表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/37

31 腕

 

 無事に話が通じたらしい。

 大志が本当に人ではないことに感慨深く浸っていると、轍と翼が「余計なことを」という目で沖島を睨んできた。不可抗力だよ、と返すように首を傾げておく。見慣れた呆れた目が向けられるが、肩をすくめるだけにとどめた。


 大志の血がざわめき始めている。

 短い髪がうねっているのが微かに確認できるが、暴走するほどではない。翼と轍、榻が強く押さえ込んでいるからだろう。


 沖島はさらに囁いた。



 あの子を傷つけたくないのなら、そこでじっとしていなさい。何があっても、動いてはいけないよ。



 大志は怪訝な顔をしたまま、沖島を見ている。

 その目に――獣のようにぬら光る目に、今美禰は映っていない。どうにか沖島の情報を読みとろうとし、内なる血が自分の意思とは違う場所でたぎることに高揚感を覚えている。全神経が皮膚から突き破ろうとしている。そうやって相手をどうにか探り出し、どちらが優位か嗅ぎ取って、身の振り方を考える。相手の力量を慎重に判断する。生存本能に忠実な獣特有の気配を、大志は膨らませていた。


 沖島は、三人掛かりで静かに取り押さえられている大志を、たった今目覚めたばかりの赤子を相手をするように、軽くいなし続ける。


 そうやって、君にできる仕事をしておいてくれよ。


 轍はこちらの意図をくみ取ったように、軽く頷いた。

 佐紀子に退路はない。

 コクヨウが、シロとスズの隣に並んだ。



 始まる。



 ゆらりと、気配が重く底に垂れ込んだ。

 コクヨウは鼻先を上げ、シロは身体を低くして、スズは背を弓のように丸めた。

 それぞれが準備が整った次の瞬間、彼らの足元でゆらゆらと揺れていた影が、ぬっと円柱のように伸びて三匹と外界と遮断した。


「さて、久々のご登場だ」


 沖島は、大志からの視線を感じながら、それとは別のところで胸が高鳴っているのを感じた。会える。本当に久し振りに。


 筒がもろっと崩れた。崩れたところから、花へと変化する。

 白く小さな花。

 彼女が愛でていた花。畳の上に、足跡のように撒かれた花。彼女の甘い香り。

 きらきらと舞い踊る花が、この町では見ることのない雪のように空気を揺らして広がっていく。


 隠れている彼らが、それにみとれているのを感じた。

 彼らは感じている。

 未だかつてなく、彼女の気配が強く香っていることを。心の内から、言い表せない感動が沸き上がってくる。それは彼らなのか、自分なのか。


 突風が吹く。

 花が風に掻き消えたとき、そこにいたのは一匹の猫だった。

 コクヨウよりも一回り大きな三毛猫が、しっぽを三本揺らしながら、地を強く掴んでいる。

 白い尾、黒い尾、茶色の尾。

 沖島は目を細めて、それに話しかけた。


「やっぱり本物は違う。それじゃあ後は任せたよ」


 ちらりと振り返った三毛猫の瞳は、尾と同様に藍色、灰褐色、桜と、三色に綺麗に分かれている。それぞれの特性は混じり合わず、しかし誰かの力によって有無を言わせず一つにされていた。


 彼らは目を細め、小さく口を開けて鳴く。


 了承と受け取り、沖島は拘束したままの尾をゆっくりとゆるめた。佐紀子の弛緩した身体がだらんと操り人形のように不格好につり下がる。首根っこが捕まれているのだろう、顔は下を向いたが、前髪の間からうろんな目がこちらを見続けている。しかし、相対するべきは沖島ではないと気づいたのか、一匹の猫へと向けられた。


 いまだ美禰を強く抱きしめたままだ。

 沖島は尾を自分の中へ仕舞わず、そのまま細く佐紀子の背後に伸ばした。大志が、尾に目を光らせる。歯を食いしばっている。翼に肩を抑えられているが、冷静さは抜けつつある。猛々しい目の奥が金色の色を浮かび上がらせている。

