40話 何も考えずここにサインしたらいいのだよ
ロギスはアリサの推薦状を見て、ひとつ頷いた。
「ぜひ学校との面接でアリサちゃんからの推薦をもらっていることも出していこう。フフフ……ロギス・フルールとアリサ・ルゥホートから学院へ推薦されるなんて……と感激されるだろうね」
楽しそうにキラキラ笑っている。
嫌な笑みだ。ルチアはさすがに荷が重い……と背中を丸めた。学院へは魔法を勉強するために行くわけだが、すでに魔霊公と守護者に魔法を教えられ、認められている優秀な見習い魔法使いであれる自信はなかった。
妖しく笑うロギスに真面目な顔でルークが聞く。
「推薦をたくさんもらっていると、良いことがあるんですか?」
「……」
ロギスは考えた。
「まあ、学院の教師陣に一目置かれるくらいだろうね。ルチアちゃんにとって良いことは……うん。ワタシが見つけた女の子はすごいだろう! と、ワタシがもてはやしたいだけだね!」
潔い答えだった。
ルチアを自慢したいだけのロギスのせいで、ルチアは学院生活ずっと教師から“あの2人から推薦をもらった優秀な子らしい……”という目で見られる想像をして震えた。
「……あの、もてはやさなくても大丈夫、です。私ロギス様やアリサ……様に推薦をいただけたことがなによりありがたいですし、嬉しい、です」
「ルチアちゃん……っ!! すまないね。つい先走ってしまったよ」
大げさにくるりと回って、ルチアを抱き締めるロギスはとても暑苦しい。
久しぶりに甥に会えてテンションが上がっているのだろうか。
ちなみにロギスとルークが会うのはルチアとの再会までの期間より長い。
「それはそうとして、ワタシの甥であるルークを呼んだ理由なのだけどね……ルチアちゃん。何も考えずこの書面にサインをしてくれたまえ」
スッとどこにしまっていたのか、胸元から1枚の紙が引き出される。
それを艶やかな木目が美しい机に置いて、ルチアにペンを握らせた。
書面には、
“ホム村のルチアはロギス・フルールの銀行にあるお金を自由に使うことを了承します”
とロギスの手書きで書かれていた。
その下にロギスのサインがある。
ルチアにはそのさらに下にサインをしろと言っているらしい。
「詐欺みたいな契約書ですね」
「これってどういうこと?」
「ユキさん! やり口は力ずくの詐欺ですが、今回の場合、ただの叔母さんの貢ぎ癖ですね。ルチアは叔母さんのお金を自由に使ってねって意味です」
ロギスの出した書面を見たルークは呆れた顔をしていたが、ユキに話し掛けられ一瞬で明るい顔色になった。
ユキはそれを聞いて、どこかで働いてお金稼ぎする必要がなくなるのかと納得した。
「そうさ。学院に入学するにもいろんなことにお金がいるし、最低3年は学校生活を営むわけだ。何事にもお金は要る。そのお金をワタシの貯金から出したらいい。推薦人として、仮の保護者として責任もってワタシが果たすまでのこと。しかしワタシは仕事でハイエルンを離れることも多いからね。そこで、お金の管理やキミの生活の補助をルークに任せようと思ってね。優秀な甥はこういうのが得意なのさ」
「得意です」
「も、申し訳ない気持ちがすごいですが……」
「気にしない方がいいです。気にしてたらお腹が痛くなりますよおれみたいに。ルチアは大船に乗った気持ちでおれに頼ってください。いくらでも叔母さんの銀行からお金を出してみせます」
「ヒエェ……」
ロギスのお金を好き勝手使う権利をこの紙1枚で受け入れてしまうらしい。
恐ろしさでペンを握る手が緩まるが、そんなことは許されない。ギュゥウッとロギスの両手で包まれ、ペンを握らされた。
「なにも、かんがえず、ここに、サインをしたら、いいのだよ」
「は、はひ……」
ルチアやユキが働いて稼ぐ時間が削減されるようになる。ユキはニコニコと微笑んだ。
*
学校の面接に行くにも、“身だしなみ”というものが大切らしい。
ルチアは“お風呂”に投げ入れられた。
ユキとルークはその場に残され、話していた。
「お湯に浸かるのが大切ってことですか?」
「お湯に浸かるのも大切ですし、体のアカを取って綺麗にするのも大切です。体を休める時間でもあります」
「へぇ」
お風呂を知らないユキはより興味が湧いた。
しかし先ほど風呂に入れられたルチアに付いて行こうとしたら、ロギスに『その姿で一緒に来たらまずいじゃないか!』と怒られたので、大人しくしている。
「田舎の魔法学校に行くなら濡れたタオルで体を拭くだけでもいいでしょうけど、ルチアが行くのは魔法学校の中でも貴族が最も集まる学校ですよ。薄汚い人間だと周りから避けられてしまいます」
