姉を敬愛する妹の話
風の舞巫女フウカには、尊敬する姉がいた。
フウカが舞巫女を任される前は、姉が舞巫女をしていた。
フウカは姉の舞を見るのがいつも楽しみだった。
舞をする舞台の最前列に座って、姉と姉の周りに集まる精霊を視ることが好きだった。
姉はとても優しい人だった。
フウカが姉の取っておいたお菓子を食べてしまっても、叱りながらも仕方ないなあ、と怒らなかった。
捕まえた蝉を見せても、びっくりしながらでもフウカを咎めることはなかった。
フウカにとって姉は、身近な尊敬する対象であり母のような存在だった。
父も母も子どもを厳しく育てる人たちだったから、自然と甘やかしてくれる姉に依存していたのかもしれない。
姉も慕ってくれる妹に甘えていたと思う。舞巫女である時や、外で見掛ける姉は背筋がピンとしていて、大人の顔をしていたのだ。しかし、フウカの前では薄茶色の肩までの髪をふわふわさせて、ふにゃふにゃ笑っていた。
フウカはそんな自分の前でしか見せない姉の姿に特別感があったし、役目をやり遂げる姉の姿に憧れた。
もし、自分が舞巫女を継いだら、姉みたいに姿勢はピンとして、人に優しくありたいとなんども思った。
フウカも舞巫女の一族の一人であるため、舞の稽古は毎日のようにつけられていた。先生はほとんど母だった。
母の指導は、子への躾より何倍も厳しい。
お前には舞巫女の適正がないから、舞を綺麗に舞うことで精霊を集めなければいけないのだと、何度も叱咤された。
挫けて泣きたくなったら、姉に舞を見せてもらった。
姉の次の舞巫女になるなら頑張らなければいけないのだと、勇気をもらえた。
舞巫女の適正がないと言う母の言葉通り、フウカは普段精霊がほとんど視えなかった。舞巫女の家系として汚点であると、伯母が陰で言っていた。
でも、姉の舞う周りに集まる精霊はよく視えた。
姉に集まった精霊は、ときどきフウカのところにも来てくれた。満足すると、姉のところや風の地域に散らばっていく。
精霊にとって姉は安心できる存在のようだった。
姉には溢れんばかりの舞巫女の適正があった。
だからなのだろうか。
5年前の、古代竜の大災害で大精霊が力を使い土地から精霊が少なくなった日、姉は体調を崩しやすくなった。
「精霊との同調率が高いと、精霊に体調が左右されやすくなるのだ。大精霊が砕けてしまったことで国内の精霊たちも不安定になっている……それに舞巫女殿も引っ張られたのだろう」
風の守護者モンドが厳つい顔をしかめながら、そう教えてくれた。
フウカは姉を心配しながらも、精霊が落ち着けば大丈夫なものだと思っていた。
実際、少し時間が経てば体に影響なく収まる不調である。
それに、姉は舞巫女を続け、あまりにも美しい舞をするものだから、すっかり大丈夫なものだと安心したのだ。
しかし、今回の精霊の不調は大精霊が砕けてしまったことによるものだ。
普通の精霊の不安定な場合とは、全く違う状況である。
2年耐えた。
そう母は言った。
大災害から2年弱の月日が過ぎ、フウカの姉は倒れた。
両親も、親族も、知っていたかのように浅い息を繰り返し横になっている姉を見守っていた。
何も知らないフウカだけ頭が真っ白になり、どうして、なぜ、とずっとぐるぐると言葉が浮かんでは消えていた。
「精霊と同調したことで、魔力器官がおかしくなったのだろう。魔閉塞が起こり、魔力が体を巡らなくなり、生命力が欠けていった。今舞巫女殿はわずかな意識のもとで、死を待っている。最期まで姉の傍にいてやったらどうだ」
姉の弱っていく姿を見ていたくなくて、家を飛び出した先に、門番のように立つモンドがいた。
フウカの錯乱した顔を見て、言い聞かせるように話しながら再び家に戻るよう背中を押した。
「わ、わたし……お姉ちゃんに何もできなくて……っ!」
「……そうか」
「もっと、お姉ちゃんといっぱい話したかったし、お買い物とかも行きたかったしぃっ~~ぅうう……っ!」
湧き出る涙を止めようと手で何度も擦る。
無意味な後悔が頭を巡る。悔しくて、たくさん涙を流した。
15歳の少女フウカには姉の喪失は早すぎた。
まだ何年も一緒に過ごせると思っていたのに。
「最期を看取ってやれない方が、お前は後悔してしまうだろう」
「どんな顔で好きな人が死ぬ瞬間を見送ったらいいって言うんですか……っ」
「……いつもの顔でいい。姉のことが好きな妹のままで」
涙も鼻水もぐしゃぐしゃのまま、姉が横たわる部屋に戻った。フウカのそんな顔を見ても、両親や親族は叱責しなかった。
姉の手を握った。幼い頃外に出掛けるときは、姉と手を繋いではぐれないように言われていた。『フウカの手は温かいね』と言っていた姉の言葉がよみがえる。
それならこの手であなたの手を温められたらいいのに。
*
「キミが新しく任命された舞巫女殿かい? とても素敵な舞だったよ! ああっもう一度見たい! 絶対にキミの舞をまた見に来るよぉ!」
