3話 ルチア前編
気付けばいつもそばに精霊がいた。
*
精霊大国ファムオーラの南東部に位置するホム村は、氷の大精霊がいる“冬の森”に近いため、精霊の恩恵を多く受けていた。
精霊の力を借りて穏やかに人々は暮らしていた。
大精霊の守護者もこの村によく来ていたし、ホム村には精霊を崇める教会もあった。教会には村人の中から選出された舞巫女が在籍し、年に2度大精霊及び精霊たちに舞を捧げるお祭りが開かれることもあった。
ルチアはその舞巫女だ。
赤髪で小柄なルチアは、快活な性格で精霊にも好かれていた。
だから舞巫女に選ばれた。
舞に対する学習も意欲的だった。
ルチアは、精霊に好かれていたがそれ以上に精霊を愛していた。それを家族的な意味か友人としてかは意識していなかったが、身近な隣人として精霊を敬愛していた。
精霊たちのためになるなら、どんなこともできる気がした。
精霊語もすらすらと話せるくらいに習得した。
教会の精霊図書館に何時間も籠もっていろんな本を読んだ。
そんな彼女の舞は精霊たちを楽しませた。
村人たちも教会の人たちも、彼女の舞を“良い”ものだと口々に言う。
ルチアが舞巫女として4回目の舞を披露した冬。
それは突然訪れた。
竜が空を覆った。一際大きな竜と、大量の空竜。
世界は、一瞬にして暗くなった。
精霊たちもざわついていた。
国の端っこの田舎の村人たちにできることはない。
ただ、願った。天災が早く収まることを。
ルチアにだってできることはなかった。しかし、ずっと落ち着かない精霊たちに何かしてあげたかった。
彼女は舞っていた。もう舞巫女として2年目だ。腕の振り上げ方も、指先の形も、足さばきも、頭の使い方も知っている。
精霊たちが喜ぶ舞を知っている。
彼女は舞い続けた。
それを誰も止めなかった。
残念ながら、天災__以降“古代竜の大災害”と呼ばれた国を揺るがす一件は、簡単には収束しなかった。
八大大精霊の力を集めても退けることしかできなかった、巨大な古代竜によるファムオーラ全域への襲撃。
ホム村も無事では済まなかった。
「お母さん、わたしね、精霊さんに教えてもらったの」
「何を教えてもらったの?」
夕飯の乾パンを齧りながら、ルチアは母親と穏やかなひと時を過ごしていた。
古代竜の騒ぎで町からの流通が途絶え、冬であることも重なり食料は常にギリギリだった。
「守る魔法!」
「あら良いものを教えてもらったのね。危なくなったら精霊さんに頼るのよ」
「うん。あとね、お母さんもお父さんも、ルルちゃんもジーくんも守るよ!」
「ありがとう。ルチアは優しいね」
ルチアの周りを囲む精霊たちがざわめき出した。
ついさっき、ルチアの舞で落ち着けたばかりだったが、何か起きるのだろうか。
母親は精霊が見えていないから、ルチアがソワソワしだしたのを見て察するしかない。
ルチアは精霊に何かあると、助けてあげたい思いが顔や仕草によく出るのだ。
家の窓から外をよく眺めたものの何も見えなかったが、母親はルチアの肩を抱いた。
「今日は寝る前に広場に行く?」
「……ううん。たぶんね、舞うやつじゃないと思う」
舞巫女の舞は、村の広場で行っていた。
夕飯を食べて、寝る前にも舞っていたこともある。
ルチアはざわめきからいつもと違うのを感じていた。精霊が興奮しているわけではない。教えてくれているのだ。
……何を?
