ミリィ編 第二十六章 魔力コネクト④ 夜、おやすみ
夕食の席、湯気の立つスープ、木の皿に盛られた料理、家族の声。いつもなら、自然に溶け込めるはずの光景だった。
――ルーメン、今、なに食べてるの?
スプーンを口に運ぶ直前、水の入ったカップから、微かな“気配”が立ち上がる。
(……来た)
声ははっきりとは聞こえない。けれど、確かに“意味”を伴って流れ込んでくる。
問いかけ。興味。共有したいという気持ち。
(やめろ……)
心の中で強く念じても、水面は何事もなかったかのように揺れているだけだ。
母さんが言う。
「ルーメン、どうしたの? 今日は静かね」
「……ちょっと考え事してただけ」
嘘ではない。だが、真実の半分も言えていない。
――おいしそうだね。
――ルーメンの家のご飯、あったかそう。
胸が、ずきりと痛む。この声は、欲求じゃない。支配でも、命令でもない。ただ、寄り添おうとする感情だ。だからこそ、拒絶するのが難しい。
食後、手を洗おうと水場に立つ。水が流れた瞬間、はっきりとした“輪郭”が生まれた。
――ルーメン、そこにいるよね。
声は、昨日よりも近い。距離が縮まっている。
(……まずい)
俺は蛇口を閉め、手を拭くのも忘れて、少し後ずさった。
これは偶然じゃない。水に触れるたび、水の近くにいるたび、“繋がり”が反応している。しかも、一度きりじゃない。
井戸。桶。カップ。川。水がある限り、この感覚は、何度でも起きる。
――ねえ、ルーメン。
――明日も、会えるよね。
その“願い”が、声に乗って、静かに伝わってくる。俺は、拳を握りしめた。
(……これは、放っておけない)
ミリィの想いは本物だ。それを否定するつもりはない。けれど、この形のまま、続かせてはいけない。誰のためでもなく。ミリィ自身のために。そして、俺と、エアリスと、三人で過ごしてきた“今”を壊さないために。
明日。必ず、話す。そう決めた瞬間、水場の奥で、最後にひとつだけ、声が揺れた。
――おやすみ、ルーメン。
その声は、不思議なほど、やさしかった。
夜、布団に入っても、なかなか眠れなかった。
目を閉じると、水面が浮かぶ。揺れる光。微かに反射する影。
――ルーメン。
声は、はっきりとは聞こえない。それなのに、意味だけが胸の奥に届く。
(……距離が、縮んでる)
昼間よりも、夕方よりも、今は、さらに近い。水に触れていない。コップも、桶も、近くにない。それでも、“感じる”。
胸の内側に、静かに波紋が広がるような感覚。
――今日ね、学校でね。
――ルーメンの席、見ちゃった。
言葉は流れ込む。会話じゃない。問いかけでもない。ただの“共有”。
嬉しかったこと。少し寂しかったこと。早く会いたいと思った気持ち。それらが、水のように、境目なく伝わってくる。
(……これは)
思わず、胸元を押さえた。
俺が教えた魔術。俺が流した魔力。それに触れた、ミリィの感情。全部が、絡み合っている。
――ルーメンは、優しいね。
――だから、安心する。
その“安心”が、俺の中に、重く残る。守ってあげたい。突き放したくない。でも。
(このままじゃ、だめだ)
この感覚が続けば、ミリィは、俺に縋るようになる。無意識のうちに。水を見るたび。俺を感じるたび。それは、友達としての距離じゃない。俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「……エアリスに、話そう」
声に出すと、少しだけ、現実に戻れた気がした。
――ルーメン?
一瞬、声が強くなった気がした。長く。言葉を繋げるように。
――今日も、ありがとう。
――ルーメンがいてくれて。
胸が締め付けられる。それは、好意だ。疑いようのない。でも、好意だからこそ、きちんと向き合わなければならない。
(……明日だ)
エアリスに、全部話す。隠さない。逃げない。
そう決めた瞬間、声は、少しずつ遠ざかっていった。水が静まるように。波紋が消えるように。
最後に残ったのは、胸の奥に沈んだ、温かい余韻だけだった。
――おやすみ、ルーメン。
それは、もう“音”ではなく、ただの気配だった。
俺は、目を閉じる。眠りに落ちる直前、はっきりと思った。この現象は、必ず、解かなければならない。誰かを傷つける前に。誰かに縛られる前に。




