52話 入学式の朝
「よ、よおし……!」
ルチアは何度目かの「よおし」を言った。
ルチアが対面しているのは、真新しい彼女の制服である。
今日は入学式。
ドキドキしすぎていつもより早く起きてしまった。
ララは早朝のランニングに出て行って、しばらく帰ってこないだろう。
「ふぅぅぅーー……」
ルチアは何度目かの息を吐いた。
「もう着替えるの?」
「っわ!?」
部屋にルチアしかないからこれ幸いとユキが青年の姿で突然現れた。ユキの登場の仕方は、ルチアの心臓に悪い。
ユキはルチアと制服を見比べる。
「は、早く着替えすぎて楽しみにして浮き足立ってると思われないかな、って……考えてしまって」
「そんなこと気にするの?」
ユキは不思議そうに首を傾げる。
「気にしないかもですけどお……」
「昨日もこういう制服来てた人いたよ?」
「た、確かに……」
推測新入生らしき人が私服でもローブでもなく制服を着用している姿は、たびたび見られた。
それがルチアは今日になるだけだし、昼の入学式ではみんな同じ服を着ているのだ。
どうして朝からこの服を着て恥ずかしくなるのだろうか。
「よぉし……!」
その勢いのまま、シャツを手に取り腕を通した。
タイツに足を通し、ズボンを履き、ジャケットを羽織る。
腰布を左脚にスリットがくるように巻き付け、細かな装飾を付ける。
「はわ……はわわ……」
制服を着てしまった。
「ルチア」
「あ、はい。すみませんありがとうございます」
ユキは櫛を持って、ルチアに椅子へ座るよう手で示す。
ルチアは制服にシワを付けないよう慎重に座って、背筋を伸ばした。
「この服を着るとちゃんとしなきゃって思います」
「うんうん」
髪を通る櫛の感触が心地よい。
ユキの手さばきは慣れていた。
「よし。ルチア入学おめでとう。入学式っておめでたい式典だって聞いたから、今日はとっておきだよ」
「ありがとうございます……、?」
ユキの言うとっておきとはなんだろうか。
1つに結ぶだけでいつもより時間がかかっていたとは思っていたけれど。
ルチアは鏡を覗く。
「……!! こ、これ!?」
ルチアはのけぞった。
編み込みがそこにあった。
触ってみると、確かに編み込みだ。
「はわ、はわわ……」
奇妙な鳴き声を漏らしながら、ルチアの顔が歪む。
「……お母さんが、舞の日にこういう髪型をしてくれた時があって、わたしすごく嬉しくて、嬉しかったんです……っそれを思い出しちゃって……」
「僕が今はルチアのお母さんの代わりだからね」
5年前にとうに枯れていたはずの涙が溢れそうになる。ルチアは堪えて堪えて、今は泣く時間じゃないと心を落ち着かせようとする。
「ルチア。僕は化粧の施し方も学んできたんだよ」
ルチアの気持ちなど知らぬユキは、呑気に懐からポーチを取り出している。
「……水気が多いから難しそうだね……」
真剣にルチアの今の顔を見て、今回はお化粧はやめておこうかとポーチをしまう。せっかくフルール商会の職員たちに教えてもらったのだけど。
その横からそれぞれ生き物に変化した契約精霊たちが、ハンカチを持ってルチアの顔に押し当てた。
「あ、ありがとう……」
優しい契約精霊たちとマイペースな氷の精霊に、ルチアはどうしようもなく安心してしまってまた涙が溢れた。
「ルチア。僕昨日思いついたんだけどね」
ハンカチで顔を覆うルチアの横で、ユキが話す。
「僕も制服を着たら“生徒”になれるんじゃないかなって」
ルチアはしばし考えた。
「……ん?」
なんだか現実に引き戻されたような感覚だ。
じんと心に広がっていた暖かな感情が、一気に引いていく。
ユキの言葉を飲み込んで、彼が何をしようとしているか察しようとした。
「……ほら、どう?」
