眼福!!
(またシルビに殺される夢……)
アリステラはよく、悪夢にうなされる。
シルべアンに殺される夢、セニーゼ伯爵に虐げられる夢、今は行方も知らぬ兄達に罵倒される夢。
これらは全て『前世の記憶が蘇らなかったら起こる出来事』だ。
「まだ朝にもなってないし……」
ふと窓の外に目を向けると、まだ真っ暗。
一度小さくため息を吐いたアリステラは、寝ているルアンを眺めながら過ぎゆく時間をやり過ごした。
♢♢♢
「寝不足か?」
(お義父様?)
廊下で鉢合わせたヴォルフにそう訊ねられ、アリステラは苦笑する。
先程シルべアンにも同じことを聞かれたからだ。
「あはは、まぁそんな所ですかね……」
アリステラが曖昧に答えると、ヴォルフは少し悩むようなそぶりをした。
その表情は、本気で彼女を心配しているようにも見える。
「……調子が悪いのなら休んだ方がいい」
顔を上げたヴォルフが真剣な顔でアリステラの体調を案じると、彼女は何ともいえない表情。
(それもさっきシルビから聞いた……そっくりすぎでしょこの親子……)
ただ、この事は思っていても声には出さないようにしている。
ヴォルフとシルべアン、両方を困らせてしまうから。
「大丈夫ですよ。それより私に何か用事でもありましたか?」
「あぁ、暇なら一緒に神殿にと思って……」
その言葉を聞いたアリステラは首を傾げた。
(? 神様のこと信じてないでしょ? 1番『神』とは程遠いあだ名だし……)
今でも『悪魔の巣窟』と呼ばれているブラックウェル公爵家。
アリステラ的にはこの人たちのどこが悪魔だ? などと思うところはあるが、昔からのイメージはやはり拭えない。
実際にヴォルフは今まで神殿になど訪れたことがなかった。
ちなみにシルべアンはアリステラの付き添いとして何度か足を運んだことがある。
(まぁでも何か理由があるはずよね。お義父様のことだし)
「いいですよ。行きましょうか」
アリステラは二つ返事で了承した。
「父上と神殿に行くんだって?」
アリステラが準備をしていると、シルべアンが不満げな顔で彼女の部屋を訪ねる。
「うん。それがどうかした?」
「俺も着いて行く」
準備片手間にシルべアンの話に耳を傾けていたアリステラは慌てて後ろを振り向いた。
拗ねているようなシルべアンに一瞬心を撃ち抜かれたが、すぐに自分を戒める。
「ダメだよ、シルビ今日皇宮で会議があるでしょ?」
(危ない……! シルビの可愛さに流されるところだった……)
こっそり胸を撫で下ろしたアリステラはシルべアンに向けて優しく微笑んだ。
「ちゃんとお土産買ってくるから。会議頑張ってきてよ」
こうしてアリステラがシルべアンの機嫌を直す事も、ブラックウェル家では日常茶飯事と化していた。
♢♢♢
「お義父様はどうして神殿に行こうと思って?」
馬車の中、アリステラは今まで渦巻いていた疑問をヴォルフに投げかけた。
やはり、ヴォルフと神殿ほど合わない組み合わせはない。
「少し噂を聞いてな」
「噂?」
「あぁ、最近神殿で傷を癒す能力を持った者が現れたとか」
その言葉に、アリステラは目を見開いた。
『傷を癒す力』すなわち神聖力は原作で、セシルただ一人が持っていた能力なのだから。
(どういうこと? 神聖力が覚醒するのはセシルでしょ……? でもうちのセシルにそんな力はないわ……じゃあそれは誰なの……?)
万能な魔法でも唯一できないことが傷を癒す、治すことである。
治癒魔法が存在しないため、原作ではセシルの力を『神聖力』と呼んでいた。
呆然としているアリステラをヴォルフが訝しく思う。
「大丈夫か、アリステラ」
何度目かの呼びかけでようやく我に返ったアリステラは慌てて笑顔を作る。
「大丈夫です。ただ少し驚いてしまって……」
「あくまで噂だ。そこまで気に病む必要はない」
頷いたものの、どうしてもその事が気がかりだったアリステラはずっと上の空であった。
♢♢♢
「公爵夫人様? 今日は前公爵様もご一緒なのですね」
声をかけてきたのは教皇であるユリウス・ルクラシス。
原作で、セシルの義父として登場していた人物。
つまり物語の途中からセシルは『ただのセシル』ではなく『セシル・ルクラシス』となったのだ。
(教皇様? 今日も完璧なる『美』!! 眼福!!)
