37話 ユーモアが必要だ!
クロマスク公爵子息クロードは、空竜がいなくなった真っ青な空を見上げていた。
相変わらず何を考えているのか分からない顔だった。
隣では父であり師であるクロマスク公爵がニヤニヤと笑みを浮かべている。彼もいつも通りだった。
「運が良いな。あのロギス・フルールの魔法を近くで見られたのだから」
「はい」
クロードは師の言葉に頷いた。
街に張られた結界は、数十の巨大生物が衝突していたというのに傷ひとつ付かなかった。
そして、結界を展開したときの精霊の統率の取れた動きは現在ロギス・フルールにしかできない魔法指向だ。
クロードは精霊がよく視える珍しい人間として生まれた。
クロマスク公爵の元で精霊や魔法についても学べる国内でも最高の出自である。
しかし、彼が何を考えているのかはイマイチよく分からない。父であり師であるクロマスク公爵も、変な息子だなと思っている。だいたい公爵から一方的に話して教えることが多かった。
クロードのよく視える目はもちろんルチアの周りにいた精霊たちの存在も認識していた。
雷の地で舞巫女のお披露目を見ていた観衆にいた精霊たちと同一であることも認識していた。
氷の上位精霊に、火・水・風・光の中位精霊が赤毛の少女の周りにいた。雷の教会の舞台で見掛けたよりも近くで少女を見たので、思っていたより幼そうで密かに驚いていた。
見習い魔法使いのローブを着ていたので、あの少女も魔術師になるのだろうか。なんとも将来に期待が寄せられていそうな子だった。
竜が来たときロギス・フルールに連れ去られていたから、実際期待されているのだろう。
竜がいなくなり、ざわめきが落ち着いた街の中心を可憐な女性が柔らかに声を掛けているのが見えた。
彼女の周りには、緑色に光る下位精霊が付いている。
「あ。クロマスク様こちらにいらしたのですね~お怪我はございませんか?」
風の舞巫女フウカがクロードたちに気づくと、小さな足音を立てて駆け寄る。
舞の衣装のままで街を回っていたらしい。疲れを見せない穏やかな笑みでクロマスク公爵とクロードの身を心配する。
「ないよ。ご苦労だねフウカ殿。優秀な魔術師がいたおかけで街への被害はないのだろう?」
「はい! ありがたいことですわ。クロマスク様方はもう少し滞在されるご予定ですか? 竜の後始末でしばらくパタパタしてしまうので、何も接待できないかもなのですが……」
クロマスク公爵たちは、風の舞を見たらすぐに光の地域へ移動する予定だった。来月には学院へ入学するクロードを送り届けるためである。入学前の学校生活に必要な準備や軽い試験のために、早めに中央へ行かなければいけないのだ。
竜の後始末の助けをしてやってもいいが、すでに優秀な魔術師であるローレンとモンド、ロギスもいるようだし、学友オルヒュード伯爵もいるのだ。クロマスク公爵の手はいらないだろうと判断した。
「いいや、すぐにニューロを出るよ……ああ、フウカ殿。素晴らしい舞を見せてくれてありがとう」
「いえいえっ! これからも精進いたします」
フウカは恐縮して、丁寧に頭を下げた。
クロマスク公爵はいっそうニヤニヤしてフウカを見る。フウカは物腰柔らかな女性で、一見クロマスク公爵好みの頼らせ甲斐のある女性には見えないが、頑固な正直者なのでとても好みである。
絶対に公爵な自分には頼ってこなさそうな女性すぎて、好みである。
息子のクロードは、父親の悪癖の空気を感じて不快になったのか、少し眉間に皺が寄った。
*
クロマスク公爵は馬車に乗り込みながら、朗々と話し始める。
「クロード。精霊魔法は私達の味方であると言い切れると思うか? ……私は思わない。精霊はシェルフィードから慈悲でいただいた存在であり、根は自由な生き物だ。面白いことが好きで、人に力を貸すことを得意とする。精霊たちはこのファムオーラから出て行こうと思えばいつでもどこかに行ける。ファムオーラの国民より、隣国のリトルドの方が面白そうだと思えばそちらへ行く可能性があるわけだね。だが精霊たちが我が国へ定着してから100年と少し。なぜ彼らは私達とともに生活し手を取り合い、魔法を行使してくれるのか」
