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ミリィ編 第二十九章 ミリィの変化① 調律魔術後の変化

第二十九章 ミリィの変化

ハーモニック・リコンストラクションを発動した、その直後だった。

世界が切り替わった、という表現が一番近い。ついさっきまで、この丘の空気そのものに絡みついていた、見えない緊張の糸が、ぷつりと音もなく断ち切られたような感覚。風は同じ方向から吹いている。草の匂いも、土の湿り気も変わらない。それなのに、胸の内側だけが、急に静かになった。


ミリィが、小さく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐いた。その仕草が、今までとは明らかに違っていた。落ち着きのない動きでも、張りつめた焦燥でもない。自分の内側を確かめるように、胸元に手を当て、少しだけ首をかしげる。

「あれ……?」

小さな声だったが、そこにははっきりとした戸惑いがあった。

「さっきまで、ずっと……何かに追い立てられてるみたいだったのに。心の中が、ざわざわして、落ち着かなくて……今は……」


言葉を探すように、ミリィは視線を宙に泳がせる。丘の向こうに広がる空は、雲がゆっくり流れているだけで、何一つ変わらない穏やかな午後だ。その光景と重なるように、ミリィの表情も、少しずつ柔らいでいった。

「……静か。すごく、静かです」

そう言って、胸元に当てていた手を、ぎゅっと軽く握る。


その様子を見た瞬間、俺の中に溜まっていた息が、一気に吐き出された。成功した、という安堵よりも先に、「戻った」という確信が胸に広がる。異常を消した、というより、無理に引き伸ばされていた糸が、ようやく本来の長さに戻った感覚だった。ミリィの魔力の暴走した流れも、俺の中で感じ取れる限り、過剰なうねりは消えて、平穏なながれに戻っている。


丘を渡る風が、葉を揺らし、木陰に淡い影を落とす。その音が、今までより少しだけはっきり聞こえた気がした。世界は最初からこんなにも穏やかだったのに、俺たちの内側だけが、勝手に騒がしくなっていただけだったのかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。


