ミリィ編 第二十八章 ミリィとルーメン⓻ ブライトヒーリング
「……次は」
あえて、淡々と告げる。
「エアリスから、やってみようか」
場の空気を、少しでも、現実に引き戻すために。
エアリスは一度、深く息を吸い込んだ。
丘の上を吹き抜ける風が、彼女の髪を静かに揺らす。
「……じゃあ、やってみるね」
そう言って、俺の方をちらりと見た。その視線には、不安と同時に、確かな決意が宿っている。
「キュアヒーリングの時と、何が一番違う?」
エアリスの問いに、俺は答えた。
「圧倒的な魔力量と、“発動の瞬間の力”だ」
「ブライトヒーリングは、流れを制御し続ける魔術じゃない」
「一気に、大きく、深く、解き放つ」
エアリスは、何度か小さく頷いた。
「……なるほど」
彼女は目を閉じ、胸の前で両手を重ねる。
その姿は、さっきまでの柔らかな雰囲気とは違い、どこか張り詰めていた。
「大いなる神の力よ……」
詠唱が始まる。声は、少しだけ震えていたが、途切れることはない。
「魂の癒しを与え、聖なる加護の力をこの御霊に授けたまえ……」
魔力が、エアリスの内側で渦を巻くのが、はっきりと感じ取れた。流れは、合っている。発動の感覚も、間違っていない。
だが。最後の言葉を紡ぐ直前、エアリスの肩が、わずかに揺れた。
光は、生まれかけて、消えた。
「……ああ……」
エアリスは、ゆっくりと目を開ける。
「これは……」
苦笑いを浮かべながら、正直な感想を口にした。
「難しいね、ルーメン」
「それに……使う魔力量が、段違いだ」
胸元に手を当て、息を整えながら続ける。
「今の私の魔力量じゃ、発動しきれない」
「感覚は分かるのに、そこまで魔力が届かない感じ」
俺は、すぐに首を横に振った。
「それでいい」
「むしろ、そこまで分かってるなら、十分すぎる」
エアリスは、少し驚いたように目を瞬かせた。
「ほんと?」
「ほんとだよ」
俺は、はっきりと言う。
「流れも、発動の方向も、ほとんど完璧だ」
「足りないのは、ただ一つ、魔力量だけだ」
「そこさえ伸ばせば、必ず使えるようになる」
エアリスは、ほっとしたように息を吐き、小さく笑った。
「そっか……」
「じゃあ、今は無理でもいいんだね」
「いいんだ」
俺は、静かに頷く。
そのやり取りを、ミリィは、じっと見つめていた。
その視線に、焦りと、強い想いが混じっていることに、俺は気づいていた。
エアリスの魔術が静かに収まったあと、少しだけ間が空いた。その沈黙を破ったのは、ミリィだった。
「……次は、ミリィですね」
そう言って、一歩前に出る。
その声は、はっきりしているのに、どこか熱を帯びていた。
「ルーメン先生、細かいところを教えてください」
「うん」
俺は頷き、エアリスに伝えたのと同じように、魔力の流れ、発動の感覚、そして“解き放つ瞬間”について説明する。
ミリィは、一言も逃さないように、真剣に聞いていた。
「分かりました」
そう言って、胸の前で手を組む。
詠唱に入る前、ミリィは一瞬だけ、俺の方を見た。その視線に、期待と、強すぎる想いが混じっているのを、俺は感じ取ってしまう。
「……大いなる神の力よ――」
詠唱が始まる。声は澄んでいて、集中も途切れていない。魔力も、確かに集まっている。
だが、流れが、少しだけ歪んでいた。
「魂の癒しを与え、聖なる加護の力をこの御霊に授けたまえ……」
光が、淡く生まれかける。けれど、それはすぐに揺らぎ、形を保てずに散った。
「……どう、ですか?」
ミリィは、不安そうにこちらを見る。
俺は、正直に答えた。
「悪くない」
「むしろ、かなりいい」
ミリィの表情が、ぱっと明るくなる。
だが、俺は続ける。
「でも、今のは、対象への想いが、一点に寄りすぎてる」
「え……?」
「癒し魔術は、“誰かを癒したい”その気持ちが大事だけど」
「今のミリィは、その“誰か”が、一人に固定されすぎてる」
ミリィは、はっとしたように息を呑んだ。
「……ルーメン先生、怪我をした時……」
「ミリィが、一番に助けたいって、思っちゃいました」
その言葉は、まっすぐすぎるほど、正直だった。
俺は、少し言葉を選びながら答える。
「その気持ち自体は、悪くない」
「でも、ブライトヒーリングは、もっと広く、もっと静かに、相手そのものを包み込む魔術だ」
「“守りたい人”じゃなくて、“癒されるべき存在”として、見る必要がある」
ミリィは、唇をきゅっと噛みしめ、何度も頷いた。
「……はい」
「もう一度、やってみます」
再び詠唱に入るミリィ。
今度は、必死に想いを抑えようとしているのが、伝わってくる。けれど、抑えようとするほど、想いは逆に、濃く、重くなっていた。
光は生まれるが、完成形には、まだ遠い。それでも、ミリィは諦めなかった。何度も、何度も。
その姿を見ながら、俺は胸の奥に、嫌な予感が芽生えていくのを、止められずにいた。このまま続けたら、きっと、良くない方向に行く。
何度目かの詠唱が、また途中で崩れた。淡い光は生まれるものの、すぐに霧散してしまう。ミリィの肩が、小さく震えた。
「……また、だめ」
そう呟いた声は、さっきまでの張りを失っている。
「どうして……」
ミリィは、自分の手を見つめながら、何度も首を振った。
「ちゃんと、言われた通りにしてるのに……相手の気持ちも、考えてるのに……」
声が、次第に掠れていく。
俺が何か言おうとした、その瞬間、ミリィは、ふいにこちらへ歩み寄ってきた。




