13話 雷が落ちる時……
本当に、この地域は雨が多い。
ゆっくりお風呂に入って、アイスを食べてあとは寝るだけだったルーク・フルールは、窓の外を見てため息をついた。
外に出ている時に降ってこなかったことは運が良かったと言うべきか。
雷の地域は雨も多いし、ついでに雷も付いてくるからタチが悪い。
雷の大精霊が力を失ってからより酷くなったらしいし。
雨足の強くなる様子を横目に、寝室に入る。
ピカーーン!
一際強く空が光った。
その瞬間に暗い部屋も明るくなった。
そして、見てしまったのだ。
ルーク・フルール13歳。苦手なものお化け・虫・怖いもの。
部屋の真ん中に立っていた無表情の女の存在に失禁しかけた。
本来はこの家にルーク以外の人間がいるはずない。
さらに人間離れした雰囲気を纏った異様に顔が整った美しい女。
表情などない精巧に作られた人形かのようなピクリとも動いていない顔の筋肉。
国内で見ることなどほぼないピンク色の長い髪。
宝石をそのまま留めたような赤く輝くピンクの瞳。
血色のない肌。
何の情報もない無地のワンピース。
裸足。
見えたのが一瞬であっても細かいところまで見て記憶できる脳と、優秀な眼鏡が恨めしい。
見え過ぎてしまった。
知らない人がプライベート空間にいるだけでも怖いのに、さらにマトモな人間でなさそうな風貌であるから、余計未知への恐怖感が積み上げられた。
気分は最悪である。
もう寝られないし、この家から出たい。
叔母さんが連れてきてしまったのが、住み着いているのだろうか。
彼は一つの推測を得た。
その可能性は高い。
恐怖で縛られた脳を必死に回転させる。
精霊に愛された叔母が勝手にここに住みなと優しさを与えた相手だとしたら。人に変化出来るということは上位精霊だ。
叔母さんと関わる精霊なら、下手に刺激しなければ大丈夫。
ルークはじりじりと関節が震えで曲がらなくなった足を動かし、距離を取る。
「ご、ごゆっくりっ……!」
引き攣る喉が声を詰まらせる。
彼女に聞こえたかは分からないが、確認する前に寝室から出て一階に駆け下り、リビングの扉をしっかり閉めて閉じ籠もった。
扉が開かないよう重い物を置いたり細工をしたりする。
「ハァ……ハァ……こ、こわかった……!」
精霊は物体をすり抜けてくることが出来ない。
“アレ”が精霊ならばこの部屋に入っては来られないはず……だ。
震える体をソファに横たえて、視界も音も全てシャットアウトするようにクッションで頭を隠す。
眠れるわけないが、朝が早く来てくれることを祈って目を閉じた。
*
「い、いない……」
雨が止み、日が昇り、ルークは寝室に行ってみた。
ピンク髪の女の姿はない。
慎重に左右前後上下を確認して、息を落ち着けた。
*
「おはようございます。お邪魔します。今貴方一人ですか?」
目の下にクマが出来たルークが早朝に訪ねて来た。
昨日ぶりである。
ちょうど庭に出て探索をしていたルチアと鉢合わせたのだ。
後ろにはユキもいる。
「お、おはようございます……! えと、アリサさんにご用ですか?」
「はい。いらっしゃいますか」
「いま、さっき外に出られたばかりで……すみません」
調達するものがあると言って朝早くからアリサは出て行った。
そのすぐ後にルークが訪問してきたので、タイミングが悪いとしか言えなかった。
彼は目的の人物がいないことに気を悪くしたりせず、まっすぐクマを付けた目でルチアを見て言う。
「少し……話を聞いていただけませんか。聞いていただくだけ、でいいので」
「わ、私でよければ……?」
聞くだけでいい話とは何だろうか。
庭に座れる石があったので、そのまま腰を落ち着けて話を聞くことにした。
「申し訳ないんですが、そちらの男性はどなたですか?」
「え、えーと……」
話し出す前に、ルチアの横に立つ真っ白な男ユキに目を向けた。
確かに昨晩ユキはいなかったので、ルークが彼を知るわけがなかった。
「ユキです。どうぞよろしく」
「ルークです。お兄さん……という感じでもなさそうですね。あ、すみません、貴方のお名前はルチアさんで合ってますか?」
爽やかなよそ行き顔をして挨拶をするユキと頭のてっぺんから足の先までしっかり見て返すルーク。
ルークは人に対して警戒心が強いのだろうか。よくジロジロ人を見ている。その結果、ルチアとユキは流石に兄妹でないと思ったらしい。
昨晩は彼にとって衝撃的なことがたくさんあったため、比較的影を薄くしていた少女の記憶が曖昧だった。
今日落ち着いて確認できたのは僥倖だった。
「はい、合ってます! あの、ユキは私と一緒に旅をしている方で……」
そこそこ歳が離れていそうだが、少女を男が唆してワルイことをしているのでは?
