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ミリィ編 第二十九章 ミリィの変化② 魔力コネクトの消失

丘を下る道は、夕暮れの光に染まっていた。草の間を抜ける風が、昼間の熱をゆっくりと冷ましていく。

足元に伸びる三人分の影が、さっきまでよりも自然な距離で並んでいることに、俺はふと気づいた。

ミリィは時折、自分の手を見つめていた。確かめるように、指を軽く握ったり、開いたりしている。その仕草は、先ほどまでの切迫した様子とは違い、どこか穏やかだった。


「……不思議ですね」

ミリィがぽつりと呟く。

「さっきまで、ルーメンのことばかり考えていたはずなのに、今は……こうして歩いてる景色の方が、ちゃんと目に入ってきます」

「それって、悪くない変化だと思うよ」

エアリスが、少し安心したように微笑む。

「周りが見えるってことは、自分の足で立ててるってことだから」


ミリィは一瞬考え込んでから、小さく頷いた。

「はい……そうですね。私、少し怖かったんだと思います。あの時は、何かに縋っていないと、前に進めない気がして」

その言葉に、胸が締めつけられた。

縋らせてしまったのは、間違いなく俺だ。善意だったとはいえ、その結果が彼女を追い詰めていた。

「でもね」


ミリィは顔を上げ、はっきりとした声で続けた。

「今は、ちゃんと友達として一緒にいたいって思えます。エアリスも、ルーメンも。三人で、です」

「うん」

エアリスが即座に答えた。

「それが一番だと思う」

俺も頷く。

「僕も同じだよ。無理はしないで、少しずつでいい」

ミリィは照れたように笑い、夕焼けの空を見上げた。

「……はい。少しずつ、ですね」

その言葉が、今日一日の締めくくりとして、妙にしっくりきた。焦らず、押し付けず、戻れる場所に戻る。

家々の灯りが見え始めた頃、俺の胸にあった重石は、確かに軽くなっていた。


家に近づくにつれて、生活の音が戻ってくる。鍋の煮える匂い、遠くで誰かが呼ぶ声、夕方特有の落ち着いたざわめき。それらが不思議と、胸の奥に残っていた緊張をほどいていった。

玄関の前で、ミリィは一度立ち止まった。

「今日は……ありがとうございました」

そう言って、丁寧に頭を下げる。

「こちらこそ」

俺が答えるより早く、エアリスが柔らかく言った。

「一緒にいられて、よかった」

ミリィは少し驚いたように目を瞬かせ、それから照れくさそうに笑った。

「はい。……私も、よかったです」


別れ際、ミリィはもう一度自分の手を見つめる。さっき丘で感じていた“ざわつき”は、もうどこにもない。代わりに残っているのは、ほんのりとした温度と、安心感だった。

「ルーメン」

呼ばれて顔を上げる。

「明日も……普通に話しかけても、いいですよね?」

「もちろん」

迷う理由はなかった。

「友達なんだから」

その一言に、ミリィの表情がぱっと明るくなる。

「はい。じゃあ、また明日」

手を振って走り去る背中は、どこか軽やかで、前を向いていた。

家に入ると、母さんの声が台所から聞こえてくる。いつも通りの夕食、いつも通りの時間。俺はコップに水を注ぎ、しばらくそれを見つめた。

何も聞こえない。水面は静かで、揺れも、声もない。

胸の奥から、ゆっくりと息を吐く。大丈夫だ。少なくとも、今は。

その夜、眠りにつく直前まで、俺は今日の出来事を思い返していた。

誰かを救うということは、引き寄せることじゃない。元の場所へ、戻してあげることなのかもしれない。そう考えながら、静かに目を閉じた。


翌朝、目を覚ました瞬間に、まず確かめてしまう。枕元の水差し。昨夜と同じように、ただの水がそこにある。耳を澄ましても、名前を呼ぶ声はしない。胸の奥で、ようやく本当の意味で安堵が広がった。

朝食の席では、いつも通りの会話が流れていた。セリナ姉が今日の剣術の話をして、エレナがパンを落として母さんに笑われる。何も変わらない。けれど、その「何も変わらない」が、今は何よりも尊かった。

登校の道すがら、川のそばを通る。水面に目を向けても、そこには揺れる空と木々の影だけが映っている。昨日まで感じていた圧迫感はなく、足取りは自然と軽くなった。


学校に着くと、少し遅れてミリィがやってくる。

「おはよう、ルーメン」

声は明るく、距離も適切だった。

「おはよう」

それだけのやり取りなのに、胸の中で小さく頷く自分がいる。

エアリスも合流し、三人で並んで席に向かう。ミリィは時折こちらを見るが、以前のような切迫した視線ではない。笑顔の中に、ちゃんと“自分の場所”を持っているように見えた。

授業が始まり、ノートを取る音が教室に満ちる。俺はペンを走らせながら、静かに思う。

戻ってきた。三人でいる、この距離感が。

休み時間、エアリスが小声で言った。

「大丈夫そうだね」

「ああ」

それだけで、十分だった。

変化は確かにあった。けれどそれは、誰かを失う変化じゃない。元の場所へ、ちゃんと帰ってくるための変化だった。その実感を胸に、俺はまた前を向いた。


放課後、校門を出ると、空は柔らかな色に染まり始めていた。昼間の喧騒が少しずつ遠のき、子どもたちの足音もまばらになっていく。

「今日はどうする?」

エアリスが自然な調子で聞いてくる。

「少しだけ、丘まで行こうか」

俺がそう答えると、ミリィも小さく頷いた。

三人で歩く道は、これまでと何も変わらない。けれど、心の中では確かな違いを感じていた。無理に気を張る必要も、相手の反応を測る必要もない。ただ一緒に歩いている、それだけでいい。


丘に着くと、風が草を撫で、遠くで鳥の声が聞こえた。ミリィは立ち止まり、深く息を吸う。

「ここ、落ち着くね」

「うん」

エアリスが微笑む。

ミリィは少しだけ間を置いてから言った。

「この前は……私、ちょっと変だったよね」

否定も肯定もしない沈黙が流れる。

「でも今は、ちゃんと分かるの。あの時、心が追いついてなかっただけなんだって」

俺は頷いた。

「無理しなくていい。分からなくなったら、立ち止まればいいんだ」

「……ありがとう、ルーメン」

その言葉には、依存でも焦りでもない、素直な感謝だけがあった。

エアリスが話題を変えるように言う。

「今度は、三人で何を練習する?」

「基礎かな」

俺が答えると、ミリィが少し笑った。

「うん、それがいい。ちゃんと、一歩ずつ」

夕暮れの光の中、三人の影が並ぶ。重なりすぎず、離れすぎず。それが、今の俺たちにはちょうどよかった。

この関係は、壊れなかった。むしろ、前よりも少しだけ、強くなっていた。


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