「貴族……って公爵とか名前に付いている人ですか?」
ユキが知っている貴族はクロマスク公爵くらいだった。
「そうですね……公爵とか名前に付いている人の子どもや孫が主に学校に来ます。平民や貴族ではないけど裕福な家の子どもも居るは居るらしいですけど、やっぱり肩身は狭そうですね」
肩身が狭くて苦しそうにしているルチアを思い浮かべた。ルチアと同じくらいの歳の人とあまり会わないから想像の中では大人が小さいルチアをギュウギュウに押している。細い体のルチアが、人の質量に押され見えなくなってしまった。
「かわいそうですね……」
「はい。そうならないためにお金は持っているように見せかけます。きちんとした身だしなみは富の証ですから」
そう言うルークを見ると確かに、彼は薄汚れた見た目ではない。眼鏡はホコリが付着していないし、着ているジャケットも体に合ったサイズで不要なシワもない。
ユキはなるほどと深く頷いた。
「僕はどうですか? 富持ってそうですか?」
ユキはちゃんとしているルークに、自分の人の姿を審査してもらおうと思った。
人の世界に溶け込むなら、今一度自分の外見に気を配ることも必要だと考えたのだ。
ルークの前でくるりと回ってみせて、彼の反応を待った。
「顔はとても貴族っぽいですけど、服が質素ですよね。精霊って人に変化する時、外見は何を参考にしてるんですか?」
服かあ、とユキはペラペラのシャツを引っ張った。
ルークの言うとおりだ。自分はどんな経緯でこの人間の姿になっているのだろうと考える。
精霊が生き物に変化するときは個々の得意不得意もあるが、だいたいは実際に見た生き物を参考にする。
ユキは冬の森周辺で狐を見たから狐に変化できるし、氷の大精霊に会うために馬で移動していた人がいたのを見たから馬に変化できる。
ならば人間は……ユキの記憶の中に今の顔と似た人の姿はない。
「多分、大精霊の影響じゃないかな。氷の大精霊が人の姿になったらこんな感じなんだと思います。変化するとき特にこれといった人の姿を思い浮かべなかったので」
「……じゃあ、ユキさん以外の氷の上位精霊もその姿になる可能性があるってことですか?」
ユキが初めて人の姿をとった時は、ちょっと人にもなってみたいなーくらいの軽いノリだった。
ヒゲを生やした男になろうとも、フードで顔を隠した女になろうとも考えてすらいなかった。
大精霊から生まれた精霊の力の源は大精霊にある。下っ端はよく影響を受けやすいのだ。
「それは……分からないですねー」
ユキ以外の氷の上位精霊がユキと全く同じ外見になるかと言われると少し難しい。
まあ、氷の精霊はぱっと見真っ白な人になるので、多少顔の造形や骨格が違ったとしてもほぼ同じようなものかもしれない。
「なるほど……服だけ変えることは可能ですか?」
「できます」
「なら、ぼくと買い物に行きましょう。紳士服の参考に」
「優しいですね。ありがとうございます」
ルークの気遣いに、ユキはニコニコ微笑んだ。
「待たせたね! 今度はルチアちゃんの服を仕立てに行くからね! ルークたちは自由に行動してくれていていいよ!」
バーンッと派手に登場したロギスはそう言うと、ルチアの手を引いて建物の外に出ていった。
「……」
戻ったかと思えば一瞬でいなくなったロギスたちに何かを言えることもなく、ルークは棒立ちする。
すると、ロギスたちが風呂にと引っ込んでいた方__フルール商会の事務室から若そうな女性が出てくる。
「どうですかあ? 綺麗になったでしょう。いきなり女の子を渡されて困っちゃいましたよ~」
「……あの、綺麗になったとか確認する暇なくもう出ていきました」
のんびりとした口調のフルール商会の職員は、仕事をやり遂げたといわんばかりに額の汗を拭っていたが、ルークに言われロビーに目的の姿がないことを認識し、崩れ落ちた。
彼女がルチアの風呂の補助をしてくれていたらしい。
「……これってボーナスありますか?」
「……叔母さんに言ってみてください」
じゃあないってことなんだあっ! と職員はうずくまった。
実際は、仕事の息抜きに自分で進んで手伝いを申し出たし、手伝うほど手を出すことはなかった。
楽しい茶番である。
「じゃ、仕事戻りまーす」
「お疲れさまです」
事務室に引っ込んでいくお茶目職員を見送って、ルークはユキと向き合う。
「ルチアは叔母さんに連れ去られたので、今からぼくたちの買い物をしましょうか」
「はーい」




