1話 芽生え
きらきら、さらさら、ふわふわ
ずっとずっと、
きらきら、さらさら、ふわふわ
自分を取り囲むように漂う光たちを眺めながら、彼または彼女は“飽きたな”と思った。
なんの変哲もない景色を飽きると思うことなんて、めったにない。
しかし何らかのきっかけで、彼または彼女は感情を持った。
ただ当たり前にあった世界から抜け出してみたいと思った。
抜け出すことは案外簡単だった。
自分の周りを囲んでいた光たちも、つい先ほどまでの彼または彼女と同じように意思はない。ただふわふわと浮かぶものからひとり抜けるのなんて、自我を芽生えさせた彼または彼女にとって容易なことだろう。
外の世界は氷の精霊である彼または彼女(以下、彼とする)に衝撃を与えた。
なにより情報量が多い。
一面真っ白だった世界から一変して、赤、青、緑、黄、白、黒、紫、など見たこともない色や物体が広がっている。
木にへばりついた昆虫を眺め、枝の先まで木を認識するように舐め回すように見た。
大きな熊に恐怖心なく近づいて、体に生えた体毛や鋭い爪を興味深そうに見た。
彼と同じように淡く光る精霊にも挨拶した。挨拶といっても近づいて通り過ぎるだけではあったが、赤色の体を彼はうらやましそうに見た。
さまざまな精霊がいて、動物がいて植物がいるごく普通な森に、彼は胸を躍らせた。
*
あれからどのくらいの時が経っただろうか。
氷の精霊は精霊同士で意思疎通ができるようにまでなった。他の精霊とのコミュニケーションを通してこの世界でのルールを知った。人間へ力を貸したり、ちょっとしたいたずらをしたりした。氷の精霊は自分の力の使い方を知ったし、何ができて何ができないのか学んだ。
精霊が特に気に入っているのは、自分の姿を変えることだった。
普段は精霊同士でしか見えない光の塊だが、生物の形に変化して姿を変えられるようになったのだ。
今の精霊たちの間での流行は、羽の生えた小人の姿になって人にそれっぽく力を貸すことだった。
しかし、氷の精霊は小型の動物の姿になって森を散策して、たまに人間に力を貸してみるのが“通”だなと思っている。
彼がいる地域は、よく雪が降っている。
生き物に変化しても真っ白になりがちな彼にとって、うまく姿の隠せる積雪日はいい日だ。
精霊は元の光の色によって、生き物へ変化したあとの色彩に影響が出たりするらしい。それが顕著なのが、氷の精霊である彼だった。真っ白な光の彼は真っ白な生物へ。赤色の光である火の精霊は毛がある生き物だと赤毛に。
それに精霊の特性によっても変化しやすい、変化しにくい生き物がいるらしい。
今日の彼は真っ白な狐だ。
慣れた足取りで木の間をすり抜け、街道の側の雪を被った木に身を潜めた。
朝すれ違った精霊仲間によると、旅人がこの道を歩いていたらしい。
時間的にそろそろここを通るだろう。彼はじっと旅人を待った。
来た。ピン、と狐耳が立つ。
そわそわする心を落ち着けて、人の様子をよく見る。まずはいたずらを仕掛けてもいいかどうかだ。
しかし、彼はムムム……と頭を悩ませた。
旅人は思っていたより小さくて細かった。これじゃあイタズラしたらケガしてしまうじゃないか。
イタズラをしてケガをさせたら大変なことになると、彼は学習していた。
ひとまずはあの旅人を追いかけて、隙があれば何かしてやろう。
旅人は赤毛の十代半ばもいってなさそうな少女だった。最低限しか入ってなさそうな軽い荷物を背負ってヨロヨロあるいている。
放っておいたら死んでしまいそうだった。
まともに栄養を摂れていないのがわかる、肌と肉つきだ。
今までこの道を通った人間は、ここの土地の特性を理解ししっかり準備してくるか、魔法で寒さを遮断してさっさと過ぎ去っていくかだった。
あまりにも異質な旅人とも言えない少女を心配に思った氷の精霊は、近くにいた火の精霊と彼女が死なないように助けてあげようと頷き合う。
それに、歩く彼女の周りにもいくつか精霊の光が飛んでいる。みんな彼女のことが心配で付いてきているのだ。
複数の精霊たちに見守られながら、赤毛の少女は歩く。
歩いて歩いて、更に寒い領域に立ち入った。
彼女の身体はひどく震えて、とてもではないがこの寒さの中もちそうにない。
そばにいた火の精霊は、ここの寒さが嫌いなので見守り隊から脱退した。
彼女の周りにいる精霊のいくつかも少し光が弱まっている。精霊は得意ではない環境に入ると力が弱まる。
ここで一番イキイキとしているのは、氷の精霊である彼くらいだろう。
彼はちょっと考えて、少女を助けてあげようと思った。彼女の目的は分からないが、寒くなくなるところまではなんとなく道も分かるし少しは助けになれるはずだ。
狐だった彼は人に姿を変え、少女の前に現れた。
「キミはどこへいくの?」
「……ハァッ……ハァ」
少女からは荒い息遣いしか帰ってこない。
寒さに相当堪えているらしい。精霊の彼を見る目もぼんやりとしてあやしい。意識はあるのだろうか。
人の姿になっている氷の精霊は、力を使った。
まず、彼女が寒さに凍えてしまわないように守る“力”を。
少女の周りから凍えるような風がなくなる。
氷点下まで下がった気温が少しマシになる。
しかし、彼女自身を暖める力ではないため寒さを知る身体は震え続けている。
身体が勝手に動いているのだろう。少女はゆっくり歩き続けている。
止まることのない歩みに寄り添って彼も歩く。彼は人の姿で歩くことも好きだった。
何も話せない少女に不機嫌になることもなく、優しげな目をして少女の言葉を待つ。
「……だい、せいれい様のところに……」
少女の喉から細々と声が紡がれる。
ふむふむ。と彼は頷いた。
だいせいれい様、というと精霊の中でも偉い精霊だ。
彼は大精霊様に直接会ったことはないが、噂にはよく聞く。
この街道を通る人間たちは皆、大精霊に会いに行くと言うのだ。この少女もその人たちと同じ目的地なのだろう。
なんとなく場所は分かる。
それならば。
氷の精霊は大人サイズの姿を活用して、子供サイズの少女を担ぎ上げた。
「じゃあ、僕が連れて行ってあげよう」
「……!?」
少女は急に体が上昇したことで、少し眩暈を起こした。
さらに今の状態が理解できていない。
この真っ白な青年は誰なのか。
なぜ凍える風を感じなくなったのか。
どうして担がれているのか。
氷の青年に担がれた少女の周りをふわふわとしている光たちも、何か少女にしてあげられないかな、とふよふよした。
その光たちの中でも弱々しく光る赤色の精霊が、なけなしの力を使って少女の体が暖まるように願った。赤色の火の精霊を助けるように、緑や黄色、オレンジの光が瞬く。
少女の体がふわふわと温まっていく。
健気な小さき精霊たちの力を感じながら、青年は構わず目的地へ進む。
「大精霊様のところに行って、何をするんだい?」
少女の意識を繋ぎ止めるように、話し掛ける。
「だいせいれい様の、ところにいって……ち、からを……」
ちから。
精霊の力を借りたいということだろうか。
力を貸すだけなら、彼女の周りにいる光たちや氷の精霊である彼でもできるだろう。
ここにいる精霊たちでもできないことなのだろうか。
それはとてつもなく、壮大な案件になっている気がする。