、そう叫ぶ。夜、再び剣を振る。月明かりの下で、影だけが動く。疲れているはずなのに、体を止められない。
(努力が足りないだけ)
(もっとやれば、きっと……)
そう言い聞かせながら、エレナは一人、何度も剣を振り続けていた。




