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エレナ編 第三十三章 エレナとサージュの特訓① 特訓の始まり

第三十三章・エレナとサージュの特訓


朝の空気は、まだ少し冷たくて、吐いた息が白くほどけた。家の庭先には露が残り、踏みしめる草がしっとりと音を立てる。

エレナは小さな手の中で木剣を握り直した。昨日も握ったはずなのに、今朝の柄はやけに硬く感じる。

指の付け根がきゅっと痛くなって、「ちゃんと握れてないのかな」と思うだけで心がざわついた。


横でサージュは同じように木剣を持っているのに、立ち方が落ち着いて見える。

足が地面にしっかり根を張っているみたいで、その差が悔しいのに、まだ言葉にするのは怖かった。

セリナ姉ちゃんは朝からきびきびしていて、髪を後ろでまとめ、いつもより少しだけ表情が引き締まっている。厳しい顔、というより、真剣な顔だった。


「今日は遊びじゃないからね」と言われる前から、エレナの胸は小さく高鳴っていた。教えてもらえる。ようやく、ちゃんと教えてもらえる。その嬉しさと、でも、期待に応えられなかったらどうしようという不安が、同じ場所で絡まって、息が少し浅くなる。


ルーメン兄ちゃんは庭の端で、剣術の邪魔にならないように少し離れたところに立っていた。まだ魔術の番じゃないのに、そこにいるだけで安心する。

ルーメン兄ちゃんは自分を見て笑ってくれるだろうか、それとも、できなさすぎてがっかりするだろうか。そんな考えが頭をよぎるたびに、エレナは慌てて首を振る。

「がんばるって決めたんだもん」そう思って、木剣を胸の前で構えた。セリナ姉ちゃんが一歩前に出て、地面を指先で軽く叩く。


「まずは立ち方。ここが全部の始まり。剣は手だけじゃない。足、腰、背中、ぜんぶが剣になるの」

言葉が難しいのに、不思議と分かる気がした。エレナは足を開き、膝を少し曲げた。けれど重心がどこにあるか分からない。体がふわふわする。


サージュが同じ動きをすると、地面に吸い付くみたいに安定して見える。「同い年なのに」「同じ日に始めたのに」胸の奥が熱くなる。セリナ姉ちゃんは二人の前を行ったり来たりしながら、手を添えるようにして姿勢を直してくる。


「エレナ、つま先が逃げてる。腰が後ろ。怖がらない。前を見て」「サージュちゃん、握りはいい。肩の力を抜いて、肘の線をまっすぐ」

直されるたび、エレナは恥ずかしい気持ちと、ありがたい気持ちがいっしょに押し寄せた。

今まで「幼いから」と言われ続けて、遠くから見ているだけだった剣術が、急に自分の手の中に入ってきたみたいで、嬉しいのに、ちゃんとできない自分が許せない。


木剣を振る前から、もう汗が手のひらに滲んでいた。「大丈夫、まだ始まったばかり」そう自分に言い聞かせながら、エレナはセリナ姉ちゃんの声を待った。

庭に鳥の鳴き声が一つ落ちて、風が洗濯物を軽く揺らす。その穏やかな音が、これから始まる厳しさの前触れみたいに感じて、エレナは唇をきゅっと結んだ。



「じゃあ、厳流型の基本からいくわよ」

セリナ姉ちゃんの声ははっきりしていて、迷いがなかった。剣先を地面に向け、構えから振り下ろすまでの流れを、一つ一つ区切るように示してくれる。動きは無駄がなく、静かなのに鋭い。エレナはその背中を目で追いながら、頭の中で何度も真似をする。でも、いざ自分の番になると、体は思った通りに動いてくれなかった。


「素振り、十本」

言われた通りに剣を振る。振っているつもりなのに、刃筋がぶれている感覚が自分でも分かる。腕だけで振ってしまって、腰が遅れる。足が置いていかれる。剣の重さが手首にばかり集まって、じんと痛む。「違う、こうじゃない」そう思えば思うほど、動きはぎこちなくなった。


横でサージュが同じ回数を振っている。最初は同じように不安定だったのに、数本振るううちに、少しずつ音が変わっていく。空気を切る音が、一定になっていくのが分かる。エレナの胸がきゅっと縮んだ。「もう、分かり始めてる」そんな気がしてしまう。


「エレナ、相手を見るの。剣だけ見ない」

セリナ姉ちゃんの指摘に、エレナは顔を上げる。前を見ると、想像上の相手が急に怖くなった。剣を振るということは、相手に踏み込むということ。避けられなかったらどうしよう、当たったらどうしよう。そんな考えが一瞬で頭を埋め尽くす。


「踏み込みが弱い。腰が引けてる」

言われた瞬間、図星で、心臓が跳ねた。分かっている。怖いから引いている。サージュは同じ年なのに、前に出ている。剣を振るたびに、地面を踏みしめる音がしっかりしている。「なんで私は、こんなに怖がってるんだろう」


次はサージュの番。

「剣筋が少しぶれるけど、全身は使えてる。軸足を意識して」

褒められているわけじゃない。でも、改善点が具体的で、前に進んでいる感じがする。エレナは自分の番が来るのが、少しだけ嫌になった。

再び剣を振る。今度は「前を見る」と意識してみる。でも意識した瞬間、動きが固まる。頭で考えすぎて、体が遅れる。剣が重く、遠い。


「どうしてできないの」

心の中で小さく呟く。学校で習った通りにやっているつもりなのに、セリナ姉ちゃんの動きとは全然違う。サージュとの差が、少しずつ、でも確実に開いていく気がして、胸の奥がざらざらした。