教皇は長髪かなぁ? なんていう勝手な偏見を抱いていたアリステラの予想通り、美しい金色の長い髪を持ったユリウス。
温厚な性格も相まって、彼を眺めていると少し癒されるアリステラは度々神殿を訪れていた。
「はい、たまにはお義父様とも一緒に外出したくて。誘ってみたのです」
アリステラは顔色一つ変えず、スラスラと嘘を吐き出す。
するとユリウスがニコリと笑みを浮かべた。
(嘘ついてごめんなさい。教皇様……)
今まで彼が見せてきた行動が全て善人すぎる為、アリステラも少しだけ罪悪感が湧いて出る。
「そうですか。それは嬉しい事ですね。……あれ、そちらは?」
彼が視線を移したのは、アリステラが抱いているルアン。
『護衛として連れて行け』
とシルべアンに言われた為、渋々連れてきたのだ。
(猫に護衛なんてできるわけないのにねぇ)
などと思いつつも、ユリウスにルアンのことを紹介していく。
「こちらはルアンです。少し前から飼い始めたペットです」
「そうですか……可愛らしいですね」
苦笑いを浮かべているユリウスを不思議に思うが、おおかたツノのせいであろう。
触ってみますか? と勧めたアリステラの言葉により、ユリウスがルアンに手を伸ばす。
すると、ルアンが「シャー!」と威嚇するように鳴き、ユリウスの指を噛んだ。
彼の綺麗な指から真っ赤な血が流れ出る。
(ル、ルアン? 何してるの!?)
「ご、ごめんなさい。今までシルビ以外に噛みつこうとした事はなかったから、油断して……あぁ、神聖なお手に傷が……申し訳ありません。本当に……」
青ざめ、狼狽えているアリステラをユリウスが軽く宥めた。
「大丈夫ですよ。これくらい大した傷ではないですし。きっとルアンも知らない人に触れられるのが嫌だったんでしょうね」
(神!? 優しすぎでは?)
ユリウスの仏のような心に感激しながらも、視線をルアンへと向ける。
「ルアン? 怖かったのかもしれないけど、あんまり人を傷つけちゃダメだよ」
「にゃー」と力なく鳴いたルアンを見て、アリステラはへしゃりと微笑む。
(しょげてるなぁ。分かって貰えたみたいだし帰ったらお菓子でもあげようかな)
何だかんだルアンに甘いアリステラ。
ユリウスの指からまだ血が止まっていないことに気がつき、顔を青くする。
「血……血が!? ……ちょっとお義父様ルアン持っててください」
「え? あぁ……分かった」
全く会話に参加していなかったヴォルフにルアンを素早くて渡すと、アリステラはハンカチを取り出した。
そして、ユリウスの指にきゅっと結ぶ。
応急処置だが、これだけでもだいぶ違うだろう。
「公爵夫人様のハンカチが汚れてしまいますよ」
「いえ、大丈夫です! もともと私の責任ですし、ハンカチは汚れるためにあるので」
「……では、後日洗ってお返ししますね」
「え? あ、はい」
少し話し込んだ後、話を一区切りさせたアリステラは、祈祷室に向かった。
ちなみに祈祷室で彼女はいつも、心の中でシルべアンへの愛を爆発させている。
(うちのシルビが今日も可愛かったです。神様、シルビという尊い存在をこの世に生み出してくださり、誠に感謝しております。これからも神という存在を信じますので、どうかシルビには幸せなままでいてほしいです。うちのシルビは可愛くて、かっこよくて━━━━)
ちなみにその間、ルアンはヴォルフに預けていたが、ルアンは彼にも懐くことはなかった。
♢♢♢
その数日後、公爵邸の執務室にて。
シルべアンは目の前にいるアリステラと目を合わせ、ゆっくりと口を開いた。
「今度二人で出かけないか?」




