ミリィ編 第二十七章 エアリスとルーメン① 水のない丘で
第二十七章 エアリスとルーメン
放課後の校門を出ると、村へ続く道には、いつもより人影が少なかった。子どもたちの笑い声も、今日はどこか遠く、風に溶けていく。
エアリスは、ミリィに誘われたらしいが、やんわりと断ってくれていた。
そのことを、彼女自身は何でもないように言ったが、俺には分かった。気を遣わせてしまった、と。
「……今日はさ」
歩きながら、俺は少し視線を逸らして言った。
「まっすぐ帰らずに、丘の方へ行ってもいい?」
エアリスは一瞬だけ俺の顔を見て、すぐに頷いた。
「うん。いいよ」
理由を聞かない、その優しさが、逆に胸に刺さる。丘へ向かう小道は、夕方の光に照らされ、草の影が長く伸びていた。
しばらく、二人とも黙って歩く。足元の小石を踏む音だけが、やけに大きく響く。
「……この前のことなんだけど」
意を決して、口を開いた。
「ミリィに、頼み込まれてさ」
エアリスの歩調が、ほんの少しだけ緩む。
「水魔術の練習で……どうしても上位を習得したいって」
俺は、言葉を選びながら続けた。
「それで……本当は、やっちゃいけないことをした」
風が吹き、草がさわさわと揺れる。空は、昼と夜の境目の色をしていた。
「ミリィの体の中に、俺の魔力を流したんだ」
はっきり言った瞬間、胸の奥がきしんだ。
「直接、魔力に干渉する形で」
エアリスは驚いた様子だったが、遮らずに聞いてくれる。
「結果的には、魔術は習得できた。ミリィも、すごく喜んでた」
「……でも、あとから考えたら、あれは間違いだったと思う」
声が、少し低くなった。
「相手の中に魔力を流し込むなんて、軽く考えていいことじゃなかった」
エアリスは、ゆっくり息を吐いた。
「……それで?」
「それだけは、先に伝えておきたかった」
丘へ続く坂道が、目の前に現れる。大きな木の影が、地面に広がっていた。俺は、立ち止まり、空を見上げる。
「ここから先は……丘に着いてから話す」
エアリスも足を止め、静かに頷いた。
「うん。ちゃんと聞くよ」
その言葉に、胸の奥の緊張が、ほんの少しだけ緩んだ。
丘の上に着くと、風の音がはっきりと変わった。村を包んでいた生活の気配は下に置き去りにされ、ここには、草と土と空だけがある。
丘の中央に立つ大木は、夕焼けを背に、静かにそこに在り続けていた。何年も、何十年も、子どもたちの秘密や悩みを見下ろしてきた木だ。
俺はその幹に背中を預け、深く息を吸った。
「……ここからは、もっと変な話になる」
エアリスは少し距離を置いて、同じように木にもたれた。
「うん」
短い返事だったが、逃げないという意思が伝わってくる。
「魔力を流し込んだ、その日の夜から……俺の体に、変な異変が起き始めた」
自分で口にすると、改めて現実味が増す。
「最初は、些細なことだったんだ。夕食のとき、水を飲んだら……コップの中から、声が聞こえた」
エアリスの視線が、俺の顔に向く。
「ミリィの声で『ルーメン』って、呼ばれた」
胸の奥が、じくりと痛む。
「最初は、空耳だと思った。でも、次の日も、その次の日も……水を口にするたび、同じだった」
コップ、洗面の水、井戸の水。形も量も違うのに、共通しているのは、水であること。
「声は、返事を求めてくるわけじゃない。会話になるわけでもない」
俺は首を横に振る。
「ただ……呼ばれるんだ」
「……一方通行、なんだね」
エアリスが、静かに言った。
「うん」
その言葉に、少し救われる。
「それだけなら、まだ耐えられた」
俺は視線を遠く、川の方へ向けた。
「でも、登校途中に、川の近くを通ったとき……声が、増えた」
短く、はっきりと言った。
「『早く会いたい』『ルーメンは優しい』『魔術がすごい』 ……そんな言葉が、ずっと、流れてきた」
耳を塞いでも、消えない。目を閉じても、止まらない。
「水の流れに、感情が乗ってるみたいだった」
言葉にすると、余計におかしい。
「嬉しそうで、楽しそうで……でも同時に、逃げ場がなくて」
俺は、拳を握りしめた。
「これは、俺がやったことの結果だ」
エアリスは、何も言わずに聞いている。
「ミリィの中に入れた俺の魔力が、完全に消えずに残って……それが、水を介して、繋がってしまってるんだと思う」
空が、少しずつ暗くなり始める。
「正直、怖い」
ぽつりと、零した。
「ミリィの気持ちなのか、魔力の影響なのか、俺には、まだ分からない」
沈黙が落ちる。大木の葉が、かすかに擦れ合う音だけが響く。
「……だから」
俺は、エアリスを見る。
「この先、どう動くか、間違えたらいけないって思ってる」
ここで、言葉を切った。




