12話 大切なコト
__一方その頃。
ルチアたちとはぐれた、というかわざと離れたユキは夜の街をふらふらと歩いていた。
彼はずっと狙い続けている。
ルチアたちに“いたずら”を仕掛けるタイミングを。
最初に見掛けた時からいたずらしたら倒れそうな風体をしていたため、気を遣ってやらなかっただけで、精霊として生まれて数年の子どもに近い感性の彼は今か今かと待ち続けていた。
ルチアはもうだいぶ“マトモな人間”っぽい顔つきになった気がするので、タイミングさえ合えばいつでもイケるわけである。
鬼門はつい数日前出会ったアリサという守護者の女だ。彼女はユキを要注意精霊かのように、逐一目を光らせている。
今回の離ればなれも気づいた上で無視していた。
ついでにアリサにもいたずらできたら、と思っていたが魔術師として大変優秀らしい。
隙すら与えてくれなかった。
なので、ユキは考えた。
自我の強い上位精霊は、人並みの比較的優れた思考を持っている。
結果、人の世界をもっと学ぶことにした。
ルチアも圧倒されていたこの人の多い街で得られるものは多いと考えた。
それに彼女らは守る魔法を鍛えると言っていたから、抜け出すにはちょうど良い。
人が流れる方へ、明かりが多い方へと足を進める。
人がひしめきぶつかる方へ。活気溢れる声が聞こえる方へ。
光の姿になれば人混みなんて気にせず一瞬だが、生物の形をとって不自由に動くことこそ変化の“真髄”だとユキは勝手に解釈していた。
人型の真っ直ぐで長い脚を動かすのも楽しい。
人から声を掛けられることもあるから、面白い。
生きている人々の動きをよく観察しながら、違和感のないように行動してこの世界に馴染む。
発される言葉も不思議だ。言葉遣いとやらの取捨選択を間違えれば、人としての自分の存在がぐらつく気がする。
ただ姿を変えたら良いわけではないのだ。姿を変えてからの“姿”に拘ることこそ、ツウなのだ。
一冊エッセイ本を書けそうな、意気揚々とした足取りで街を歩く。
ところで今更だが、ユキはお金を持っていない。
「安いよ安いよ!」と声を上げていた店員にふらふらと近づこうとした時、賢い思考が気がついたのだ。
街で交流を図るためにはお金が必要だと。
確かにルチアも大道芸で頑張ってお金を稼いでいた。彼女でさえ必要とするものがないのはいかがなものか。
しかし、この街では大道芸人の姿は少ない。需要がないのかもしれない。
どうやってお金を得ようか考えていたら、空から水が降ってきた。
雨だ。雨に打たれる経験は少ない。
みんな屋根があるところに移動していたので、それを真似る。
よく見ると、この明るい道は雨を守るが如く屋根が付いている。
街の造り一つ一つにも意味がある。
まばらになった人の流れに、付いていくか敢えて逸れるか。
と考えていると、声を掛けられた。
「お兄さん、うちのお店いかがですか?」
“1杯1000エン”と書かれたカードを掲げた茶髪の少女だ。
ルチアよりは大人びているが、幼さは残る柔らかい印象の顔を強張らせながらジリジリとユキに迫る。しかし腰は引けていた。
「すみません、今お金を持っていなくて」
ここまでの道で同じように声を掛けられたので、同じように返答した。
柔らかく微笑みながら申し訳なさそうに眉を下げて言うと、だいたいの商売人は引き下がった。
ユキの外見や素振りから本当にお金を持っていないのか疑ってきた人は躱すのが難しかったが。
「えーと、えーと、これ無料です! 無料で大丈夫なので、お話していきませんか?」
“1000エン”を手で隠した。
なんと無料。
とってもお得です! と彼女も必死に言っているので誘いに乗った。
*
「いらっしゃい」
暗めの照明が女とテーブルを映す。
生地が薄いドレスを着たショートカットの女は、バーカウンターからユキと少女を迎えた。
「タオさん! すいません、コレ! コレです!」
茶髪の少女は身振り手振りと持っていた宣伝カードを駆使して、タオと呼ぶショートカットの女に何か伝えた。
「……はあ? とりあえず座ってもらって」
「いえ、あのコレアレなんです!」
「そんなジェスチャーで伝わるわけないでしょ」
伝わっていなかった。
色の濃い紅が塗られた口が歪み、呆れた息をつく。
色気のあるため息だった。
とりあえずユキは女の前の椅子に座った。
座るとちょうど目の前に、女の豊満な胸の谷間があった。
「うお、でっか」
なぜか隣に座った少女が声を出した。
さらに前に胸が出てきたかと思えば、少女の頭が絞られていた。
「す、すいませぇん……いた、いたた」
「なんでアンタがそっち行くのよォ。練習相手連れてきたんじゃないの? アタシがイケメン欲しいって言ったからただ連れてきたんじゃないでしょうねぇ?」
