ミリィ編 第二十六章 魔力コネクト⑤ 水面に映る
翌朝、目を覚ました瞬間、俺ははっきりと理解した。終わっていない。それどころか、前日より、はっきりしている。
布団の中で身じろぎすると、胸の奥が、わずかに波打った。水面に石を落としたような、小さく、でも確かな揺れ。
(……また、だ)
声ではない。音でもない。それでも、確実に“誰のものか分かる感情”が、朝の静けさの中で、流れ込んでくる。
――おはよう
――今日は、会えるかな
――昨日より、少し元気
言葉の形をしていないのに、意味だけが、連なっていく。まるで、水越しに独り言を聞いているようだった。
起き上がり、洗面台へ向かう。顔を洗うために、水を出す。その瞬間、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
(……近い)
距離が縮んでいる。理由は分からない。ただ、昨日よりも、感情の輪郭がくっきりしている。
――ルーメン
――今日は、ちゃんと笑えた
――早く、会いたい
呼ばれている気がした。いや、呼ばれているわけじゃない。想われている。それが、水という形を借りて、俺の内側に流れ込んでくる。蛇口を閉め、深く息を吐く。
(……これは、まずい)
好意だ。疑いようもない。
それも、軽い憧れや一時の高揚じゃない。昨日よりも、今日のほうが、確実に“重い”。
制服に着替えながら、無意識に胸元を押さえる。そこに、自分の魔力の流れがあるのが、はっきり分かってしまう。俺が、触れたからだ。助けるために。教えるために。でも、その境界を越えた。
家を出る準備をしながら、俺は決める。
(……今日、話そう)
このまま曖昧にするわけにはいかない。
切るのか。整えるのか。少なくとも、知らないふりはできない。玄関を出た瞬間、朝の空気が頬に触れた。その中に、かすかな温度を感じる。
――大丈夫
――待ってる
優しくて、無邪気で、それゆえに、重たい想い。俺は一度だけ、目を閉じた。そして、静かに歩き出す。この“揺れ”を抱えたまま。
休み時間。席に座っていると、視線の端に、ミリィの姿が見えた。歩き方はいつも通り。表情も、普段と変わらない。それなのに、胸の奥が、わずかにざわつく。
近づいてくる。水を介したあの感覚が、距離とともに、はっきりしていく。
ミリィは俺の前で立ち止まり、少しだけ首を傾げて微笑んだ。
「ルーメン」
名前を呼ばれただけなのに、内側がきゅっと締まる。俺は、決めていた言葉を口にする。
「ミリィ……本当にごめん。今日は、母さんに頼まれごとされててさ。だから、今日は遊べないんだ。ごめんね」
一瞬、ミリィの瞳が揺れた。ほんの一瞬だ。でも、その揺れが、水越しに胸へ伝わる。
「……それじゃ、仕方ないですね」
声は落ち着いている。無理に明るくもしていない。それが、余計に胸に刺さる。
「また、次の日で」
そして、少しだけ笑って、続けた。
「今日は、たらいに水を張って、水面に映るルーメンと……お話しておきますね」
冗談めかした口調。
けれど、その裏にある感情が、否応なく流れ込んでくる。
――寂しい
――でも、待つ
――繋がってるから
(……やっぱり、これは……)
ミリィは手を振って、人混みの中へ戻っていった。
残された俺は、深く息を吐く。すんなり理解してくれたのは、ありがたい。
(……ちょっと、ホラーだな)
笑えない冗談が、胸の中に重く残った。
次の休み時間、廊下ですれ違いざま、俺はエアリスに声をかけた。
「エアリス、昨日言ったけど、今日……ちょっと相談したいことがある」
一瞬、彼女の視線が、俺の目を捉える。
それだけで、何かを察したのが分かった。
「……約束だもんね、わかった」
その直後。水の気配。教室の隅に置かれた水差し。窓際の花瓶。誰かの机の上のコップ。それらすべてが、同時に“ざわり”とした気がした。
――大丈夫
――ちゃんと、待ってる
――ルーメン
声はない。音もない。それでも、確かに“想い”だけが流れ込んでくる。
俺は、ぎゅっと拳を握った。
(……今日、話す)
この現象を。この繋がりを。そして、どうすればいいのかを。エアリスに。