ルークはユキを訝しんだ。
「氷の上位精霊さん、です………!」
ルークは自分が掛けた疑惑を一瞬で晴らした。
精霊かよ。
「すごいですね。上位精霊と旅をしているのですか」
彼の頭にふっと、とある精霊に愛された叔母の姿が浮かんだ。
あの人はいつも何かしらの精霊と居たな。
ルチアとユキという精霊はどんな経緯で一緒に旅をすることになったのだろうか。
か弱く今にも倒れそうな頼りなく見える少女と柔和な青年の姿を取った氷の精霊の旅。もしかしたらこちらが想像しえないほどの壮絶な事情があるのかもしれない。
もっと話を聞いてみたいが、まだ出会って1日も経ってない人間に根掘り葉掘り聞かれるのは嫌かもしれない、と留まった。
*
「おれの話なんですが」
「……はい」
「情けない話ですが、怖いものが苦手で昨日怖い目に遭ったのでそれを発散するべくだれかに話したくて話したくて仕方なかったんですよ」
「怖い目……」
ルチアは彼が話しやすいように最低限の相槌を打つ。
彼のこれから話すものは苦行らしい。すごく眉間にシワが寄っている。
「……まずおれの簡単な身の上を説明してなかったですね。首都ハイエルン__光の地域ですね、普段はそこで暮らしてます。昨日からセイロに来ました仕事とかをするために」
「首都から……! お仕事されてるんですね」
ハイエルンは国の首都であり、光の大精霊がいる“輝玉の神殿”がある。いずれ訪れる地だ。
「はい。仕事をするには早いとは言われるんですが、趣味と実益を兼ねてるので……いろいろやらせてもらってます」
趣味と実益を兼ねる。言ってみたい言葉である。
ほえーと感心しながら、自分と歳が近そうな少年がすごくしっかりしていることに衝撃を受けた。
「そういえば、お金が好き?なんでしたっけ……」
「いろいろ誤解されることを昨日しでかした記憶があるので、少し訂正させてください。確かにお金は好きですが、厳密にはお金の数字が増えたり減ったりしてるのを見るのが好きなんです。数字を見ると、ドキドキしてワクワクしてハラハラさせてくるので飽きないんですよ」
ルチアにはあまり分からない世界である。
ほえーと気の抜けた相槌を打った。
お金が好きであることとほぼ変わらないのでは、と思ったが。
「……まあ、そういうわけでセイロで仕事をするために寝泊まりしているのが、ここの向かいの家なんですが。あれは叔母が各地に滞在する時用に借りている家を使わせてもらってるものなんですよ」
ルチアは向かいの家を見た。
華美でない平々凡々な2階建ての一軒家だ。借りるにしては高くつきそうな物件である。場所としても守護者邸の向かいである。
アリサも彼の叔母については敬意を払った態度だったので、彼も彼の叔母もすごい人なのだとルチアは思った。
「そんな家でですね……出たんですよ」
「で、でた……?」
“出た”と言われると想像するのが、虫がお化けである。ちなみにルチアはそれらに恐怖を覚えたことはない。
「ピンクの髪の能面のような顔をした女が……」
「……」
ピンクの髪という情報がノイズになった気がした。
「おれの寝る部屋に棒立ちでいたんですよ……!? マジで何考えてるか分かんないし動かないし、雷が演出家すぎてより怖いしっ!」
「寝るお部屋にいるのは怖い……」
ルチアは想像した。
自分の気を抜ける部屋に知らない人間がいる恐怖。
それが何をしてくるかも分からない恐怖。
これってヒトコワってやつだろうか。
「ですが、さまざまな情報を重ねるとそれは上位精霊なのではないかと思っていて」
精霊コワだった。
「……精霊さん……」
「精霊であるユキさんの前で言うのは申し訳ないんですが……正直超常的な力を持った精霊がいるのも人間と同じくらい恐いんですよ。おれ魔法使うの苦手なのもあってあんまり精霊とは関わらないようにしてきたから余計……余計何をして何ができるのかの知識も多く持ってないからぁ……」
「知識ないと……恐い、ですよね」
ピンク髪の精霊は何の目的でルークの寝室にいたのだろうか。
「いまは、いないんですか?」
「朝になったら消えてました」
一旦話したい想いは治まったのだろう、ルークは一つ息をついた。
「すみません、貴重なお時間を割いて話を聞いていただいてありがとうございます。おれこれで……」
「ルークくん? 例えば、キミが見た人ってあんな感じですか?」
ずっと黙ってニコニコしていたユキが、去ろうとするルークを止めて庭の端に生えた緑生い茂る木を指した。
「……え?」
ルークもルチアも釣られてそちらを見る。
ピシャーーーンッッ!
木に雷が落ちた……幻覚が見えた。
そして、見えた。
ピンク髪の……
ワンピースを着た女の姿が。
「ギャーーーーっっ!!」