「あばばばば」
「……見本を、まず見本が欲しくて!」
頭から手が離された少女はそう言った。言い訳である。
「いっつも見せてるでしょう……はぁ、ごめんね厄介な女を外に放しちゃって。アタシはタオ。このバーの店主みたいなことをしてるのよ」
「ユキです。いつもこんな風に仲がよろしいのですか?」
「……ええ」
悩ましげに眉を寄せる表情もセクシーだったが、ユキの言葉への返答は全てを飲み込んだ苦々しい顔になった。
客の前で、余計な諍いを見せるわけにいかないと踏みとどまったのだろう。
空気を変えるように、手を叩いて高めの声を出してタオが言う。
「ところで、今日は何を飲まれますか? アタシのオススメは“タオの生搾りミルクカクテル”」
「……えっちなやつですよっ! 初来店の方にはさっぱりオレンジカクテルがおすすめです」
それは何かと訊く前に、隣の少女がコソコソとさらに困惑させることを言ってくる。
「どちらの言葉を信じたらいいですか?」
「迷われるなら、後でこの子が相手になる時彼女のオススメにしたら良いのではなくて? ぜひアタシとのお話の時には“タオの生搾りミルクカクテル”を飲んでいただきたいわぁ」
「じゃあそれで」
後で隣の少女が正面に来るらしい。
「えっち!えっち!」
「ごめんなさいね、この子多感な時期で」
騒ぐ少女の額を指で弾いて、タオは無駄のない動きでカクテルを作り始めた。
「アナタお酒は飲めるの?」
ユキは“お酒”について少し考えて、はいとお行儀よく返事した。
もちろん酒を飲んだことはないし、飲めるかも知らないで堂々としている。
人間の飲酒が許されているのは20歳からで、貴族だと18歳頃から酒に慣らすために飲むこともある。
精霊については、そんなことをわざわざ決めているわけがないし飲んでも性質的に影響を受けないので個精霊の自由意志であることが多い。
「ユキさんはこの街の人じゃないわよね?」
「そうです」
タオの手元を見ると、酒とホットミルク、その他調味料がグラスの中で鮮やかに混ぜられていく。
「どこからいらしたの?」
「確か……南の氷の地域の方から来ました。雷の大精霊に会いに」
「雷の大精霊様ですか! あ、でも今力が弱まってるって聞きました」
「そうらしいですね」
隣の少女も興味津々に会話へ入る。
大精霊の力について一般市民も知るところらしい。
大精霊や精霊のことは一般人が触れられる範囲を外れているため、何かあっても見守るだけか出来ることがあれば協力するか、という割と遠い関係である。
精霊に関する問題は、守護者含む魔術師や王様たちがなんとかしてくれるものだと思っている。
「魔術師さんなんですか?」
「いえ。会いたいと言う同行者に付いてきてるだけです」
「ここまで一緒に行動してないんですね」
「勝手に離れて来ました」
「勝手に離れていいんだ……」
私がタオさんから離れたら1時間グリグリの刑なのに……と少女は呟く。
「当たり前でしょ? ハイお待たせ“タオの生搾りミルクカクテル”」
「ありがとうございます」
乳白色の液体が照明のオレンジを反射する。
作法などは分からないので、探り探り一口含む。
ミルクを飲むのは初めてなので、どれがミルクか酒か分からない。口にしたことのある味が一瞬あった気がしたが、すぐに消えてしまった。
「ユキさんも結構ワルいヒトなのね。同行者さん困ってないかしらぁ」
「どうでしょうね〜困ってたらいいな」
面白そうだな、と思った。これも一種のいたずらだったのかもしれない。
ルチアのリアクションを見られなくて残念だ。
終始穏やかにやり取りするユキをなだらかに吊った目で観察しながら、対向するようにタオは妖艶に笑う。
「……同行者さんで悩んでいることがあるんじゃないのォ? そうでなくてもアタシに相談してみない?」
「あ、そうなんですよ。ちょっと困ってたんです……同行者に、いたずらをしたくて」
タオは想像していたより面白そうな相談に、ニヤリと笑った。
隣に座る多感な時期の少女は、ピンクな妄想を頭の中で広げてしまった。
「楽しそうだわぁ。アタシで良ければ“楽しいイタズラ”を教えてあげる」
ありがたいなぁと思ったので、ユキは頷いた。
「えっちだぁ……」
少女の震える声を無視して、タオは話し始める。
「まず大切なことは____」
*
「次は私の練習に付き合ってくださいますか!」
タオとの濃厚な会話が終わると、やや頬を赤らめた少女が勇んで立ち上がった。
断る要素もないので、ユキは笑ってどうぞと送り出す。
タオの作ったカクテルのグラスはもう空になっていた。それも見かけての交代宣言だったのだろうか。
