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17 渋色の壺

「……先生?」

「ありがとう。これくらいでお暇するよ」

「は、い。お見送りを」


 彼女はほっとしたように力を抜くと、玄関へ先導した。

 沖島が客間から出た頃に、そっとシロが後ろに控える。


「急に悪かったね」

「いいえ。何か役に立てたんでしょうか」


 彼女のすがるような目に、沖島はやわらかに微笑んで頷いた。


「ああ。とても」


 言葉少なに返す沖島を呆れたように見た轍が、沖島を押し退けて前にでる。


「智子」


 轍は声を潜めたが、そこに込められた意思は真剣身を帯びていた。


「申し訳ない」


 小さな謝罪だが、沖島は、そこに轍の誠実と苦悩を感じ取った。

 彼らはあれらを管理する立場だ。壷に封じ込められているだけ、誰もがありがたがっている。

 彼女とてそれは承知している。

 しているからこそ、佐紀子を失った事への整理がつかないのだろう。ぎゅっと顔をしかめ、感情をかみ殺すように俯いた。

 轍はそれから目を離さず、一言だけ呟いた。


「智子。あの子を弔ってやれよ」


 轍の顔は無表情だった。慈愛あるようにも、そうでもないようにも見える。

 しかし、彼の真意は伝わったようだった。

 どこかへ行ったまま帰ってこないと思いこみ続けることのほうがより酷であることを突きつけられた彼女の頬から伝うそれは、暗い夜の町でも強く光っているように見えた。それだけは見ない振りをして、轍は沖島の袖を軽く引いた。






 二人は、濁った水に片足をつっこんだような居心地の悪さを引きずりながら、石畳の上をだらだらと歩く。


「君たちを責める者などいないよ」


 沖島は、黙って隣を歩く轍に言葉をかけた。

 ややあって、鼻で笑う声が左肩下から響く。


「そりゃそうさ。カゲは力及ばぬ得体の知れないものであり、人による過失など存在しないんだからな。でも、この件に関しては例外だろうが」


 最後の言葉は、恨みがましい怒気が滲んでいた。

 ちらりと見下ろすと、小さな手を握り込んで、轍は耐えていた。


「見たかい?」


 沖島は短く聞く。


「見たぜ。というか多分、俺が見せたな」


 轍は頭をガシガシと掻いた。呻くような声が漏れる。

 これで家に帰そうものなら余計混乱することが目に見えた沖島は、轍の腕を掴んで、直角に曲がって路地に入り込んだ。シロは一足先を歩いている。


「っと、なんだよ沖島」

「おなかすかない?」

「はあ?」


 戸惑う轍を引っ張っていると、理解した轍が手を振り払った。


「仕方ねえな」

「ありがとう」


 四番通りをそそくさと通り過ぎ、三番通りに入る。

 小料理屋の提灯の前でシロが座って待っている。かりかりと戸を軽く引っかくと、すぐに内側から開き、シロを招き入れた。ひょっこりと顔を出した田淵の四角い横顔が提灯に照らされる。


 きょろきょろと見渡す田淵に、沖島は軽く手を挙げた。

 田淵は隣に轍がいるのを見ると、察したように立て札を「準備中」へと変える。


「相変わらず察しのいい」

「だな」


 小料理屋の清潔な空気に、どこか肩の荷が降りたような心地でカウンターにつく。

 田淵は、茶だけを二人の前に置くと、布巾を持ってテーブル席の清掃を始めた。シロはいつの間にか、もらった桃を咀嚼している。


渋色(しぶいろ)だった」


 沖島が湯飲みを揺らしながら言うと、カウンターに頬杖をついていた轍がくぐもった声で返した。


「だな。でも、あれはあくまでイメージだ」


 ここで抵抗を示すとは。

 沖島は苦笑した。歩いているうちに頭が覚めたのか、防衛本能なのか、轍は曖昧に濁しそうとしている。けれど沖島相手に本気でそれが通るとも思ってはいないらしい。あくまでも適当だ。


「ほう。どんなイメージなんだろう?」

「さあな。おまえが見たとおりだよ」

「なるほど。人為的に今回の脱走が起こされていたと言うことで合っているかい?」

「イメージではな」

「ならば君の謝罪にはとても意味がある」

「隠してした謝罪なんぞに意味はない」


 轍は吐き捨てるように言う。


「けれど、あれが君ができるギリギリで最善の行動だったと思うよ」


 本当ならば、社の関係者が非を認めるなんて事は許されないし、認めるわけにもいかない。

 あれは自然現象に近いものだ。

 誰かに責任を擦り付けていいものではない、と折り合いをつけてきたからこそ、住民たちは犠牲が出たとしても受け入れてきた。その上で、他害しないものには目を瞑って、共存してきた。

 それがここで生きるための秩序だからだ。


 けれど今回は違う。

 沖島は茶を啜り、手のひらで湯飲みを包んだ。じんわりと手が暖まる。


「ギリギリで、最善か」

「そうだねえ」

「筒木の首を差しださなきゃ俺の気は晴れないね」

「物騒な」


 沖島はからからと笑った。

 呆れた眼差しが寄越される。


「物騒だって言う顔じゃねえぞ」

「本気じゃないとわかっているからだよ」

「ふん」


 轍は否定しなかった。

 彼は理性的な少年だ。首を取って清算させたとしても、それに価値も意味もないことはわかっている。ただの見せしめという非合理的なことは好まない。筒木へ寄せていた信用は、そんな無駄なことでは補えない。

