さしずめ私はただのモブ……
これは『君に送る108本のバラ』という小説のワンシーンだ。
♢♢♢
「どうして貴方は殺戮を繰り返すのですか」
セシルがそう訊ねると血まみれの男がおもむろに振り向く。
「こいつらが俺の気に触ることをするからだろ」
そう言ったシルべアン・ブラックウェル公爵の瞳は、今まで見た何よりもセシルに恐怖を与えた。
「あっ……」
「セシル!」
セシルの隣にいたギルバートが彼女をギュッと引き寄せる。
「家族が、家族が悲しむとは思わないのですか……? この人たちの家族も、貴方な家族も……」
涙ながらに訴えるセシル。
「俺に家族なんかいない」
「お前には父親ががいるだろ」
ギルバートの言葉にシルべアンは、ハッと小さく笑いを漏らした。
「あんな奴父親じゃない。俺には家族なんかいないんだ」
そう吐き捨てたシルべアンは2人を一瞥するとこの場を去った。
そんな彼の瞳が少し寂しそうに見えたのは、セシルだけだろうか。
♢♢♢
この小説は皇太子であるギルバートと平民であるセシルの恋愛を描いた物語で、そこにシルべアンはラスボスとして登場した。
暴君として名高い彼だが、小説の作者が
『絶対にヒロインになびかないラスボスシルビ様。暴君だけどかっこいい!』
と投稿したことが話題になって人気を攫ったのだ。
♢♢♢
(信じたくない……)
ここが小説の世界だと分かった今、目の前にいるのは生意気な少年ではなく、未来のラスボス。
ちなみにアリステラは成長したシルべアンが最初に起こす事件、『セニーゼ伯爵家大量虐殺事件』の被害者だ。
名前すら作中に出てこない。
「さしずめ私はただのモブ……」
はははっと乾いた笑いを浮かべることしかできない。
「? ついに頭がおかしくなったか?」
「はぁ? バカにし……」
バカにしてるの? と言いかけて途中で自然と口をつぐんだ。
(未来のラスボス……私はいずれこの子に殺される……でもシルべアンが虐げられてたなんて知らなかった……)
ほんの少しだけ、なぜか罪悪感が湧いてくる。
思わず下唇を噛み締めた少女はジッと、シルべアンのことを見つめた。
(寂しそうかぁ……セシルの言ってたことちょっと分かるかも……)
シルべアンからは、どこか自分と似た雰囲気を感じる。
親の愛を求めていた前世の自分にそっくり。
(やめやめ! あの人たちのことなんか考えない!)
前世のことを思い出した少女は、ブンブンと左右に首を振る。
ただ、シルべアンへの同情のような気持ちはどうしても消えなかった。
「ねぇねぇ」
「……何だ」
(なんだかんだ返事はしてくれるのよね)
クスッと笑ったアリステラに対して、シルべアンが何がおかしいと睨みつける。
いつも通りの空気だったが、不意にアリステラが真顔になった。
「寂しい?」
そう言った少女には、子供らしからぬ哀愁が漂っている。
「は? ……別にそんなことない」
「そっか。寂しいんだね」
「だから違うって……」
「人はさ、寂しいと生きていけないんだよ」
何か思惑があったわけでもなく手を上にかざしたアリステラはそのまま言葉を続ける。
「私は親に愛されてないし、話し相手もいない。ずっとずっと寂しかったんだぁ。」
「…………」
シルべアンはアリステラの話を静かに聞いていた。
少年がそっぽを向いていた為、アリステラは彼がどんな表情をしているのか分からなかった。
♢♢♢
「……悪かった……」
長い沈黙を破ったのはシルべアンの謝罪だった。
「? 何が?」
アリステラが聞き返すと、シルべアンがおもむろに少女の首を指差す。
「首、痣ができてる」
「え……?」
(嘘でしょ!? そんなにひどい怪我になったの!?)
