エレナ編 閑話
閑話
俺の九歳の誕生日の朝、家の中にはいつもより少しだけ賑やかな空気が流れていた。台所から漂ってくる温かい匂い、食器が触れ合う軽やかな音、それらが重なって、今日は特別な日なのだと自然に実感させてくれる。
食卓に並んだ料理はどれも豪華で、母の手間と時間がそのまま形になったようだった。父もセリナ姉も、エレナも、口々に「おめでとう」と言ってくれる。その言葉一つ一つが胸の奥に染み込んでいく。誕生日が、こんなにも嬉しい行事だったなんて。俺は、今さらのように家族への感謝を噛みしめていた。
ふと、前世の記憶が重なる。あの頃の誕生日は、今ほど賑やかではなかった。派手な料理も、盛大な祝宴もなかったけれど、それでも「おめでとう」と声をかけてくれた人がいた。祖父母がくれた不器用な笑顔や、静かな祝福の言葉。それだけで十分だったし、それが確かに俺を支えていた。豪華じゃなくてもいい。大切なのは、気持ちだ。今世でこれほど分かりやすい形の愛情を受け取っているからこそ、前世で受けたささやかな温もりも、より鮮明に思い出せる。
食卓を囲みながら、笑い声が途切れることはない。その中心に自分がいるという事実が、少し照れくさく、同時に誇らしかった。家族と共にあるこの時間が、どれほど貴重なものか。九歳になった今の俺は、もうそれを「当たり前」だとは思えない。胸の奥で、静かに、しかし確かに、幸福が形を成していた。
食事がひと段落すると、自然と将来の話題に移っていった。セリナ姉が箸を置き、少し大人びた表情でこちらを見る。
「ルーメンも、もう九歳ね」
その声には、妹や弟を見守る優しさと、同時に自分自身の節目を意識している響きがあった。
「イーストレイク学院への進学まで、あと三年だわ。私なんて、もう一年もないのよ」
学院、その言葉が出ただけで、場の空気が少し引き締まる。子どもでいる時間には、確かに終わりが近づいているのだと、否応なく思い知らされる。
「将来はどうするか、考えてる?」
そう言って、セリナ姉は微笑んだ。迷いはあっても、前を向いている人の顔だった。
「私は、やっぱり剣術かな。ルーメンは?」
突然振られて、俺は一瞬だけ言葉を探す。けれど、答えはずっと前から心の中にあった。
「僕は……やっぱり魔術かな」
そう口にした瞬間、不思議と迷いはなかった。
「リリィ先生からのお誘いもあるし、もっと魔術を極めてみたいんだ」
自分でも驚くほど、素直な言葉だった。前世では、ここまで真っ直ぐに「やりたいこと」を口にした記憶はない。だからこそ、この世界で、自分の意思を言葉にできることが、少し嬉しかった。
「そっか……やっぱりね」
セリナ姉は小さく頷き、柔らかく笑う。
「お互い、頑張りましょう」
その一言が、胸に温かく残った。姉として、そして同じ道を進む者としての、静かなエール。家族の中で交わされる何気ない会話が、いつの間にか未来へと繋がっていく。そんな感覚を、俺は確かに感じていた。