 沖島は誘うように尾を揺らめかせた。


「んふっ」


 佐紀子が笑った。

 何がおかしいのか、肩を揺らしている。くつくつ笑いながら、だらりと下がった左腕を真っ直ぐに上げた。

 腕の代わりとなっている欠片の集合が、カタリと小さな音を立てた。そのまま隙間を広めていき、腕が太くなる。

 なるほど、拘束を解かれて、これから反撃をする機会を得たと、そう思っているのだ。


「単細胞な」


 言うと、佐紀子は汗で濡れた前髪を張り付け、怒ったようにうなり声を口から漏らした。

 沖島は、おやと大袈裟に眉を上げて見せる。


「目の前にいる彼らが、ただのケモノだとでも?」


 彼ら、と呼ばれた一匹の三毛猫が沖島の合図を受け取り、丸みを帯びた柔らかな右足をそうっと前に出した。


 目を瞑る。

 口を、大きく開ける。


 白く輝く牙から、月のような輝きを持った小さな天体がとろりと溢れた。同時に、ゆらっと揺れる三つの尾が、三つ編みのように絡み合い、一つの尾になる。腹部の下に溜まる影が横に伸びて大きく蠢き、背から真っ直ぐな糸が垂れ込む。キラキラと光る粒子がその糸の美しさを際だたせていた。


 月の蜜が真っ直ぐに佐喜子の元へ向かい、影は地を這って猛々しく伸びていき、その上を絹のような美しい細い手が伸びていく。


 まるで系統の違う力が、同じ速度で連帯感を持って三つ同時に届いた瞬間、佐紀子の腕から入ったそれは、受け止められたように見えた。


 身体が後ろに大きくしなり、次いで風の塊がどっと吹き抜ける。


 清濁併せ持った生ぬるい衝撃波が、大志をすり抜けていく。

 ハッとしたように、大志は怒った肩を降ろした。

 目が覚めたように沖島を見る。そして、すぐに佐紀子の片腕にぶら下がった美禰へと視線を向けて、その場を動こうとした。

 翼が止め、さらに沖島が尾を首もとに突き立てる。

 びくりと顎を上げ、大志は止まった。

 こちらはもう優劣が決まったようだ。

 沖島は、そのまま佐紀子の相手に戻る。

 風に流された髪、見開いた目。腕を成していた欠片が、ぼろりと落ちた。カランカランと軽い音が、鳥居前で響く。

 さて。


「次を」


 沖島の言葉で、彼らが走った。

 地からほんの少し身体を浮かせ、衰えることなく漲るそれぞれの力を各方向に飛ばしながら、佐紀子へと向かう。彼らは生き生きしている。喜びで満ちている。随分久し振りに、本来あるべき姿へと戻ることができたのだ――元々私たちは一つだった――そんな声が聞こえるようだった。


 一歩前で着地すると、そのまま身を縮めて跳ね上がり、右手を振りかぶって佐紀子の顔に爪を突き立てた。

 そのまま真下へ爪をおろす。

 佐紀子の身体が、三つに裂けた。

 浴衣に、鮮やかな血飛沫がパッと飛び散る。



 沖島は、カゲの走馬燈をなぞった。





 血飛沫は佐紀子のものではない。

 両手に何かを抱え、頭を無心に動かしている。右に左にと頭を振り、食いちぎっている。血が吹き出ると、首もとに口を付けて吸いついている。その身体の奥から歪な歓喜が沸き上がって脳天を満たす。



 悪趣味な。

 コクヨウはもっと美しく、礼儀もあったというのに。

 沖島は苦笑する。

 彼は血など一滴も啜らない。魂だけを、慰めるようにすべて食い尽くすのだから、まるで暖かな腕に抱かれたような安心感を与えてくれる。こんなに無作法ではない。

 本来は肉など喰わぬのに、よほど何かにとりつかれているのか、それはむしゃぶりつきながら、それをを自らの血肉へと変えていく。腹に溜まるのではない。それは喉元をすぎれば霞のように消えいくというのに、飢えたカゲは次々に口に押し込んでいった。