「お、おお……」
ルチアは何とも言えない声を漏らした。
ユキの体は光に一瞬包まれて、そして学院の男子制服を身につけていた。
もとの人型が整っているので、手足の長いユキは真っ白な制服がよく似合っている。
顔がどう見ても成人している男ということを除けばの話だが。
「今日の入学式に潜入、だね!」
涙を流したせいか、この自由な精霊のせいか、ルチアは頭がくらりとした。
*
せめて顔を幼くした方がいいと助言し、ユキはルチアと同い年くらいの少年になっていた。
部屋からそのまま出てくるのは外聞に悪いので、一度外の人気がないところで合流する。
「朝ご飯?」
「はい……あの、付いてこなくて大丈夫ですよ……?」
一緒に食堂まで行って、精霊とバレるのが恐ろしいためユキを遠ざけようとした。
しかし、ルチアの思いは伝わっていないようだった。
「うん。大丈夫だよ」
何が大丈夫なのだろうか。
ニコニコと笑う白髪の美少年が隣を歩いてきて、ものすごくお腹が痛くなった。
食堂は訓練場・研究棟・授業棟・学生寮に囲まれた広い土地に建てられている。
学院の生徒や教師、外部からの魔術師を収められるほどの広い面積を誇り、時には豪華なパーティー会場に変身するという。
生徒の食事は自分で調達するかこの食堂を利用するかであるため、ルチアは入寮してから食事はここで取っていた。
初めて食堂に足を踏み入れた瞬間とは比べものにならない緊張の原因は、呑気に朝ご飯が乗ったトレーを受け取っている。
ルチアも続いてトレーを受け取る。
席は自由なので、なるべく人には目立たない位置を探して端っこに座った。
「全てに感謝を捧げます」
「いただきます」
ルチアのお腹の容量が少ないため、普通より少なめに食事を出して貰っている。
旅を始めたときよりは食べられるが、そもそもの胃の容量がないのだろう。
薄っぺらいお腹に朝ご飯を入れる作業は、思ったより進む。
ユキの存在がバレるのではないかという緊張より、いつも一緒にいたユキが“居る”という安心が勝っているらしい。
この学院に入ってから、姿をとったユキと行動することがなかった。
ユキと旅をした数週間はルチアにとって大きな存在となっていたようだ。
久しぶりのユキ(いつもより幼い)に実家のような安心感を覚えてしまって、少し悔しい。
「ルチア!!」
「おひょっ!?」
朝から絶好調の声の大きさだ。
ルチアはパンを詰まらせそうになった。
まだ制服を着ていないララがルチアの隣に腰を下ろした。
ちょうどランニングが終わったところなのだろう。
「おはよう、ルチア。良い制服じゃないか! ワタシも準備を忘れないようにしなければ」
ルチアの倍の量に盛り付けられた朝ご飯に、ララは手を付ける。
ルチアは制服を褒められ、照れてしまう。私もこの制服とても良いと思っています__
「大聖堂へはこの後もう行くのか?」
「い、いえ! ちょっとソワソワして早めに準備しただけで……余裕を持って行けたらなとは思ってますけど」
「む。そうだな。ギリギリに行動していてはだらしない魔術師になってしまうかもしれんな」
ルチアが一口食べる間に、ララは三口食べている。
食べ始めも量も全く違うはずなのに、もうララは食べ終わりそうだ。
「む? して彼はルチアの知り合いか?」
ララの視線がルチアの前に座る少年に向いた。
ドッと背中に冷や汗が流れる。
まずい。
ルチアは口が開けない。ユキが口を開くのを待つ。
「……はぁ。まあ知り合いですけど」
けだるそうに白髪の少年は答えた。
キャラが違う。
ルチアは衝撃を受けた。
精霊はこんなこともできるのか。
思わず、契約精霊たちの方を見た。
彼らは“いや一緒にしないでください!”とブルブル体を振った。




