ミリィ編 第二十六章 魔力コネクト③ エアリスとの会話中
休み時間を告げる鐘が鳴った瞬間、教室の空気が一気に緩んだ。
椅子を引く音、立ち上がる気配、あちこちから聞こえる話し声。
そのざわめきに紛れるように、胸の奥に、また“それ”が触れてくる。
――ルーメン、いるよね。
――今、こっち向いてる?
声は、朝よりもはっきりしていた。言葉の形を持ち、感情の輪郭もくっきりしている。
(……まずいな)
机の上に置いた水筒から、視線を逸らす。だが、見ていなくても、存在は分かる。
水がある場所なら、どこでも。距離は、関係ない。
(川だけじゃない。家のコップだけでもない……)
気づいた瞬間、背中に冷たいものが走った。昨日までの俺なら、魔力の異変といえば、目に見える現象ばかりを想像していた。光が溢れるとか、暴走するとか、制御不能になるとか。
けれど、これは違う。静かで、穏やかで、だからこそ、気づきにくくて、深く入り込んでくる。
――ルーメン、ねえ。
――休み時間、何してるの?
問いかけるような響き。返事を期待しているのが、痛いほど分かる。
(……返したら、だめだ)
心の中で、何度も自分に言い聞かせる。声に応じたら、何かが決定的に変わってしまう気がした。
その時、隣の席のエアリスが、そっとこちらに身を寄せてきた。
「……ルーメン」
小さな声。周囲には聞こえないよう、慎重に。
「ちょっと、顔、変だよ」
「……そう?」
「うん。考え事してる時の顔」
エアリスは、俺の机の上を一瞬だけ見た。水筒。その視線は、ほんの一瞬で戻る。
「実は、今日エアリスに相談に乗ってもらいたいことがあるんだ」
「今日、ゆっくり話したいことがあるって言ってたよね」
「ゆっくりか、時間かかるよね。今日は家の手伝いがあるから、明日の放課後でいい?」
「うん。助かる」
短いやり取り。それだけで、十分だった。
エアリスはそれ以上何も聞かず、自分の席へ戻っていく。その背中に、静かな信頼を感じる。
――ルーメン。
また、声。今度は、少しだけ不安が混じっていた。
――なんで、黙ってるの?
その一言に、胸がきゅっと締めつけられる。
(……違う)
黙っているのは、拒絶じゃない。守るためだ。自分を。ミリィを。そして、今の関係を。
俺は、深く息を吸い、ゆっくり吐いた。
この現象の正体。どう対処すべきか。誰に、どこまで話すべきか。少なくとも一つだけ、はっきりしている。
もう、見なかったことにはできない。
休み時間の終わりを告げる鐘が鳴るまで、声は、静かに、途切れ途切れに続いていた。
放課後の鐘が鳴った瞬間、教室の空気が一気に切り替わった。机を片づける音、鞄を持ち上げる気配、廊下へ流れていく人の波。
俺は、いつもより少しだけ動作を遅らせた。無意識に、水のある場所を避けるように。
けれど、意味はなかった。
教室の窓際。廊下の掃除用バケツ。誰かが持っている水筒。
それらが、まるで一本の糸で繋がっているかのように、同時に“気配”を伝えてくる。
――ルーメン、今から帰るの?
――一緒に帰れたらいいのに。
声は、はっきりとした文章になっていた。朝や休み時間の断片的な響きとは違う。
(増えてる……)
現象の数が、明らかに増えている。一か所からではない。水が存在する複数の点から、同じ感情が、同じ方向に向かって流れ込んでくる。
それは、魔力というより「想い」だった。
(落ち着け)
自分に言い聞かせる。感情に引きずられたら、きっと取り返しがつかなくなる。
「ルーメン」
声をかけてきたのは、エアリスだった。鞄を肩にかけ、こちらを見ている。
「先に外で待ってるね」
「……ああ、すぐ行く」
エアリスは何も言わずに頷き、教室を出ていった。その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。
――ルーメン、誰かと話してる?
声が、少しだけ尖る。さっきまでの柔らかさが、ほんのわずかに揺らいだ。
(……聞こえてるのか?)
いや、違う。聞こえているわけじゃない。
ただ、感じ取っているだけだ。俺の気配の変化を。それが分かってしまうことが、余計に怖かった。




