ミリィ編 第二十五章 ミリィの挑戦② ウォータースライスの初挑戦
しばらく休憩を挟み、三人は川辺の石に腰を下ろした。水の流れる音が、さっきまで張りつめていた空気をゆっくりと和らげていく。
ミリィは川を見つめたまま、ぽつりと言った。
「……ルーメン先生」
「ん?」
「中位までは、努力すれば届く場所だって、今日、はっきり分かったよ」
その横顔は、どこか真剣で、少しだけ不安も混じっている。
「でもね……上位は、違う気がする」
俺は何も言わず、続きを待った。
「ウォータースプラッシュは、水を“増やす”感じだった。でも……上位は、水そのものを“変える”気がするの」
エアリスも静かに頷いている。
「……いいところに気づいたね」
俺は立ち上がり、川の少し上流を指差した。
「じゃあ、見せるよ。ミリィ、エアリス、ちゃんと距離を取って」
二人は素直に後ろへ下がる。
その表情には、期待と、ほんの少しの緊張が混じっていた。
「この魔術は、水魔術の上位、ウォータースライス」
俺は一歩前に出る。
足元の感覚を確かめ、魔力を集める。
ウォータースプラッシュの時のように“広く”ではない。
意識は一点。集めた魔力を、極限まで圧縮する。
「偉大なる水の魂よ、ここに集いし水の根源よ、脅威なる力を今ここに現したまえ……ウォータースライス」
次の瞬間。水面が、音もなく“裂けた”。まるで、見えない刃が走ったかのように、川の流れが一瞬だけ左右に押し分けられる。遅れて、水しぶきが高く舞い上がった。
「……っ!」
ミリィとエアリスが、同時に息を呑む。
「かわ……割れた……?」
エアリスが呆然と呟く。
「これでも、かなり抑えてるんだけどね」
俺がそう言うと、二人は揃ってこちらを見る。
「これが……上位……」
ミリィは、しばらく言葉を失っていた。
「ウォータースプラッシュまでは、水を動かす魔術。でもウォータースライスは、水を刃として扱う」
俺は川を指差しながら、ゆっくり説明する。
「だから魔力の流れは、大きく集めて、一点に集中させて、一瞬で解放する」
「長く出すんじゃなくて……一瞬」
「そう。ほんの一瞬に、全てを込める」
ミリィは何度も頷き、必死に言葉を噛みしめている。
「……すごく、怖い魔術だね」
「うん。当たれば、怪我じゃ済まない」
だからこそ、俺は続けた。
「無理にやる必要はない。上位は、時間をかけて身につけるものだから」
ミリィは少し俯いたまま、黙っていただが、その手は、ぎゅっと握りしめられている。
「……それでも」
やがて、顔を上げる。
「それでも、私は、ウォータースライスを使えるようになりたい」
その瞳には、迷いよりも、決意が宿っていた。俺は小さく息を吐き、微笑んだ。
「分かった。じゃあ、挑戦してみようか」
川の音が、少しだけ強く聞こえた気がした。
ミリィは川の前に立ち、深く息を吸った。さっきまでの賑やかな空気は消え、川辺には水音と風の音だけが残っている。
「……やってみます」
その声は小さいが、はっきりしていた。
「焦らなくていい。ウォータースプラッシュとは、まったく別物だからね」
「はい……分かってます」
ミリィは両手を胸の前で組み、目を閉じる。何度も何度も、さっき俺が話した言葉を頭の中で反芻しているのが分かる。
一点集中。一瞬に込める。
「偉大なる水の魂よ、ここに集いし水の根源よ、脅威なる力を今ここに現したまえ……」
詠唱の途中で、ミリィの眉がわずかに寄った。魔力の流れを感じ取ろうとしている証拠だ。
「……ウォータースライス!」
次の瞬間。水面が、ふわりと揺れただけだった。
水は円盤状に集まりかけたが、形を保てず、そのまま崩れて川へと溶け込んでいく。
「……あ」
ミリィは目を見開き、唇を噛んだ。
「今のは……惜しい」
俺はすぐに声をかける。
「水を集めるところまでは、できてた。でも、集中が少し散った」
「……集中……」
ミリィは自分の手を見つめ、ぎゅっと握りしめる。
「もう一回、やってみます」
「いいよ。でも、魔力は無理に押し出さなくていい」
エアリスも少し前に出て、ミリィの様子を見守っている。
「ミリィ、大丈夫だよ。さっきの詠唱、ちゃんとできてたし」
「……うん、ありがとう」
ミリィは再び構える。
今度は、少し長めに間を取った。
水の流れを“感じる”ことに、意識を集中させている。
「偉大なる水の魂よ――」
「ウォータースライス!」
水が、今度ははっきりと円盤状に形を成した。だが、回転が弱い。
水の刃は、川面に触れた瞬間、ぱしゃりと音を立てて砕け散った。
「……っ」
ミリィは悔しそうに肩を落とす。
「できない……」
「できてない、じゃない」
俺は首を振る。
「届いてないだけだ」
ミリィは顔を上げる。
「届いて……ない?」
「上位魔術はね、出すって感覚じゃ足りない」
俺は自分の胸に手を当てる。
「水を、自分の意思で使うって感覚が必要なんだ」
「……使う……」
ミリィは目を伏せ、考え込む。
三回目、四回目。何度も挑戦するが、結果は同じだった。
水は集まる。形もできる。だが、“切る”ところまで至らない。
やがて、ミリィの額にうっすらと汗が滲み始めた。
「……はぁ……はぁ……」
「ミリィ、少し休もう」
俺が声をかけると、ミリィは首を横に振った。
「まだ……いけます」
その声は強がっているが、魔力の消耗は明らかだった。
エアリスが心配そうに言う。
「無理しないで……」
ミリィは、ぎゅっと唇を噛みしめる。
「……できないのが、悔しい」
その一言に、すべてが詰まっていた。
「ルーメン先生が、あんなに簡単に使えるのに……私は、全然……」
拳が震えている。
俺は、その様子を静かに見つめながら思った。ミリィは、もう十分すぎるほど頑張っている。だが、この壁は、努力だけでは越えられない場所にある。そしてミリィ自身も、それを薄々感じ始めている。川の流れは変わらず続いているのに、ミリィの時間だけが、足踏みしているようだった。




