エレナ編 第三十一章 エレナの決断③ エレナとサージュの決断
翌日、学校の休み時間。エレナは校庭の端で、地面を指先でなぞりながら黙り込んでいた。昨日の夜から、胸の奥に溜まった気持ちが、まだほどけない。
その隣に、サージュが腰を下ろす。「……エレナ、元気ないね」
エレナは少し迷ってから、ぽつりと話し始めた。
「昨日ね、お父さんにもお母さんにも、剣術と魔術、もう少し教えてほしいって言ったの。でも……また、まだ幼いからって」
言葉にした途端、胸が詰まる。サージュは一度だけ、強くうなずいた。
「分かるよ、それ」
その一言で、エレナの肩の力が抜けた。
「うちも同じ。お父さんは剣術が得意だけど、危ないからって言うし、お母さんは魔術は基礎だけでいいって。正しいのは分かってるけど……」
サージュは唇を噛みしめる。
「でも、できるようになりたい気持ちまで、止められるのは違うよね」
エレナは、初めて誰かに気持ちをそのまま受け止めてもらえた気がした。
「そうなの。頑張りたいだけなのに」
「それにさ……」
とサージュは声を落とす。
「うちのお兄ちゃん、すごく怖いの。教えてって言ったら、ガキの相手してる暇ないって。だから、家で頼れる人、誰もいない」
エレナははっとして、サージュの顔を見る。強気に見える友達が、こんな思いを抱えていたなんて知らなかった。
「……サージュも、同じなんだね」
「うん。でも、エレナがいるから、まだ頑張れる」
二人はしばらく、言葉もなく並んで座っていた。風が吹いて、校庭の砂がわずかに舞う。
「一人だったら、きっと諦めてた。でも、二人なら、何かできる気がしない?」とサージュが言う。
その言葉に、エレナの胸の奥で、小さな灯りがともった。分かってくれる人がいる。それだけで、世界は少し違って見えた。
エレナは、ゆっくりとうなずく。「うん……二人なら、できるかもしれない」
「じゃあ、どうする?」
サージュの問いに、エレナはすぐには答えられなかった。胸の中に浮かぶ案はいくつもあるのに、どれも決め手に欠ける。
「……本を読むのはどうかな」
エレナが言うと、サージュは首をかしげた。「剣術や魔術の本?うちにも少しあるけど、読んでも分からないところが多くてさ。結局、形だけ真似して終わっちゃうの」
エレナも同じ経験を思い出し、小さくうなずく。文字は読めても、身体の動きや魔力の流れまでは、本だけじゃ分からない。
「じゃあ、先生に頼む?」
サージュが期待を込めて言う。
「リリィ先生なら……」
とエレナは口にしかけて、途中で止めた。特別扱いをお願いする勇気が出ないし、先生も忙しい。自分たちだけのわがままになってしまう気がした。
二人は並んで歩きながら、校舎の影に落ちる自分たちの足元を見つめる。
「どれも、すぐには難しいね」
サージュの声には、落胆よりも考え込む響きがあった。
「でもさ、私たち、何もしてないわけじゃないよね。魔術だって、二人で教え合ってできるようになった」とエレナが言う。
「うん。最初は無理だと思ってた」
できたことは、確かにある。その事実が、次の一歩を探す力になる。
それでも、剣術も魔術も、もっと先に進むには、どうしても“誰かの手”が必要だと分かっていた。
校庭の向こうで、上級生たちが剣を振る音が聞こえる。エレナは思わず足を止め、その背中を見つめた。
「……やっぱり、教えてもらえたら、一番早いよね」
サージュは、エレナの横顔を見て、ゆっくりとうなずいた。
「うん。でも、誰に頼むか、だね」
「……エレナのお姉ちゃんとお兄ちゃん」
サージュが、少しだけ声を落として言った。
エレナは、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
思い浮かぶのは、剣を振るうセリナ姉ちゃんの背中と、魔術を操るルーメン兄ちゃんの落ち着いた横顔。優しい。とても優しい。でも――今まで、何度お願いしても、いつも同じ言葉で返されてきた。
「……たぶん、また“まだ早い”って言われると思う」
エレナは正直に言った。自信なんて、どこにもない。
「それに、二人とも忙しいし……」
サージュは一瞬考え込み、それから、えいっと言うように口を開いた。
「でもさ、一人で頼むから、断られるんじゃない?」
「え……?」
「二人で頼めばいいのよ。私も一緒に。エレナだけじゃなくて、“私たちが本気で頑張りたい”って、ちゃんと伝えるの」
サージュの目は、いつになく真剣だった。怖がりながらも、逃げない強さがそこにあった。
エレナの胸に、ぽっと小さな火が灯る。
一人じゃない。サージュが一緒なら。
「……うん」
小さく、でも確かにうなずく。
「サージュが一緒なら、お願いできるかもしれない」
不安は消えない。それでも、何もしないまま立ち止まるより、前に進みたかった。
エレナはぎゅっと拳を握る。
「じゃあ、まずは約束を取るね」
「うん。遊ぶ約束にして、その時にお願いしよう」
二人は顔を見合わせて、少しだけ笑った。
その笑顔には、まだ幼いけれど、確かな決意が宿っていた。
こうしてエレナは、剣術と魔術を本気で学ぶための、最初の一歩を踏み出すことになる。