精霊たちがルチアに必死で何かを教えようと、ふわふわ動いている。
彼らが形作るものに察したくはなかった。
精霊たちが集まって、生き物の姿を作っていく。
羽が生えて、手足も頑丈そうで、口が凶悪な……
「空竜と海竜が……! 空竜と海竜が出たぞ! 北へ避難しろ」
家の外で大人たちが叫んで知らせる声に、ルチアは思考が止まる。
「ルチア、行くよ」
「……っ!」
声が出なかった。
母親に手を引かれるまま立ち上がった。
「もしもの時はルチアが魔法で守ってくれるんだもんね?」
「あ……う、うん!」
母親はルチアを背負い、他の村人の流れに乗って走る。
そうだ、わたしには守る魔法があるんだ。
ぎゅっと目の前の服を掴む。
いつもお母さんを頼ってばっかなわたしに、お母さんを守れる魔法があるんだから。
精霊が知らせてくれる。
みんなが逃げた方から竜が来ると。
お母さんたちは息を切らして走り続けている。
なんとかしないと。
「守って!」
ルチアがそう叫んだタイミングで、空から火炎が降り注いだ。火の空竜だ。
守る魔法がそれを防ぐ。
突進してきた竜も守る魔法が防ぐ。
「守って!」
火竜は諦めが悪い。
遠距離からの火吹きと突進が降り注ぐ。
「守って!」
避難場所まであと少しだった。
あと少し。
なんだか力が抜けていく。
「守って……!」
あと、
『雷の矢』
逃げる人々に逆らうように立つ男が居た。
魔術師のローブを身に纏った男は、竜たちに魔法を降らせる。
魔法の追撃は止まらない。次々に竜を撃ち落としていく。繊細で的確な殲滅だった。
ルチアはあの男のことを知っている。
時々ホム村に来るすごい魔術師だ。
名前はウォリス。冬の森および氷の大精霊の管理をしている守護者だ。
ルチアに精霊のことを教えてくれたこともあった。
「ウォリス様だ……!」
「守護者殿が来てくれたぞ……!」
心強い味方である。
ルチアは安心して、涙腺が緩む。
「っくそ……」
だが、ウォリスから発されるのは苦しげな声だ。
更に彼の周りによくいた精霊の姿も見えない。
村人たちは避難場所に辿り着き、結界の中からウォリスの背中を見る。
心がざわざわと騒ぐ。
順調に竜は落ちているのに、彼の表情は優れない。
どうして精霊さんはお兄さんに力を貸してあげないの?
「舐めてるよなあ、ホントにさ……」
「し、海竜だ……!」
上には火竜、下には海竜。
海から陸へ這いずってきた、トカゲのような竜の大群が攻めてきた。
残り数体の火竜たちが火を噴く。
『守って!』
ルチアは夢中で声を出した。
どうか、どうか、精霊さん。力を貸して。
ウォリスお兄さんを守って。
ルチアの声に応えるように、強力な防御結界がウォリスの頭上に展開された。
それは見事に炎を防いでみせた。
「雷の矢」
瞬間を見逃さず、ウォリスは魔法を放つ。
雷の矢は火竜をことごとく墜落させ、海竜の半数以上の殲滅と足止めを遂行する。
先の魔法より威力と範囲が増していた。
「ウォリス様!」
対竜の戦闘員が援護に来たらしい。
10人の隊は見事な連携で海竜を少しずつ退けていく。
その後ろに控えていた魔法使いとウォリスが海竜を倒していく。
*
竜による侵攻がなくなり、村人たちは賑わいを取り戻していた。
「すごかったね!」
「ええ……」
「お母さん?」
ルチアは母親の様子がおかしいことに気づく。
避難場所を隅から隅まで見渡して、誰かを探しているようだった。
「あ、そういえば、お父さん大丈夫かな……」
ルチアも探し人を思い、この場にいないか探してみるが、彼女の父親の姿はない。
いつも通りのルーティンなら、竜が現れた頃は教会に行っているはずだ。
そういえば、教会の人たちも、ジーくんのお父さんの姿もない。
「ルチアちゃんのお母さん!」
「ジーくんのお母さんだ」
ジーくんの母親がジーくんとともにやって来た。
無事ここに避難していたらしい。しかし、彼女らの顔には焦りがみえた。
「うちの夫がどこにいるか知りませんか? ルチアちゃんのお父さんと一緒にいるって聞いたんですが……」
「ごめんなさい、私も夫を探しているの。教会の方に行ったきり会ってなくて」
「……見てこれ。う○ち石」
「汚いよ~」
ジーくんの手のひらには黒い石が乗っている。
表情が暗いルチアを元気付けようとしたのかは謎だが、通常運転のジーくんだった。
「おい、あれ……!」
「なんだ!」
「まだ竜がいるぞ」
「ウォリス様たちはどこへ?」
「こっちを見ませんように」
「大きくないか?」
「近づいて来てる……!」
『どこだ』
さっきまでいた竜とは比べ物にならない大きさの竜が空にいた。それは異様な雰囲気の竜だった。
ただ人間を襲ってくるのではなく、見定めるように知性があるかのように空を飛んでいる。地に響くような精霊語で話している。
『滅べ滅べ』
『ああ。悲しい悲しい』
『出来損ないの後始末をワタシがしなければいけないなんて、』
『悲しい』
巨大な竜は力強く吠えると、尾を振り回した。
地上の家々が粉砕される。当たっていないのに、何かの力で壊された。
「ルチア、大丈夫だからね」
母親がルチアを自分の体で隠すように抱きしめる。
守られている。
守ると、守れる力があると言ったのに。
それでも母は娘の体を抱きしめて、巨大な竜の謎の衝撃を受けて事切れた。
『ああ、悲しい』
もう一度、尾の攻撃が降ってくる。
もうみんな死んでいってしまったのに、確実に殺そうと衝撃が降ってくる。
「ま、守って……」
ルチアの拙い魔法は、巨大な竜の力の前では無力だった。一瞬で守る魔法は崩された。
息のない母親の体が、ガクンと揺れた。