女たちの立ち位置が入れ替わり少女がユキの目の前へ、タオが隣へ座る。
「次のお相手はアイニィです。何を飲まれますか? 私のおすすめはオレンジカクテルです」
「はい。それで」
アイニィと名乗った少女は、嬉しそうにグラスを出した。
氷と酒とオレンジジュースをたどたどしくも自信ありげな動作で混ぜ合わせる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
見た目はほぼ冷たいオレンジジュースを一口味わう。
ユキはなるほど、と酒というものの味を理解した。
先程のミルクカクテルと似たような味のものがあったのだ。それに、これはちょっと主張が強い。
これがお酒で、これがオレンジ。
多分あれがミルクだった。
それぞれの材料の味を分析して、覚えていく。
「えーとぉ……ユキさんはどちらから来たんですか?」
「さっきアタシが話したことをリピートしない。練習だからってヒトを舐め過ぎ」
ユキとしては同じ話でもよかったが、タオがピシャリとアイニィを諫めるので黙っておいた。
アイニィはいざ話すとなると話題が出てこなくなるタイプらしい。
パクパクと口を開閉して、四方八方の空間に視線を飛ばしている。ときどきタオに助けを求める目を送っているが、無視されている。
「……ユキさん」
アイニィは覚悟を決めたように、丸い目を鋭く細めた。
タオも彼女を審査するようにこの後の行動を見守る。
ユキはどんな面白い話が出てくるか期待の目で彼女を見る。
さらさらの茶髪は接客をするからだろう、細やかに整えられている。化粧は控えめだが、彼女の明るさを後押しする柔らかい色が要所を抑えていた。
そして、華奢な肩から胸元まで覆うストールをぎこちない動きで外すと、白い肩も鎖骨も見える少女らしいドレスの全貌が現れた。
「私、実は隠れ巨乳……なんです」
沈黙が空間を支配する。
タオは肝心なところで馬鹿な愛らしい少女を目の前に、顔を覆い現実から目を逸らした。
ユキは胸に興味がある精霊ではないので、なんの効果も及ぼさない結果となった。
**
雨は勢いを増し、雷がゴロゴロと音を響かせていた。
街頭と雷の光を頼りに進む人間もいれば、見知った魔力の残骸を頼りに進む精霊もいる。
人の姿になることを一旦やめて、ユキは光の状態となりルチアのところまで飛んでいった。
迷うことはない。真っ直ぐ目的地まで。
大きな建物が見えた。そこからルチアの魔力を感じた。
2階の角部屋に、おそらく一人。アリサは一つ空けて隣の部屋にいるようだ。
ずいぶん良い宿だなあとふよふよ周りを一周して、窓際まで近づいた。
人が2人寝られそうなベッドに、見覚えのある赤毛の少女が横たわっている。
室内にいる中位精霊たちに窓を開けてほしいと伝えて、中に入れてもらった。優しい精霊たちである。
大雨が降っているため、中に水を入れないよう素早く精密な連携で転がり込む。
光から青年の姿に変化し、ベッドの側に立った彼は数十分前とは一転してニヤニヤと顔を崩していた。何かを企んでいる。
周りの精霊たちにも生き物に変化するよう身振り手振りで提案する。
中位精霊も巻き込むようだ。
ひそひそと忍びながら、青年・雀・蜥蜴・蜻蛉・梟たちがベッドに上がっていく。
眠りが浅くなっていたルチアは、周りの気配や振動で起きてしまったようだ。
ぼんやりとした目を開いて、精霊たちの奇行を見守る。意識もついてきたのか、ユキが戻って来たことに気づいた。
「……ユキ、おかえり……なさい」
ユキはそんなルチアに愛しい幼子を見るような表情を向けながら、隣へ横になった。
「ただいまルチア。おやすみ」
それにむにゃむにゃと言葉にならないおやすみを返して、ルチアは再び眠った。
長旅続きで疲れが溜まっていたからだろう。ふかふかの布団に包まれ、深い眠りについた。
*
早朝。
赤毛の少女は目を覚ました。
寝る前まではいろいろなことを考えて不安になってうまく寝付けなかったが、なぜかスッキリとした覚醒だった。
しかしスッキリした頭はまたあれやこれやと不安を煽るようなことをフラッシュバックさせてくる。
そうだ。ユキが昨日からいない。今日も姿を見せなかったらアリサが探してくれるらしいが、それでも見つからなかったら……もう一緒に旅をしてくれないと言われたら……
ふと、お腹にある腕に違和感を覚えた。
大人の人間の腕が自分のお腹に回されている。
アリサの腕ではない。アリサより骨ばったどちらかというと男性の……
そこまで考えが至って、飛び起きた。
「おはようルチア」
居る。
良かった。
でもなぜ。
人の姿で。
隣に。
「ふぎゃっ」
情けない声を出しながらベッドから転がり落ちた。
タオ直伝のいたずら成功……である。