汗が額から流れ落ち、目に入りそうになる。拭いたくても、今は動けない。剣を握ったまま、エレナは必死に立ち続けた。「まだ始まったばかり」そう自分に言い聞かせる。でも、その言葉が、なぜか遠くに感じられた。



剣術の稽古は、打ち込みだけでは終わらなかった。

「次は守りよ」

セリナ姉の言葉に、エレナは少しだけ息をつく。攻めるより、守るほうが楽かもしれない。そう思ったのは、ほんの一瞬だった。


「相手の剣を受け止めるだけじゃない。流して、次に繋げるの」

セリナ姉は軽く踏み込み、剣を振る。その刃を、反対の角度から弾くように受け、同時に体を半歩ずらす。動きは滑らかで、無理がない。剣と剣が触れた音が、短く澄んでいた。

「じゃあ、やってみましょう。まずは私が相手をするわ」


エレナの前に立つセリナ姉は、いつもより少しだけ距離が近い。その事実だけで、胸がどきどきする。剣を構える手に、汗がにじんだ。

打ち込まれた剣を受け止めようとする。けれど、衝撃をそのまま腕で受けてしまい、体が後ろに流れる。

「違う。力で止めない」

次も、また次も同じだった。受けるたびに、体が遅れる。剣先がぶれて、次の動作に移れない。


一方、サージュはどうかというと、最初は同じように弾かれていたのに、数回目には少しずつ動きが変わっていた。受けた衝撃を横に逃がし、剣先が自然と次の位置に収まっている。

「今の、よかったわ」

セリナ姉ちゃんの一言に、サージュの顔がぱっと明るくなる。その笑顔を見た瞬間、エレナの胸の奥がちくりと痛んだ。

「私は……?」

聞きたい気持ちを、ぐっと飲み込む。まだ褒められる段階じゃない。それは自分でも分かっている。

対戦形式になると、差はさらに見えた。エレナは受けるだけで精一杯なのに、サージュは受けた流れのまま、小さく返す動きができている。勝敗は五分五分だったはずなのに、いつの間にか、サージュの勝ちが増えていた。


「どうして……」

剣を下ろし、息を整えながら、エレナはサージュの背中を見る。同じ時間、同じことを教わっているはずなのに。

「私、遅いのかな」

そんな考えが、頭をよぎる。すぐに振り払おうとするけれど、振り払えない。

「大丈夫、エレナは普通よ」

セリナ姉ちゃんの言葉は優しかった。でも、その「普通」という言葉が、なぜか胸に引っかかった。

普通。

それは安心の言葉のはずなのに、今のエレナには、「追いついていない」という意味に聞こえてしまった。



剣術の稽古が一段落すると、今度はルーメン兄ちゃんの番だった。

場所を少し移し、地面が平らなところに立つ。剣を持っていた手を下ろしたはずなのに、エレナの指先にはまだ、震えの名残が残っている。


「じゃあ、次は魔術だね」

その声はいつも通り穏やかで、剣術の張り詰めた空気を少しだけ和らげた。


「エレナは土属性、サージュちゃんは火属性だったよね。まずは、自分の属性の初位魔術を出してみよう」

エレナは小さく頷き、胸の前で手を組む。詠唱は、もう何度も学校でやってきた。言葉も覚えている。

「大地の力よ、我が呼びかけに応えよ……サンドストーン」

土の塊が、ぽん、と前方に現れる。いつも通りだ。失敗でも成功でもない、ただのサンドストーン。

隣でサージュが唱える。

「火の力よ、我が所に集まりたまえ……ファイヤーボール」

小さな火球が、同じように生まれる。


「今の魔術で、体の中に何か感じた?」

ルーメン兄ちゃんの問いに、エレナは首をかしげた。

「……詠唱したら、出ました」

サージュも同じように答える。

「分からないです。いつも通りでした」

「そっか。じゃあ、もう一度やろう。ただし、今度はゆっくり」

声に急かす様子はない。急がなくていい、という雰囲気が伝わってくる。


エレナは、さっきよりも時間をかけて詠唱した。言葉を一つずつ、噛みしめるように。すると、胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなるのを感じた気がした。

「……あ」

土の塊が現れる。その瞬間、腕の内側を何かが通ったような感覚があった。

「今、何か感じた?」

「……少し、だけ」

そう答えた声は、自分でも驚くほど小さかった。


サージュも同じように、何度か詠唱を繰り返す。

「私も……何か、動いた感じはするけど……」

二人とも、発動の瞬間の感覚までは掴めていなかった。魔術が生まれる直前と直後、その境目が、どうしても分からない。

「それでいいよ」

ルーメン兄ちゃんは、すぐに否定しなかった。


「最初は、流れが分かるだけで十分だ。発動の感覚は、もっと後でいい」

その言葉に、エレナは少しだけ肩の力が抜けた。

でも、横目で見ると、サージュはもう一度詠唱し、さっきよりはっきりとした火球を出していた。

「今の、ちょっと分かったかも」

その一言が、胸に刺さる。

同じ時間、同じ説明を聞いているのに。エレナは、もう一度手を組んだ。

分からなくても、できなくても、やめたくはなかった。ここで立ち止まったら、本当に置いていかれる気がしたから。


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