「ありがとうございます。また、来てくださいませロギス・フルールさま」
姉の後任はやはりフウカだった。
背筋をピンと伸ばしたフウカは、舞を絶賛する魔霊公ロギス・フルールを迎えた。
アレが良かったここが良かったと語り出すロギスの話を淡い微笑みでもって聞いた。
フウカは姉が5年努めた舞巫女という役目に泥を塗らない一心で、舞の稽古をし、母を頷かせた。
その成果は目の前のロギス・フルールの興奮具合から分かるだろう。
安心した。フウカは舞巫女を継いでいけるのだと、安心した。
「お披露目でここまでやれたのだ。お前は立派だ」
「モンドさま……ありがとうございます」
いつも通り、傷跡が残る厳めしい顔をムッとしながら、フウカを褒めた。
舞巫女になったことで、守護者のモンドとも関わりが増えた。
頻繁に話すわけではないが、フウカにとってモンドは頼れる大人だった。
変に嘘は吐かないし、過剰に囃したてることもないので、信頼できた。
「あ……」
「どうした」
「いえ、なんでもありません」
姉が亡くなって、変わったことがある。
フウカの目に精霊の姿が入るようになった。適正がないとなじられたフウカは、姉の舞を通さずとも視えるようになっていた。
良いことだ。しかしそれがフウカには、姉からの祝福にも思えるし、姉から力を吸い取ったようにも思えた。
精霊が視えるだけなのかは分からない。
精霊が視えるようになってしまったせいで、自分の舞に精霊が集まっていないことに気づいてしまった。
どんなにロギス・フルールやモンドに称賛されても、母に認められても、納得がいかなかった。
舞が綺麗なだけで精霊が集まるわけではない。
今去っていく精霊はどこに行くのだろうか。
なぜ、姉のように集まらないのだろうか。
*
「大災害の影響で精霊が土地に根付きにくくなっている。おまえのせいではない」
「え……」
舞巫女として、年2回のうちの後期の舞を終えた日。フウカは精霊が今回もうまく集まらなかったため、モンドに不安を打ち明けると、やはりムッとした顔で答えてくれた。
フウカは自分の舞の力不足でなかったことに安心した。
「ですが、精霊さまの姿そのものが見られない気がして……」
「ふむ。精霊がそもそもいない可能性か。すまない……俺は精霊の感知が優れていないのだ。この件に俺は役立てないだろう……相談してくれて助かった。次の舞までにこの件で力を貸してくれそうな者を呼ぼう」
「あ、ありがとうございます……!」
その後、モンドの紹介の魔術師らが風の地域の調査に乗り出した。
「確かに、精霊の動きが妙なようですな」
「わたしにできることはありますか?」
数ヶ月調査した結果をまとめた書類を読みながら、モンドが考えている。
フウカもできることがあればと申し出たが、モンドは首を振った。
「普通の魔術師でも下手に手を出せないものが絡んでいる可能性が高い……フローラ殿にツテがないか聞くしかないか……申し訳ない。もう少し時間をいただく。もしかしたら、次の舞に間に合わないかもしれない」
モンドが頭を悩ませ唸るように言う姿を初めて見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。想像していたより、複雑なことが起きている。
フウカは頷く。
「大丈夫、です」
フウカの仕事は舞巫女として、最高の舞を精霊に届けることだけだ。
自分にも出来る範囲で精霊に喜ばれるアレンジをしてみようか、など考えながら。
____まさか、この件を解決してくれたのが“あの”魔霊公ロギス・フルールらであるとは思いもしなかったが。
*
「わたし、他の地域の舞巫女さまとお話できて良かったです」
姉と似た様相の精霊をまとった少女ルチア。
まさかの出会いではあったが、フウカに良い刺激を与えてくれた。
「もう2度と森の精霊に会いたいと歩き回らないでくれ……」
隣のモンドが疲れたように息を吐く。
ルチアたちと初対面した時、森を歩き回っていたのは、フウカが極度に緊張し『森の精霊に会いに行きます!』などと飛び出していったからだった。守護者が舞巫女を放っておけるわけもなく、ふらふら森を歩くフウカに付き添ってくれたのだ。
「そ、それは……申し訳ございませんでした……」
さすがにその件はフウカも悪いと思っていたので、素直に謝った。
「そういえば~奥さまと息子さんがお祭りにいらしてましたよっ!」
「露骨に話を逸らして……ハァならそっちに声を掛けてくるから、勝手にフラフラしないように。どこかに行くときは精霊官に言付けておいてくれ」
「はい! はい、大丈夫です!」
フウカに釘を刺して去っていくモンドの背中に、深く深く頭を下げた。
モンドやロギス、ローレンなど魔術師の協力のおかげで、精霊が風の地に戻ってきた。
ルチアと話せたおかげで、勇気を貰えた。舞巫女の役目をもう少し頑張れる勇気だ。
「……っよし!」
次の舞まで、また母の厳しい稽古だ。
フウカは気合いを入れた。




