34話 風の出会い
風の地域を治めるオルヒュード伯爵は、隣で興奮する息子に目をやった。
舞巫女の舞を見て、触発されたらしい。
息子の素直な表情を見て、少し心が穏やかになった。
今回の舞の観覧は息子が魔法学院に入学する前に見せておかねばと一緒に付いて来させていた。
しかし、まさか“あの”クロマスク公爵も見に来ているとは思いもしなかった。同じように息子を連れて。
オルヒュード伯爵にとって、クロマスク公爵はちょっと厄介な上司的存在である。
しかしクロマスク公爵から風の地域の方針を細かく指示されることなどないし、風の地域はオルヒュード伯爵にほぼ一任されている。管理する地域が重なっていてもあまり頻繁に顔を合わせることもなかった。
しかし、オルヒュード伯爵はクロマスク公爵のニヤニヤとした顔が嫌いだった。そんな態度は相手に出さないようにしているが、なぜあんな表情をわざわざするのか。
貴族であるからポーカーフェイスをするにしても、もっと他にあっただろうと、思わざるをえない。
さらに彼とは魔法学院で学年もクラスも同じくしたものであるから、自分の魔術師としての実力不足さと彼の精霊王の座に近づいたほどの実力の差がハッキリと分かっている。
それも嫌だった。
クロマスク公爵側からは割と気に入られてそうなのも嫌だった。
そんな嫌な気持ちは絶対に見せないよう、真面目に仕事もコミュニケーションもするのはオルヒュード伯爵の実直で生真面目なところだった。
*
「す、すごかったですね、ユキ!」
「うん。この舞は僕も良いなって思ったよ」
「ですよね、ですよね!」
フウカの舞からずっと目が離せなくて、彼女が舞台から降りてやっとルチアは言葉を発せるようになった。
途中は夢中で観すぎて息を止めていた気がする。
荒い息を整えながら、隣のユキに興奮を分かち合う。
今回はちゃんとユキも楽しんでくれたらしい。
人の間を通り抜け自由に飛び回る光の姿の精霊たちもたくさん見られた。
ルチアの周りを飛ぶ中位精霊たちも楽しそうに、他の精霊たちに混ざってふわふわしている。
ルチアは過去の自分の舞を思い出して、当時あそこの振りは幼稚すぎたかなとかもっと美しい舞を追求できたなとか、風の舞巫女と比べてちょっと落ち込んだ。
今の自分がやり直したらもっと良い舞ができるのかな、なんてどうにもならないことを考えていた。
舞を見ていた人々が、それぞれの目的で散り散りになっていく。
ユキは隣で考え込むルチアを見ながら、大精霊のところに行こうよと声を掛けるか迷っていた。
ルチアはときどき深く思考する。考えることは人の特権だ。彼女のそれを大切な時間だと思っているので、ユキは無闇に中断させることもなかった。
人の邪魔になりそうならさりげなく引き寄せてやりながら、ルチアが戻ってくるのを待った。
「やあ。ユキくんルチアちゃん。こんな素晴らしい舞を見られるなんて幸運だったねえ!」
ものすごく通る声で、ユキたちに話し掛けたのはロギス・フルールをピカピカに磨いたらこんな感じだろうなという女性だった。
髪の毛は白くないし、服もちゃんと魔術師っぽいので、ロギスじゃない可能性が高いが、声の大きさがロギスである。
若干遠い位置にいたので、ユキはとりあえず口角を上げて手を振った。
ルチアが反応できそうになかったので、代わりにやった形だ。
しかし、彼女の体を巡る魔力はロギス・フルールっぽい。
人間ってのは不思議な生き物だな、と思った。
精霊の姿を変えられる力のように、人も姿が変わることがあるらしい。
「こんにちは。舞、良かったです」
大股で近づいたロギス(仮)に、ユキは穏やかに対応する。
「ワタシはもう良すぎて過去一年で一番元気になったよ! 舞にそんな力はないはずなのにね!」
