43話 研究にトラブルはつきもの
「き、緊張したぁ~……っ!」
ロギスたちから離れ、5つの教室を通り過ぎてルチアはやっと息を吐いた。
フレクド・マイヤーは歳に見合った柔らかな物腰で話を聞いてくれるから、ペラペラ話してしまったが、変なことを口走っていなかっただろうか。
過去の自分がフラッシュバックし、もっと上手く話せた気がする……! と頭を抱えるルチアを中位精霊たちが励ます。
大丈夫だよーとぽよんぽよんする契約精霊に癒やされて、少し心が落ち着いたルチアはここまで歩いてきた目的を思い出す。
「……そうだ。学校見学、しないと」
来月からすぐ通うようになる場所である。
知っておいて損はない。
精霊たちも見学だー! とわちゃわちゃしている。
シンとした校内をゆっくり見て歩く。
この時期は年度変わりの準備などがあるため、休校しているらしい。
一切人の気配のない広い校内を迷わないよう、来た道を確認しながらひとつひとつ丁寧に見る。
ルチアの使うようになる教室はどこだろうか。
こんなに綺麗な机と椅子に座って勉強するのだ。
すべすべの机で本を読んだら、すごく勉強が進むんじゃないだろうか。
「あ……」
この棟の端まで来ていたらしい。
ルチアは今2階にいるため、この端から別の棟に行くための渡り廊下が掛けられていた。
おそらくこの先は研究棟と呼ばれている場所だ。
まだ授業棟の3階4階も見たかったが、惹かれるようにして、渡り廊下を進んだ。
ひゅうひゅうと吹きすさぶ冷たい風を受けながら、建物の中は暖かかったのだなと知った。
氷の地域より寒くはないのだろうが、外に出たばかりのルチアにとって冬の風は寒いものだった。
研究棟に入って寒さはなくなった。
やはり、建物の中は気温が調節されているらしい。建物全体の温度を操作するとはどんな魔法なのだろうか、魔道具がどこかに設置されているのだろうかとふらふら歩く。
「こんちはー」
「っ! こ、こんにちは……」
ルチアより2、3歳ほど年が離れていそうな青年が軽い挨拶をして通り過ぎていく。
おそらくオーラ学院の生徒だ。制服っぽい服を着ていた。
もしかしたら、授業はやっていないというだけで、研究などで学校に来ている生徒もいるのかもしれない。
意識して耳をすましてみると、物音や若い人の声が微かに聞こえる。
「ごきげんよう」
「っ! ご、ごきげんよう……?」
いかにも貴族のお嬢様な女の人が通り過ぎていく。
“ごきげんよう”なんて初めてした挨拶だ。
いきなり現れて挨拶をして去っていくものだから、ルチアはびっくりしすぎてへっぴり腰になっている。
その彼らが現れた扉を見てみると、第5研究室と書かれたプレートが掛けられており、その下には生徒の手書きだろうか『魔素研究』と札がある。
研究室ごとに研究している内容を明記しているらしい。
「魔素……」
体中で管を通して巡る、血液と似た物質。
体を切られて赤い血が流れるように、魔管と呼ばれる管がある場所を切ると属性色の魔素が流れるらしい。
ルチアなら、手首を切ってみれば赤い血と緑の魔素が流れるのだろう。怖いので試したことはないが。
その物質の研究をしている部屋を通り過ぎて、他の研究室の札を見ていく。
『食べ物』『魔力量向上』『地理』『竜』
どの単語にも目を奪われ、歩みは遅い。
ふと正面を向くと、制服っぽい服装ではないがルチアよりは大人っぽい黒髪の男子がいた。
今度は挨拶にびっくりしないことを決意し、ルチアから声を掛ける。
「……こんにちは」
「……こんにちは」
なぜか相手は驚いてそうな雰囲気だ。
ルチアは疑問を感じた。ここではすれ違ったら軽く挨拶をして通り過ぎるのが“常識”なのではないかと。
もしかしたら彼もルチアと同じく外部の人なのかもしれない。急に声を掛けるなんて申し訳ないことをしたなと思いながら、とぼとぼ男の横を通り過ぎる。
「きみはここに入学する予定の生徒か?」
「は、はい」
ルチアは情けなくもびっくりした。
まさか挨拶以上の会話があると思わなかったからだ。
黒髪の男子の眼光が鋭すぎて、目も合わせられず宙をウロウロした。
「俺もだ」
「あ! そうなんですね」
相手にこう言われた時、どう返すのが正解だろうか。
一緒に頑張りましょうね! と話を切り上げるか。
へぇ~あなたも面接ですか? と話を広げるか。
ルチアの脳がフル回転した結界、その後の言葉が出ることはなかった。
黒髪の男子も話すことが得意なわけではないのだろう。
無言の空間が出来上がった。
彼は勇気を出して話し掛けてくれたのかもしれない、とルチアも勇気を出すことにした。
「あ、あの、私さっき面接終わって……学校見学してる、んですけど……け、研究室のドアに書いてる研究内容見ましたか? すごく、おもしろそうで……っ!」
「ああ。俺も学内を見て回るように言われてここにいた。1階の研究室しかまだ見ていないのだが、興味深かった」
「で、ですよねーっ!」
さすが、魔法学院に通うことになっている人だ。会話の趣味が合う、気がする。
*
そしてなぜか、彼と学院を巡ることになっていた。
ルチアは相手と自己紹介もしていないため、名前すら知らないが、学院の研究トークだけで繋げていた。
ルチアにとって人と話すことは苦ではないが、さすがに彼の表情のわかりにくさには手を焼いた。
これ、一人で盛り上がっているだけでは? と悩む瞬間もあったが、なぜか会話のラリーが続いているため案外大丈夫そうだと気づいた。
「印字魔法と魔術の魔方陣を合わせてみる研究なんて、絶対面白いですよ……!」
「印字魔法だけでなく、精霊に負担をかけすぎない魔法がほしいな」
「うーん、精霊さんの好意を無碍にするのも申し訳ないですけど……」
「精霊の好意……? ……そうか。精霊の好意か。なるほど」
黒髪の男子が考え込み始めたので、ルチアは静かにする。
なんだかんだぺちゃくちゃ素人なりに話していたら楽しくなってしまっていた。
いつの間にか、3階への階段を上りきっていた。
「なんだか賑やか、ですね……?」
先ほどまでいた階と比べると異常なほど人のざわめきが聞こえる。
楽しげな笑うような声ではない。
どちらかというと、絶叫だった。
ルチアの精霊たちはなんだか戸惑ったような素振りだ。
騒ぎのある方へコソコソ向かってみると、半透明の塊が廊下をせき止めていた。
どこまでその塊が続いているのか、叫び声の発生源の姿が見えない。
「えっと、これは……」
ルチアは正体不明の物体に困惑した。
遠くから人の騒ぎ声が聞こえるものだから、不安が掻き立てられる。
「……魔法生物のスライム、だろうか。俺が知っている姿より大きい気がするが……」




