ミリィ編 第二十七章 エアリスとルーメン④ エアリスの魔力に干渉
「……ねえ、ルーメン」
エアリスが、少しだけ声を落として呼んだ。
「うん?」
「ルーメンはさ、怖くない?」
その問いは、静かだったけれど、核心を突いていた。
「声が聞こえるって、それも自分の意思とは関係なく、誰かの気持ちが流れ込んでくるかもしれない状況で」
俺は、すぐには答えられなかった。怖くないかと聞かれたら、正直、怖い。水を見るたびに身構えてしまう自分がいる。何も聞こえなければ、それでいいと願ってしまう瞬間もある。
「……怖いよ」
ようやく、そう答えた。
「でも、それ以上に、何が起きてるのか分からないまま、放っておく方が、もっと怖い」
エアリスは、ゆっくり頷いた。
「うん、ルーメンらしいね」
からかうでもなく、ただそう言った。
「私だったら、きっと見ないふりしたくなる」
「エアリスでも?」
「するよ」
少し苦笑してから、続ける。
「だって、誰かの気持ちが絡んでると、正解が分からなくなるもん」
その言葉に、胸が少し締めつけられる。
「……ミリィの気持ちが、本当だったら」
思わず、口に出してしまった。
「その時、どうすればいいのか、分からない」
エアリスは、すぐには返事をしなかった。代わりに、俺の隣に腰を下ろす。同じ景色を見ながら、同じ方向を向いて。
「ね」
静かに、エアリスが言った。
「もし、本当だったとしても、ルーメンが悪いわけじゃない」
「……うん」
「それに、ルーメンが誠実に向き合おうとしてるなら、それだけで、ちゃんと意味があると思う」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ありがとう、エアリス」
「どういたしまして」
そう言って、エアリスは小さく笑った。
「今は、“何が起きているのか”をちゃんと見極める段階だよ」
「うん」
「だから、焦らない。無理に結論を出さない」
その一つ一つの言葉が、指針になる。
俺は、深く息を吸って、吐いた。まだ、始まったばかりだ。そう、心の中で確かめながら。
「ねぇ、ルーメン」
静かな声。
けれど、どこか覚悟を含んだ呼びかけ。
「私が……消えかけてた時のこと、覚えてる?」
「……もちろん覚えてるよ」
忘れるはずがない。
「あの時は、エアリスのために必死だったからね」
そう言うと、エアリスは小さく笑った。
「うん……そうだったね」
そして、少し視線を落としてから、続ける。
「その時ね。ルーメンの魔力が、私の中に入ってきた瞬間……私、思ったんだ」
風が葉を揺らし、木漏れ日が揺れる。
「――あ、優しい、って」
俺は息を詰めた。
「魔力が触れてきたっていうより……
包まれた、みたいな感じで。
「この魔力を、ずっと感じてたいな、って……」
一瞬、胸の奥がざわつく。
「そうなの?」
声が、少しだけ低くなった。
「やっぱり……魔力を相手に流し込むと、そんなふうに感じるものなんだね」
エアリスは首を横に振る。
「ううん。誰の魔力でも、同じってわけじゃないと思うよ」
そして、こちらを見て、はっきりと言った。
「ルーメンの魔力だったから、そう感じたんだと思う」
その言葉に、思わず視線を逸らす。
「……私にもね、ルーメンの顔が水に映る現象、残してほしかったかな」
冗談めかした口調。けれど、その奥にある本音が、少しだけ透けて見えた。
「それは……」
俺は苦笑して言う。
「さすがに、エアリスも困っちゃうでしょ」
「困らないよ。むしろ嬉しい」
でも、すぐに表情を引き締める。
「……だけど、問題はそこじゃないよね」
エアリスは、空を見上げる。
「ミリィとルーメンが、水を介してがっちゃってる。それが、一番の問題」
「そうなんだよ」
俺は頷いた。
「何か……ずっと見張られてるような気がしてさ」
一瞬、沈黙が落ちる。
「何か、いい方法ないかな?」
エアリスが言う。
「リリィ先生に相談してみる、とか」
「それも考えたんだけど……」
正直な気持ちを口にする。
「さすがに、話しにくくてね」
エアリスは少し考え込み、やがて、意を決したようにこちらを見る。
「……ねぇ」
そして、静かに言った。
「私に、同じことしてみて」
「え?」
「ルーメンの魔力を、私に流し込んでみてよ。私がどうなるかで、何か解決の糸口が掴めるかもしれない」
思わず、首を振る。
「それは……エアリスも、ミリィと同じようになっちゃったら……」
言葉を選びながら続ける。
「僕、誰に相談していいか、分からなくなる。それは……正直、怖い」
「そっか……」
エアリスは一度頷いた。
だが、すぐに一歩、こちらに近づく。
「でも、このままだと……ミリィとのこと、止められないよ」
そう言って、エアリスは手を差し出した。
「少しだけでいいから。ほら……やってみよう?」
俺は、しばらくその手を見つめたあと、静かに頷いた。
「……分かった。少しだけだよ」
そして、念を押す。
「危ないと思ったら、すぐに手を離して」
エアリスの手を握る。その瞬間、彼女の魔力の流れが、はっきりと感じ取れた。正常で、澄んでいて、安定している。そこに、慎重に、ほんの少しずつ、自分の魔力を流し込む。
その瞬間だった。エアリスの魔力が、まるで吸い付くように、俺の魔力に寄り添ってきた。
「……っ」
一体化。干渉なんて言葉では足りないほど、自然に。なに、これ……?そう思った瞬間。
「……もう、無理かも」
エアリスがそう言って、手を離した。
「ルーメン……これは、危険だよ」
少し息を乱しながら、エアリスは言う。
「ルーメンの優しい魔力に……心が、全部持っていかれそうになる」
一瞬、言葉が途切れる。
「……ただでさえ私、ルーメンのこと……」
「あ、違う違う」
すぐに首を振る。
「今のなし!それより、ルーメン、何かわかった?」
俺は深く息を吐いた。
「……分かったよ」
そして、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「エアリスの中に魔力を流した時、僕の魔力に、エアリスの魔力が寄り添ってきて……完全に一体化していった」
「……やっぱり」
「たぶんね、干渉どころじゃない。
魔力そのものが、一つになりかけてた」
「じゃあ……」
エアリスが不安そうに聞く。
「この一体化した魔力を、分離して、本人の持つ本来の魔力に戻してあげないと……いけないんだと思う」
「エアリス、体に異変は?」
「今は……特にないよ」
そう答えつつ、少しだけ視線を伏せる。
「でも、このまま続けてたら……ミリィと同じようになっちゃいそうって、思った」
そして、小さな声で。
「……それでも、ミリィの気持ちが変わらなかったら……どうしよう」
俺は、しっかりと頷いた。
「やっぱり、そうだよね」
そして、はっきり言う。
「ありがとう、エアリス。本当に、助かった」
エアリスは少し照れたように笑った。
「役に立てたかどうかは、分からないけど……ルーメンの役に、少しでも立てたなら」