 浴衣は返り血を浴び、徐々にどす黒く変化していく。余すことなく平らげ、真っ黒に染まったその後で、背後で微かな物音がした。

 ぐるりと景色が回る。視界の隅々の壁に血が飛び散っているのが鮮やかに引き伸びていった先にのれんに、人影が映ってる。

 どこからともなく風が吹く。

 押し出された暖簾の前に、浴衣を着た美禰がいた。


 ――店に戻ってきてしまった。


 美禰は調理場の惨状に目を見開き、呆然と立ち尽くしていた。

 今、目の前で何が起きているのか、理解など到底出来はしない。

 佐紀子が目を爛々と輝かせながら、青井の着ていた浴衣で口を拭う。そして、美禰に近寄ろうと立ち上がって一歩踏み込んだ。血が踏みにじられてはねる水音が、静寂に包まれた空間に響く。


 美禰はあまりにも無防備に突っ立っている。

 すんすんと鼻をならす。濃厚な鉛臭い空気を縫って、柔らかな甘い匂いがする。なんと美味そうな魂なのだろうか。そういえば、誰かがずいぶん前から、これを欲していたような気がする。

 ならば今は好機だ。

 また一歩、佐紀子の足が前に動く。血濡れた鼻緒が食い込むが痛みはない。獲物はまだ放心している。


 重い袖から伸びる手を伸ばした瞬間、今度は美禰から風が吹いた。


 押し返される。風は澄み渡るように清々しかった。誰かの囁きが混じっている。神気のちらつくそれを受け、佐紀子はおののいて身を引いた。本能で、すかさず退散を試みる。人ではない俊敏さで、後ろに飛ぼうとした。


 が、それは思いがけない強い力で阻まれた。


 美禰が、左腕を掴んでいる。

 細い手が、指が、真っ赤な腕に食い込む。

 力比べになるはずもないと言うのに、栄養を補給したばかりのカゲは、びくりともしなかった。血で滑りすらしない。


 静止画のように、その異様な空間が止まる。

 奇妙だったのは、口元から血に染まったひきつった表情の佐紀子ではなく、美禰だった。


 あまりにも落ち着き払った瞳に感情の一切がなく、睫毛がくっと上に上がったまま、瞬きすらしなかった。人形のように、強く、強く手を掴んでいる。

 ほんの数秒の膠着状態を脱したのは、美禰の口元が弧を描いた瞬間だった。

 悟る。

 本能しか持ち合わせていないカゲが、死の悟りに全身が貫けれる。

 バチリと稲光が弾けた。

 凶暴な力が、猛々しく砲口を上げる。






「――へえ。あれは、美禰くんの仕業だったのか」


 沖島は小さく呟いた。

 あの現場に残されていた腕は、美禰がどうにか取り戻した佐紀子の一部だったたしい。

 そうは言っても、取り戻すという生易しい行為ではない様子だったが、美禰の記憶が失われていたのは、あの暴発した力の巻き添えになった不幸中の幸いと言えるかもしれない。この先思い出すことがなければ、の話だが。


 三毛猫が優雅に地に降り立つ姿が、コマ送りで再生される。

 降り立った瞬間、引き延ばされた時間が急速に戻った。

 長い一瞬だった。

 佐紀子の原型をとどめぬ身体もズレ朽ち落ちる。

 その寸前に、タイミングを正しく見計らった轍と翼が、大志を解放した。


 弾かれたように走りだした大志が、腕が絡みついたままバランスを崩して倒れる美禰の身体を受け止め、そのまま石畳に滑るように倒れ込む。


 沖島は出したままの尾が即座に滑り込ませ、二人を緩く包んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