5話 一歩
「っせ、せいれいさんの、力になりたいん、です……! もう、わたしにできるのはこれだけだから……っ」
滑らかに精霊語を紡いでいたとは思えないくらい、つまづいた話し方だ。
しかし、強い思いのこもった声だった。
氷の精霊は少女の言葉に反感を覚えた。
こんなに良い絵を描ける人間にできることが“これ”だけだって?
「じゃあ、あれも描いてよ あれを描いたら好きに大精霊に取り込まれていいから」
精霊が指したのはそこら辺の適当な木だった。
地面に張り付いた少女の腕を引っ張って、紙と鉛筆を持たせた。
少しぼーっとした後、少女は右手を動かす。
1時間ほどして、手が止まった。
「……はい、もう、いいですよね……」
1本の木が描かれた紙を渡すと、少女は立ち上がろうとした。
「わあ〜ありがとう! ……ちょっと待ってちょっと待ってー」
じっくり絵を眺めてニコニコしようとしたが、それどころではなかった。
慌てて少女を再び座らせて、次の対象を急いで探す。
「あ。僕も描いてほしいな」
目が合った。
「人を描くのは……あんまり、したことなくて」
「へぇ~そうなんだ。楽しみだなー」
自信なさそうにブツブツ話す少女をスルーして、紙と鉛筆を渡す。
どうしたらいいのか分からない、戸惑ったような視線からだんだんと真剣なものになっていく。
精霊は特にポーズを取ることはなく、ニコニコと笑ったまま座っていた。手には画伯が描いた絵が2枚握られている。
苦戦しながらも、2時間ほどで少女は手を止めた。
無言で絵を差し出してきたので、彼も無言で受け取る。
彼は静かにじっくりと絵を見つめる。
絵の中の自分と目が合うくらいに見る。
目尻が下がって穏やかそうに笑う青年が自分だということが不思議だった。
こんな顔してたのか。
「キミにはこんなふうに見えるんだね」
*
「絵を描くのは好き?」
「……好き、なのかもしれません」
少女が落ち着いて話してくれるようになった。
2人とも座ったままなのは変わらないが、肩の力が抜けている。
鉛筆を動かしながら喋る少女から、緊張した様子は見られない。どこかずっとぼんやりしながら、ふわふわとした手の動きで線を引いている。
「いつも絵を描くの?」
「……いつもは、描いてなかったけど……お母さんが褒めてくれて嬉しかったのを思い出したくて、ときどき描いてた、かも」
「お母さんは今褒めてくれないの?」
「……お、お母さんは、いま褒めてくれない、かも……」
顔の俯く角度が深くなった少女に、明らかに質問を間違えたな、と精霊ながらに彼は察した。
せっかく上がっていた気分が氷点下までいってしまった。内的気温は氷の精霊じゃどうにもならない。
「じゃあ僕がお母さんの代わりに褒めるね」
「エッ いや……」
若干の拒否を見せたが、構わず彼は自分の描かれた紙を広げて語り始める。
「僕がすごくイケメンに見える。影とか……今にも動き出しそう」
「は、はあ」
そりゃ顔が整っている人間をそのまま描いたらイケメンにも見えるだろう。影だってつけないと立体感が出ないし……当たり前にやっていることを改めて褒められることに少女は戸惑った。
「あとね、ここの輪郭の線がすごく柔らかくて、この線も僕の一部なんだって思うと嬉しいんだ」
「……柔らかい線が好きなんですか?」
「よく分からないけど、多分好きかな。昔こんなふうになりたかったような気がして、それを思い出したよ」
「なるほど?」
「……? ここから情熱を感じるけど、こだわりがあるの?」
次に彼が指したのは耳だった。
少女は息を一瞬止めた。意外と見てやがる……
「知ってますか? 耳って人によって形が微妙に違うんです。私はそういう違うところも大事に表現したくてつい細かく描いてしまうだけで、人の耳を描くのが好きとかそういうわけではないんですよ。つい、たまたま、耳を描く力が入ってしまうだけで」
人の耳を描くのが好きなようだ。
「ふむふむ」
人の耳って違うのかあ、と自分の耳を引っ張った。
精霊は変化するときわざわざ耳の形なんて気にしない。
自分の耳はちゃんと人と違う耳だろうか。
ルチアの耳とも違うのか、と見ていたら目が合った。なんだか嬉しかったので微笑んでいたら、彼女の目が鋭くなった。