ほぼ反射的に少女が首に触れるとズキリと痛みが走った。
「ッ痛……」
思わず声を上げると、ほんの少しだけシュンとするシルべアン。
(まだ罪悪感っていう感情はあるのね……)
少し安堵したアリステラはゆっくりと少年の元に近づく。
触れることができる距離でも、首を絞められることはもうなかった。
「こっち向いて」
「?」
アリステラの声と共に2人の視線が重なる。
シルべアンを見てニコッと不敵な笑みを浮かべた少女は次の瞬間、少年のほっぺを思いっきり引っ張った。
「やりぃ、ヘンなかお!」
少年は驚きのあまり言葉が出ないようだ。
パッとアリステラが手を離すと、少年の頬はほのかに赤く腫れていた。
「これでおあいこね!」
満面の笑みの少女を見つめたシルべアン。
手を伸ばし、お返しと言わんばかりに少女の頬を引っ張る。
「ひょっと、らにひゅんのよ(ちょっと、何すんのよ)」
アリステラが不満げに反抗すると、プハっと言う笑い声が聞こえた。
声の持ち主はシルべアンしかいないだろう。
「ぷはははは! 変な顔!」
アリステラは、少年の無邪気な笑みをじっと見つめる。
初めてシルべアンが見せてくれた笑顔は、太陽のように眩しかった。
(何よ……こういう顔もできるの?)
笑い転げている少年を見たら、アリステラの心もスッと軽くなっていった気がする。
(━━てか、めっちゃ可愛いんですけど)
不覚にも、その可愛さに心を打ち抜かれてしまった。
(決めた! この子は私が立派な大人に育てるわ! ラスボスなんかにはさせないし、おじいちゃんになるまで元気に生きてもらうんだから!)
密かにそう決意した少女が闘志に満ち溢れていた事を、シルべアンは知る由もない。
♢♢♢
「一人分だけ……」
先程までの楽しい空気とは打って変わって、今のアリステラの表情はまるでお通夜のよう。
「……お前が食べたら?」
遠慮がちに発言したシルべアンも若干、いや、だいぶ引いている様子だ。
ことの発端は、5分前に遡る。
♢♢♢
2人がしばらくたわいもない話を続けていると、急にシルべアンに口を押さえられたアリステラ。
「もご!?(何!?)」
「しっ! 人が来てる。 悪いけど……」
(へ? 何その笑顔……?)
嫌な予感がする……そう思った頃にはもう遅かった。
「ふぇ!?」
シルべアンに抱きかかえられたのも束の間、ポイっと遠くに投げられる。
ドンっと床に打ち付けられた少女。
(いくらなんでもこれはないって……)
いててててっと少女が起き上がると、ガチャリと音がして部屋の扉が開いた。
(ホントに人来たし……)
これでは責めようがない。
というか、シルべアンの行動が自分のためだと思った今責める気もない。
部屋に入ってきたのは無表情のメイドで、転がっているアリステラを一瞥すると面倒くさそうに食事の乗ったトレーを置いてすぐさま部屋を去った。
「あー、大丈夫か?」
メイドが部屋を去ると、シルべアンが訊ねる。
その顔に申し訳なさはあまり見られなかった。
「うん、大丈夫……」
返事はしたものの、いきなり投げられた少女は確実に鬱憤が溜まっている。
「怒ってるか?」
少年がアリステラの顔を窺った。
「ううん、怒ってないよ。私のためだってわかってるもん」
ただでさえ立場の弱いアリステラがシルべアンと仲良くすると、もっと冷遇されるようになるだろう。
(それはわかる……わかるんだけど……ね?……一回怒りが湧いてくると中々収まんないだよぉ!)
気分転換のためにアリステラは両手で頬をパチンと叩いた。
するとシルべアンがビクッと驚く。
「よし! ご飯にしよう!! ……あれ……?」
グッと拳を突き上げた少女はトレーが1つしかないことに気づき、絶望した。
♢♢♢
そして今に至る。
「やっぱりこの家悪魔じゃん……」
というのも、アリステラは前世で食べることが好きだった。
たくさん食べるわけではないが、ご飯が体に染みるその瞬間が好きなのだ。
「一人分はあるんだからお前が食べれば?」
変なものでも見ているかのような表情のシルべアンはアリステラの目の前にトレーを置く。
(いや、流石に私1人食べるのはアレでしょ……)
アリステラにも良心というものがある。
「半分こしよ」
「は?」
「よく考えたら大人の一人分なんだから子供の私たちが分けたらちょうどいいぐらいでしょ……」
大丈夫、と親指を突き立てた少女の笑顔は微妙に引き攣っていた。
「……分かった。あとで後悔すんなよ」
「するわけないじゃん!」
こうして食事をとり始めた2人だが、予想もしなかった事がアリステラを襲う。