 沖島はのんびりと尋ねた。


「しかし君は、どこでそのイメージに直結するようなことを、彼女から聞いたのかな?」


 轍は湯飲みを口に運ぶ。

 そして、ぽつりと呟いた。


「……一ヶ月前に外に出たばかりの、佐紀子の友人」

「言ってたね。無理矢理呼び出したとか」

有紗(ありさ)だよ」

「え?」

「筒木の孫の、有紗。外に出たんだ」

「おやまあ」


 沖島は曖昧な相づちを打った。

 轍も苦々しい顔で、頬を持ち上げる。


「筒木は最後まで反対していたが、あれは跳ねっ返りで、しかも、外に興味津々だった。俺たちが何を言っても、そういうのから離れてみたい、と言って聞かなくて、仕方なく」

「可愛い子には旅をさせてみた、と」

「結果がこれだ」

「有紗くんか。確かに、あの家の血縁者にしては、毛色が違ったね」


 沖島は、何度か目にした幼い少女を思い起こしていた。

 筒木が連れているのを見たことがあるくらいで、言葉を交わしたことはないが、妙に警戒心の強い子だった。筒木の後ろに隠れ、額を出して引っ詰めた髪のせいか、目尻が少しつり上がった、無口な子供。内側に、大きな反発心を抱え込みながら、この瓦町をどこか馬鹿にしたような色を持っていた。


 成長して、それを隠すことなく出て行ったという事だろう。

 轍も、他の彼らも止められなかったのだから、筒木など無力だったに違いない。孫に甘い祖父だった。


「そ、毛色が違う」

「彼女が意図して佐紀子くんを引き出したわけではないんだろう?」

「有紗は鈍感じゃないが、器用じゃない。段取りとか、計算高いとか無縁な奴だ。佐紀子に寄生型を埋めて瓦町に帰して、そこから青井を連れて祭祀に行き、壷を盗み出して、割って、脱走させましょう、なんてこと思いつかないぜ? なんせ、有紗は都会的な暮らしがしたいと娯楽至上主義な子だ」

「オブラートに包んであげないのかい」

「そういうところを気に入ってたからな」


 すんと鼻を鳴らす。


「筒木が、手紙を送っていた」

「いつ」

「有紗が出てすぐ」

「なるほど。直接送ったんだね」

「え?」

「考えてごらんよ。目的は一つ、藍色の壷からカゲを逃したい。しかし、この瓦町にいる限り、自らそれをすることはできない。なんせ母君は尊大で恐ろしいときている。反抗心など、育つまいよ。ならば誰かに割ってほしい。ちょうどタイミング良く、祭祀が行われる。母君は美禰くんの来訪でご機嫌麗しく、何かをなすならば、その準備に乗じてするのが得策と言えるだろう。しかし、住人は滅多に山に近寄ってこない。ならば外から瓦町の住人を操る種を仕込むのが一番成功率はある。こちらもタイミング良く、孫は外にいる。どうだい?」

「なにを入れたと」

「さあ。招待状かも知れないね? 祭祀があるから帰って来なさい、とか綴って、お守りと称して香り袋一つ入れるのもいいかも。なんせ強い花のにおいは、カゲの気配を薄めるから運び出すのは容易いだろう。しかもただの寄生型だよ。そのへんにうじゃうじゃいる」

「そのへんっつっても、お前の家のあたりだろう」

「うん。弱いカゲは肩身が狭いんだろうね、複合体になるほどでもないと見放され、かといってあちこちをうろつくこともできないで、とりあえず神気から遠い寺の山の中で密かに生きてるよ」

「お山の大将だな」

「悪くないね」

「ふん」


 轍が鼻で笑う。

 視界の端で、桃を食べ終えたシロが小上がりの座布団で丸くなっている。ここだけ見れば、なんと平和な風景だろう。


「筒木は、有紗を使って、佐紀子を外に出してから寄生させ、戻した」

「孫を溺愛している祖父のする事じゃないねえ」

「渋色の壷か」


 轍は吐き捨てた。

 轍も、美禰の両親を灰にしたものをよく覚えているのだろう。突然の出来事に、彼らも町を駆け回っていた。壷が突然割れたのではなく、誰かが介入したのではないかと、隅々までらそれも寺の敷地内まで入ってきたのには沖島も驚いたほどだった。むろん、それは見つからなかったから、壷の耐久性を話し合う機会になったのだが。


「あいつ、変だったよな」


 ふと、轍は顔を上げた。

 正面の丸い壁掛け時計を見ている。


「あいつ?」

「渋色の壷に入れた、カゲだよ」

「ああ」

「あの如月の家が、どうして祭祀の日にうちわを掲げてなかったのかは確かに変だったけど、あいつ、家にこびりついたまま動かなかったじゃん」


 そう。だからこそ、田淵に人払いをしてもらい、筒木はカゲと灰化した残滓を吸い取って渋色の壷へ封じた。


「しかもなんとも素直で、簡単だった」

「それだよな」


 すっかり冷えた湯飲みを回しながら、轍は首を傾げた。


「あんなにきっちりと如月家だけを飲み込んでいて、神経質で剛胆なくせに、逃げないままじっと朝までそこに居続けた。抵抗もせずに壷にも入った。妙だよな」

「美禰くんがいたからじゃないかい?」


 沖島はカウンターの上でそっと腕を組んだ。


「あの日、あの子はうちわを抱いて外に転がっていた。カゲは、どうにも動けなくなっていたのかも知れない」

「もしくは、わざと捕まったか」

「なるほど?」

「まだ十年。余力を残しといて、見計らって動いてもおかしくないぜ」


 あのイメージからするに、この線はあながち間違っていないのだろう。

 渋色の壷に潜んだカゲが時を見計らって筒木を遣い――もしくは有紗をそそのかし――この出来事を仕組んだのだとすれば、すべての出来事に説明が付く。


 そしてそれは大きな混乱を生み出す答えでもあった。


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