ハハハ! と高らかに笑う彼女が、ロギス・フルール本人だと確信した。
「実はキミたちに紹介したい人がいるんだ」
「紹介ですか? どんな方でしょうか」
「フフフ……魔術師と__舞巫女殿だよ?」
「おおールチアが喜びます」
舞巫女には先日気まずいタイミングで会ったが、ルチアが目指すものとゆっくり交流できるチャンスは逃してあげてはダメだよなと、ロギスの紹介をルチアの代わりに受け入れた。
「……で、ルチアちゃんはずっとぼーっとしてるみたいだけど、どうしたの?」
おーい、とどこかを見つめるルチアの目の前で手を振るも反応が鈍いため、ロギスはユキに聞いた。
「舞巫女さんの舞に感化されたみたいです」
「そうかそうか。魔術師になると舞巫女とも結構関わるからねぇ。話を聞いておいて損はないよ」
ロギスは嬉しそうに腕を組み頷いた。
魔術師の正装をしているので、見た目だけはサマになっている。このままロギス節のきいた無茶苦茶な語りを始めても、外からはかっこいい魔術師にしか見えないだろう。
「もうすぐ戻ってきてくれるかなとは思うんですけど」
「じゃあルチアちゃんをあっちまでエスコートしよう」
ロギスは服が汚れることも厭わず、膝を付いてルチアの手を優しく取って体を優しく支えながら歩行を誘導する。
それを見ながらユキは今後の参考にすることにした。
「……はっ! 私は何を……ろ、!? ろろろロギス様ぁ!!?」
意識が現実に戻ってきたルチアは、ロギスの腕の中でものすごくびっくりした。
ユキは面白そうに笑って見ているし、ロギスは大切なものを扱うかのような繊細な動きで、膝を付く。
「キミに紹介したい人がいるのだよ」
ルチアは目の前で偉大な魔術師がそんなことを甘い声で囁いていることに、夢の中ではとまた意識が飛びかけた。
*
「あなたは……先日は失礼いたしましたわ。わたし風の舞巫女フウカです。改めてよろしくお願いいたします、ルチアさま」
緩やかにフウカが一番にルチアに声を掛けた。
街の中でもおっとりとした人だ。
舞の衣装をまだ纏っているようで、美しすぎて、ルチアはドギマギしながら返した。
「フウカ様、舞とっても素敵でした……! 前は変なことしててすみませんでしたっ」
「ああいう楽しそうなことをする時はぜひわたしも誘ってください」
「お、恐れ多いですが……!?」
森で這いつくばるフウカの姿は見たくないと、ルチアの心が叫んでいた。
フウカには湖の畔で精霊たちと穏やかに時を過ごしていてほしい。
「おや知っている仲だったかい。じゃあこっちをワタシから紹介しようか」
フウカの後にモンドも知ったようにルチアたちと少し言葉を交わしたのを見て、ロギスはちょっと残念そうにもう一人いた魔術師の男の肩を叩いた。
「ワタシが信頼する魔術師ローレンくんだよ。いつもは国の西側でよく見掛けるのだけどね、今回の……ルチアちゃんも探してた例の件の手伝いでひとっ飛びして来てもらったのさ」
「ども~あんま人と会う機会ないから俺のこと知っててもて感じだけどさ、ロギスさんが太鼓判押す女の子ならなんかあったら名前貸すぜ」
ロギスの舎弟みたいな雰囲気な、明日には忘れていそうな外見の男が自分の名前を安売りした。
ルチアはその名前と、国の西側ということを結びつけとある人物を思い浮かべた。
「も、もしかして、ローレン・ニオギス様……ですか!? わ、私、ローレン様の書いた魔法教本で勉強しました!」
ルチアはどれだけ魔法初心者の自分が、ローレンの教本に学ばされたか、息が切れるほど語る。
「……マジかよ。もう俺の名前使いまくっていいよ」
ローレンはものすごく嬉しそうに鼻の下を擦った。