手元がノリに乗っているようだ。
「ここの用事が終わったらどこ行くの?」
「いや、ここで人生終わるはず、だったんですケド……」
「氷の大精霊に会いに来たなら他の大精霊のところに行くのもいいと思うよ」
「……ほかの、大精霊様……」
少女の声が都合良く聞こえていない青年の会話に慣れてしまっている。
ちょっと難しい顔をして耳を描きながら、少女は思案する。
「氷の大精霊がいるなら、火の大精霊もいるはずだよね。僕見てみたいな、キミの描く火の大精霊も」
「えっ 私の絵の方ですか?」
「実物見るよりキミの絵を見たほうが、ドキドキしてワクワクして楽しいよ……もしかして、もう大精霊に会うのは満足しちゃった? 他にやりたいことがあるの?」
「……満足はしてないです。もし、許されるならいろんな大精霊様に会ってみたいし……いろんなものを描いてみたい、です」
もにょもにょと自信なさげに話す少女に構わず、彼は頷く。
「僕もついて行っていいよね?」
「さ、最初からそのつもりで話してましたよね……私の意見に関わらず」
でも、同行者が居てくれるとありがたいです……と少女は呟く。
*
「いまさら、ですけど……あなたはどこから来た人ですか?」
「……あそこから生まれて、」
粉雪が舞う、大精霊だったものを指す。
「あっちの森で遊んでたら、」
冬の森よりまだ寒くない方の森を指す。
「キミがいたから付いて来てみたよ」
目が合う。
少女は一つ一つの言葉を理解しようとしているが、前提として彼が精霊であることを分かっていないので困惑するしかない。
栄養不足の脳がようやく働きだして、やっと大精霊から生まれる自我のある生物イコール精霊に結び付き、彼が人型をとっている精霊だと理解した。
「え、エッ!? じょ、じょういせいれい……」
精霊には力の区分を付けるために、階級で分けられている。
下位精霊ははっきりとした自我はないが、数が多く国中のどこにでもいて人に力を貸してくれやすい存在だ。
中位精霊はほどほどに自我があり、気に入った人間に引っ付きたがり自分で魔法を使うこともできる。
そして上位精霊ははっきりと自我があり、姿も人や大型の生物など自在に変えたり大きな魔法も自分で扱ったりできるが、自我がはっきりしている故に力を貸す相手を選んでくる。
階級の区分は人間側が決めたものだが、精霊は文句を言わないもののもっとカッコいい名称が良かったなぁとは思っている。
少女の周りを飛び回って料理をするなど世話を焼いている主な精霊は中位だ。
中位精霊は小型の生き物に変化することもできるが、光の塊の方が動きやすいのでそのままらしい。
そして人の姿になれる精霊の彼は上位精霊である。
「キミとの大精霊と会う旅楽しみだなあ」
当の本人はのんきに笑う。
「ハハ……あなたのことはなんて呼べば、いいですか」
「名前とかないから好きに呼んで」
「……」
すきに呼んで、が一番困るんだよな。
仕上げるための調整を描き込みながら、少女は考える。
真っ白な彼には“シロ”と名付けたいところだが、単純すぎて犬への呼び方すぎるだろうか。
「…………ユキさん、とか」
「僕はユキだよ。キミは?」
ユキと呼ぶことになった彼が嬉しそうに名乗るので、安心した。
「私はルチア、です」
「ルチア、これからよろしくね」
「はい……あの、できました」
ルチアと名乗った赤毛の少女は、手を止めて紙を差し出した。
そこにはユキの絵が描かれていて、だが、
「? 僕こんなポーズとってないよ」
ずっと話している間は座っていたが、絵の中のユキはどう見ても立って見下ろしている。
「絵って、見たままのことを描くだけじゃなくて、現実じゃありえないようなことも、妄想した楽しいことも悲しいことも見たことない風景も、平べったいキャンバスに表現できるんです」
「そうなの!?」
ユキは驚いた。
「ユキさんって、なんでもないようなことも興味津々になって、道端の雑草とかも楽しそうに眺めてそうだな、と思って……つい、描いてしまったんですけど……」
嫌だっただろうか、という心配は無用だった。
だって、あまりにも絵の中の彼とそっくりな表情をしていたからだ。