第15話 メインヒロインは決まっているという確定演出
常人の徒歩で5分程度の距離を、僅か30秒で走る。
冒険者になれば、通常の身体能力が格段に向上する。
それは、進化を重ねればさらに跳ね上がっていくということ。Aランクともなればここまでだし、Sランクまで到達すればさらに速く走れるはずだ。
――まずは楓香をベッドに寝かせるか。
家に帰るとすぐに楓香を寝室に運ぶ。
昨日寝てもらった俺の部屋のベッドだ。
汗もすっかり引いて、ただ寝ているのと何も変わらないように見える。
「大丈夫そうだな」
「……ん……ごにゃごにゃ……」
寝言でここまではっきりとごにゃごにゃ言う奴は初めて見た。
人が寝ている姿を見るのがそんなに多かったわけではないが。
近くで見ておかなくても深刻な事態にはならないと判断し、楓香が起きた時のための食事を作ることにする。
回復を施してもらった後は消化にいいものを食べた方がいいらしい。これは冒険者としての常識だ。
冷凍のうどんがあるから、それを食べさせておこう。
少なくとも今日までは楓香の面倒を見てやる必要がある。
「才斗……くん……」
また寝言だろうか。
「わたしは才斗くんを……って、おはようございます」
「起きたか……」
正直なところ、ぐっすり眠っていてほしかった。
だが、意識が回復したということなのでひと安心だな。
「いやー、体が気持ちいいです。わたし、どれくらい寝てました?」
「3日だ」
「え! そんなに!? ていうか、あの襲ってきた冒険者は――」
「悪い。3日っていうのは嘘だ。まだ奇襲があってからそんなにたってない」
「才斗くんも冗談とか言うんですね。ギャップ感じちゃいます」
こいつにとって、普段の俺は冗談も言えないような堅物、ということだろうか。そうだとしたらショックだ。
「今こうしてわたしが元気いっぱいなのは、才斗くんがあの冒険者を倒してくれたからですよね?」
「残念だが、野放し状態だ」
「もしかして……わたしを守るために逃がしたんですか……?」
こういう時、どう言ってやるのが正解なのかわからない。
自分のせいで敵を逃したという罪悪感や責任感を押し付けてしまうことにもなりかねないからだ。
「いや、あの冒険者は強かった。あのまま戦っても決着はつかなかっただろうな」
「むぅー、才斗くん、気遣ってくれてます?」
「そう見えるか?」
「やっぱり才斗くんって優しいんですね。惚れ直しちゃいました」
俺は自分が優しいとは思わない。
思ってはいけない。
楓香はもう大丈夫と言うように、澄んだ笑顔を見せてきた。
「あの……ありがとうございます。わたしを助けてくれて」
「礼を言われるようなことじゃない」
「わたしはずっと、才斗くんに支えられてきました。冒険者ブラックの偉業を聞くと、わたしの胸が熱くなるんです。【ウルフパック】の中ではブラックが才斗くんってことは公表されているので、自分と同い年だってわかるわけじゃないですか」
楓香は思い出話を語るように、穏やかな表情で続ける。
「そんな才斗くんがわたしの目標でした。ていうか、目標です。だからわたしは、才斗くんに感謝しかないんです」
まだベッドに横になっている楓香。
ベッドの隣に立っている俺の右手を取り、手の甲に優しく口付けする。
嫌だとは思わなかった。
「それは良かった」
俺は無機質な表情を変えないまま、小さく呟いた。
***
楓香にはうどんを食べさせ、またしばらく寝てもらうことにした。
多分明日はダンジョンも閉鎖されているはずだ。
明後日にはまた開放されるだろうが、政府も表面的には闇派閥を気にしているという意向を見せたいだろう。
――明日はダンジョンには行けない。
それは確定事項。
だとしたら、あそこにでも行ってくるか。
明日の放課後の予定を決め、1人納得したように頷く。
だが、とりあえずは今日の夜だ。9時から【ウルフパック】の本社ビル、西園寺リバーサイドで幹部の会議がある。
俺にそのことを伝えてきた剣騎の言い方だと、幹部が全員集まることを示唆していたが、実際はどうなんだろうか。
もしそうだとすれば、日本でもトップクラスの冒険者が1ヶ所に集められる、ということ。
もの凄いオーラが会議の間に充満するだろうな。
余っていたうどんを腹に入れると、スーツに変身して時が過ぎるのを待った。
ちなみに、【ウルフパック】から支給されている腕時計には、スーツや制服だけでなく、私服も何パターンか登録されている。
これには何度も助けられてきた。
俺が【ウルフパック】を手放さない理由の1つに、この腕時計があると言っていいだろう。
***
西園寺リバーサイドの前に着いた。
家からは走って20秒の場所にある。
冒険者のための企業が、ダンジョンから遠いはずがない。
ビルは東京の中でもかなり目立つ、巨大で、高く、黄金色のものだ。
反対に、ライバル企業である【バトルホークス】のビルは銀色。
日本の2大冒険者企業であるこの2つは、時に対立し、時に協力しながらその地位を築き上げてきた。
「何を突っ立っている? 会場はここだ。迷う必要などないだろうに」
「一ノ瀬……さん……」
突然背後に現れた強大なオーラの持ち主。
話しかけられるまでまったく気付かなかった。
その人物は、この【ウルフパック】の副社長であり、社長の西園寺龍河に匹敵するほどの冒険者、一ノ瀬信長だった。