柔らかすぎず、固すぎもしない長時間移動を想定された座椅子に腰を預け、クロードは師であり父である男の話を真剣に聞く。
「それはやはり、原初の精霊王との約束という繋がりのおかげだろう。絶対的な味方であるわけではない。原初の精霊王との約束を元に、私達と添い遂げている。精霊たちには少なからず意思がある。それに背けば私達は魔法を扱えなくなる。だから魔術師は精霊語を使って彼らに語りかけるし、ご機嫌うかがいをするわけだ。だが……やはり原初の精霊王への謁見はまた別で緊張してしまうね。お前が王になれば嫌というほど話すことになるだろう」
原初の精霊王。
ファムオーラで王の存在が確立される以前に、ファムオーラへ精霊を導き精霊魔法を人々に教えた、精霊たちにとっての王であり、国民にとって神のような存在である。
人々と精霊が馴染み始めると、表舞台から姿を消しヒトから王を立てるよう導き、『精霊王』が誕生した。
現在は、ファムオーラのどこかで精霊や国民を見守っているという。面会できるのは限られた者だけだ。
「……父上は俺が王にふさわしいと思いますか」
当たり前のように、クロマスク公爵はクロードが精霊王になる前提で話をしている。
まだ契約精霊のひとつもいないクロードは、本当に自分が王になれるのか、なるべきなのか疑問に思っていた。
「……ふむ。王子と関わらせたのはそんなことをお前に考えさせるためではないよ。お前が王になるのだ。お前たちが国を動かす時代には、隣国からのいざこざがより苛烈になる。今日のように竜をけしかけられる程度ではなくなるのだ。強い王でなければいけない。お前にはその判断ができると思っているから私は推しているのだけどね。無能を国の要にさせるほど私は耄碌していないつもりさ」
クロードは常に真顔ながらも、少し不安に思っていた。現精霊王の息子である王子は、以前話してみてすごく良い奴だと感じたのだ。
こんな優しい王が治める国を想像して、クロードが治める国より断然良いと思った。
クロマスク公爵は、変わらぬ笑みを浮かべてクロードを見る。
「……精進します」
「ふむ。学院でさまざまな人と出会い学びなさい。それはお前の糧になる。クロード、お前には学ぶ姿勢もそれを生かす能力もあり、誠実で顔も妻譲りで整っているがね、ユーモアがない」
クロードはぽかんと口を開けた。
「ユーモアは大事だよ。ふむ……学院を卒業したときどんな姿になっているか楽しみだね」
フフフ……と悪く笑うクロマスク公爵に、クロードは心の柔らかいところをグサリと刺された気がした。
クロードが王子を良い奴だと思ったのは、王子に負けたと思ったのは、そういうところがないからだ。
父の言う“ユーモア”がないからだと、理解した。
「ユーモア……確かに、精霊と関わる上で面白くない人間であるのは失礼……ですね」
そういう意味で言ったわけではないが、まあ外れていることでもないので、真面目くさった顔で言うクロードにクロマスク公爵は突っ込まない。
「精霊魔法は“絶対”ではないからね。精霊がいなければ長所は成立しない……ああ、そういえば……氷の守護者ウォリスが呪いを受けたというのは聞いたかね?」
「……存じ上げませんでした」
「ウォリス君がね精霊を寄せ付けなくなる呪いをリトルドの魔術師に掛けられてしまったんだ」
「精霊魔法が使えない……ということですか」
「ああ。精霊がいないと魔法は使えるが消費魔力が膨大になる。守護者にとって魔法がマトモに使えないのは致命的だ。だからか……彼は“魔術”を学んだらしい」
「え? 隣国の魔術……ですか」
リトルド帝国の魔術を学ぶことは悪ではないが、ファムオーラでわざわざ魔術を学ぶことを選択することはない。
魔術を学ぶ本も流通は少ないし、教えられる人間もいないからだ。
「ウォリス君は不思議な魔術師だね。精霊魔法と適正があり、魔術も扱えるようになるとは……クククッお前も彼と話せる機会があるといいね。彼は面白いんだ」
「父上にそこまで言われる人物なのですね」
ニヤニヤではなく、純粋に楽しそうに笑うクロマスク公爵を珍しいものを見る目でクロードは頷いた。