ミリィはもう一度、小さく深呼吸をして、安心したように微笑んだ。その笑顔を見て、ようやく俺は、肩に乗っていた重たいものが、確かに下りたことを実感した。


ミリィの魔力の流れは元に戻り、平穏な魔力の流れに戻った。

「……ルーメン?」

ミリィが、少し遅れてこちらを見た。その視線が、ふと俺の手元に落ちる。気づいた瞬間、俺自身もはっとした。無意識のうちに、まだミリィの手を強く握りしめたままだった。


「えっ……あ、ご、ごめん!」

慌てて手を離すと、指先に残っていた温度が、名残惜しいほどはっきりと伝わってくる。離れた瞬間、空気が一段冷えたように感じたのは、きっと気のせいじゃない。


ミリィは一瞬きょとんとした顔をしてから、自分の手を見つめ、ゆっくりと握ったり開いたりした。

「……どうして、私の手、握ってたんですか?」

責める響きはなく、純粋な疑問だけがそこにあった。


俺は言葉を選びながら答える。

「さっきまで、癒し魔術の上位の練習をしてたんだ。ミリィが、教えてほしいって言ってくれただろ?」

できるだけ、自然な流れに聞こえるように。余計なことは言わず、必要な事実だけを並べる。


「……そう、でしたね」

ミリィは少し考え込むように目を伏せ、やがて小さく頷いた。

「覚えてます。私、ブライトヒーリングの練習、ルーメンに教えてもらってました。キュアヒーリングも、エアリスに教えてもらって……ちゃんと、できるようになりました」


その言葉の端々に、変な高揚や焦りは感じられない。落ち着いた声音だった。それが何よりの証拠だった。

「……それで」

ミリィは、少しだけ頬を赤らめながら続ける。

「この手が、どう関係してるんですか?」


一瞬、胸が詰まる。だが、次の言葉に、肩の力が抜けた。

「まあ……ルーメンは友達ですし。手を握るくらい、どうってことないですけど」

そう言って、照れ隠しのように視線を逸らす。

「でも……あたたかい、優しい魔力が入ってきた感じは、まだ残ってます」


「……だから」

ミリィは、少し迷うように指先を揃え、そして意を決したように顔を上げた。

「もう一度、握手してください」

その言葉に、俺は一瞬だけ息を詰まらせた。胸の奥で、慎重になれという声と、大丈夫だという感覚が同時に響く。

「……いいよ」

そう答えて、今度は意識して、ゆっくりと手を差し出した。

ミリィの手は、さっきよりも落ち着いていた。触れた瞬間、以前のような引き込まれる感覚はない。ただ、穏やかな温度と、一定の魔力の流れが伝わってくるだけだ。

魔力の流れは正常だ。その確信が、静かに胸に広がる。


「これからも、よろしくね、ミリィ」

俺がそう言うと、ミリィは驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。

「もちろんです。ルーメンも、エアリスも……大切な友達ですから」

そう言って、少し照れたまま振り返る。

「ね、エアリスも」

「うん」

エアリスは短く答え、何も言わずに手を伸ばした。

三人の手が繋がると、自然と輪ができる。誰かの魔力が誰かに寄り添いすぎることも、引きずり込むこともない。均等で、静かで、心地いい距離感だった。

「みんなで、仲良くしましょうね」

ミリィの声は、どこまでも普通で、柔らかい。

「そうだね」


俺とエアリスも同時に頷き、思わず笑ってしまう。その笑顔の中に、あの切迫した気配はもうなかった。

念のため、俺は片手を離し、空中に小さなウォーターボールを浮かべてみる。水面は揺れもなく、ただ光を反射しているだけだ。

ウォーターボールからは何も聞こえない。

「ミリィ、ウォーターボールに……何か見える?」

慎重に問いかけると、ミリィは首を傾げた。

「ただのウォーターボールですけど……どうかしました?」

「いや、何でもない」

そう答えた瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、すっと抜けていった。

これでいい。少なくとも、今は、すべてが、正しい位置に戻っている。


丘を吹き抜ける風が、少しだけ涼しく感じられた。さっきまで胸の内に残っていた緊張が、風に押し流されていくようだ。

ミリィは空を見上げ、深く息を吸ってから、ふうっと小さく吐いた。

「なんだか……頭の中が静かです」

そう言って、こめかみに触れる。

「さっきまで、ずっと考え事をしていたみたいで。でも今は、何を考えていたのかも、はっきり思い出せません」


その言葉を聞いて、俺は安堵と同時に、胸の奥に小さな痛みを覚えた。あれほど強く引き寄せていた想いが、こんなにもあっさりと落ち着く。それが正常だと分かっていても、どこか後ろめたい。

「ミリィ、気分は悪くない?」

エアリスが、いつもより少しだけ慎重な声で尋ねる。

「大丈夫です」

ミリィははっきりと頷いた。

「むしろ、安心してます。さっきまで、胸の奥がざわざわしていて……理由も分からず落ち着かなかったんです。でも今は、ちゃんと自分の気持ちが自分の中にある感じがします」

その言い方に、俺とエアリスは目を合わせ、静かに頷き合った。

成功だ。少なくとも、あの異常な重なり合いは、もう起きていない。


「じゃあ今日は、ここまでにしようか」

俺がそう言うと、ミリィは少し名残惜しそうに笑った。

「はい。今日は、たくさん練習しましたし……それに」

言葉を切って、二人を見渡す。

「ちゃんと、三人で話せて、嬉しかったです」

その一言が、胸に温かく残った。特別でも、過剰でもない。友達として、ちょうどいい距離で交わされる言葉。

丘を後にする頃には、夕日が地平線に近づいていた。長い一日だった。けれど、確かに前に進めた一日でもあった。

これで、いい。俺はそう自分に言い聞かせながら、二人と並んで歩き出した。


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