ミリィ編 第二十四章 ミリィとエアリスとルーメンと⑥ 魔術練習・翌日
それからというもの、放課後の川辺は、三人にとって特別な場所になった。
誰かが声をかけなくても、気づけば自然と集まっている。授業が終わると、顔を見合わせて、軽く頷く。それだけで十分だった。
「今日は、何からやる?」
エアリスがそう聞くと、ミリィが少し考えてから答える。
「……昨日のヒーリング、もう一回やりたいです」
「いいね」
俺は頷いた。
「回復魔術は、毎日少しずつやるのが一番いい」
ミリィは真剣な顔で、何度も頷く。
以前なら、人の目を気にして俯いていたはずなのに。今はもう、そういう仕草はほとんど見られなくなっていた。詠唱の声も、最初の頃よりはっきりしている。
「我が御霊より、このものに、癒しの力を……ヒーリング」
淡い光が、安定して手のひらに灯る。
「……できてますよね?」
「うん。ちゃんと安定してる」
そう伝えると、ミリィは安心したように息を吐いた。
「前は……できるかどうか、すごく怖かったんです」
ぽつりと、そんなことを言う。
「失敗したら、やっぱり私には無理なんだって思っちゃいそうで」
「でも、今は?」
エアリスが優しく聞く。
ミリィは少し考えてから、照れたように笑った。
「失敗しても……またやればいいかなって思えるようになりました」
その言葉に、エアリスが嬉しそうに頷く。
「それ、大事なことだよ」
練習の合間には、他愛もない話も増えていった。学校の授業のこと。苦手な科目のこと。家での出来事。
「私、前は放課後って、家に帰るだけで……」
ミリィは川の流れを見つめながら言った。
「誰かと遊ぶとか、あまりなくて」
「今は?」
俺が聞くと、ミリィはすぐに答えた。
「……楽しいです」
その声は、迷いのないものだった。
「毎日、今日は何をするのかなって考えるのが、楽しくて」
エアリスが笑う。
「それ、いいね」
「はい」
ミリィも、つられるように笑った。
風魔術の練習では、エアリスが少し先を行く。
「ほら、風はこうやって――」
「えっ、そんなに細かく……」
ミリィは目を丸くする。
「エアリス、すごいね」
「ルーメンに教えてもらったから」
そう言って、少し照れたように笑う。
俺は二人の様子を見ながら、ふと思った。
この時間そのものが、ミリィにとっての“居場所”になっている。魔術が上達することだけじゃない。誰かと並んで笑えること。失敗しても、また挑戦できること。それを、少しずつ覚えていっている。練習の終わり、ミリィはいつものように言った。
「ルーメン先生、ありがとうございました」
「……だから、その呼び方」
そう言いつつ、もう本気で止める気はなかった。
「また明日も、よろしくお願いします」
「うん」
俺は頷く。
「明日も、無理のないところまでな」
川辺を離れる頃、夕日が水面を赤く染めていた。三人の影が並んで伸びる。その影は、もう誰かを怯えさせるものじゃない。ただ、同じ方向へ歩いていく、三人分の影だった。
その帰り道、ミリィはいつもより少しだけ歩くのが遅かった。夕暮れの空を見上げたり、足元の小石をつま先で転がしたりしながら、何か考え込んでいるようだった。
「……ミリィ?」
エアリスが声をかけると、ミリィははっとして顔を上げた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事してました」
「何かあった?」
少し迷ったあと、ミリィは小さく首を振る。
「ううん、大したことじゃないんです。ただ……」
言葉を探すように、一拍置く。
「前は、放課後がこんなに長く感じること、なかったなって思って」
「長い?」
俺が聞くと、ミリィは慌てて首を振った。
「いい意味です。楽しいと、時間が早く過ぎるって言うじゃないですか。でも……今は、ゆっくり流れてる感じがして」
エアリスが微笑む。
「分かるかも。安心してると、そう感じるよね」
「はい」
ミリィはそう言って、胸の前で両手を握った。
「家に帰ると、両親は忙しくて、ほとんど話せない日も多くて……。悪いわけじゃないんですけど、ひとりで考える時間が多かったんです」
その声は落ち着いていたが、どこか素直だった。
「でも今は、学校が終わっても……」
ちらりと、俺とエアリスを見る。
「帰るまでに、ちゃんと“今日”がある気がします」
その言葉に、胸の奥が静かに温かくなった。
そうか、ミリィにとって、ただ誰かと一緒に歩くこと。それだけでも、こんなに大きな意味を持つんだ。
家の近くまで来ると、ミリィは少し名残惜しそうに足を止めた。
「明日も……川辺ですよね?」
「もちろん」
エアリスが即答する。
「今日は水と火だったから、明日は風か土、どっちがいい?」
「えっと……風、もう一回やりたいです」
「了解」
そう答えると、ミリィはほっとしたように笑った。
「……私、ちゃんと続けられてますよね」
「続けられてるし、ちゃんと上手くなってる」
俺がそう言うと、ミリィは少し驚いた顔をしたあと、ゆっくり頷いた。
「ありがとうございます。……ルーメン」
呼び捨てだった。
本人も気づいたのか、一瞬だけ目を丸くして、それから照れたように微笑む。
「……慣れてきました」
その笑顔は、最初に出会った時とは、まるで別人のようだった。別れ際、ミリィは深く一度お辞儀をした。
「明日も、よろしくお願いします」
「うん。また明日」
家に向かう途中、エアリスがぽつりと言った。
「ミリィ、変わったよね」
「うん」
俺も頷く。
「でも、無理してる感じじゃない」
「そうだね。……前からあったものが、出てきただけかも」
その言葉に、俺は納得した。
人は、環境が変わると変わる。でも、誰かと並んでいられる場所ができると、“本来の自分”が戻ってくる。川辺での練習は、ただの魔術の時間じゃない。それぞれが、自分の居場所を確かめる時間だった。
夕焼けの中、俺は思う。この出会いは、きっと長く続く。そう確信できるほど、穏やかな日常が、そこにはあった。
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