14 舞殿
「君、どうして祭祀にあの二人と出かけたんだい」
美禰はきょとんとした顔で見上げてきた。
「だって、あの二人が付き合ってたこと気づいていたんだろう? 君なら、邪魔をしないように大志くんあたりと行くと強引にでも言ってそうだけど」
「言ったの」
「やはり」
「ちなみに、お客さんが切れたら外回りの用事もこまめに見つけて、仕入先にもわざわざ品物を取りに行ったりしてみてたの」
「なるほど、その知識は」
「この本からよ」
「勉強になるよ」
「思ってないでしょ」
軽口をたたき、美禰は寝たふりを続けるコクヨウの耳を撫でた。
「実際に大志からも誘われていたし、おばさんに浴衣の着付けしてもらってたからさ」
「大志くん残念だったろうね」
「どうして?」
美禰が不思議そうに聞いてきたことに、沖島は大志に同情した。彼は積極的に美禰にアプローチをかけているわけではないが、頼られるほどの近い距離だけは決して手放したことがなかったというのに。
こう考えてみると、彼はなかなかの策士であり忍耐強い一面を持っているようだ。長期戦になれば、間違いなく勝ちを手に入れられる素質を持っている。
沖島は、大志のそれを邪魔をする気はなかったので、適当に返事をしておいた。
「うん、どうしてだろうね」
「なんかはぐらかしてるでしょう」
こういうことろは鋭い。が、自らの色恋沙汰となると、アンテナ圏外になるのだろう。追求する気のない美禰をはぐらかすなど造作もないことだった。
沖島はにこりと微笑むだけにとどめる。
「いいけどさ」
美禰は唇をつきだして少しだけ抗議を示した。
「大志くんと行ってあげればよかったのに。浴衣の気付け、してもらっていたんだろう」
「あたしの浴衣、おばさんのところに置いたままで、毎年着付けてもらって大志と行くのが恒例だったからさ、大志放って行くのが心苦しくて心苦しくて。あいつ他に友達いないでしょう」
そうではないけど。
と、返事をしそうになるが、大志なら放っといてください、と言いそうなので、放っておく。
大志は美禰の前では一人でぶらぶらしているが、そうでなければそれなりに同じ頃の男たちとまとまってあちこちで悪ふざけもするし、たまに女の子と歩いている姿も見かける。なにやら用事を頼まれるのか、たいてい買い物に付き合わされている。相手はそれ以外も期待しているようだが、大志はうまくかわして送り届けている。おかげで草食系として名を馳せていることも、美禰以外には周知の事実だ。もちろん、大志が誰を根気強く待っているのかも知れ渡っている。
「そんなに心苦しくても、置いていったんだ?」
沖島が聞くと、美禰は何故か神妙な顔をした。
「だって」
コクヨウが、ぴくりと瞼を持ち上げた。
「だって、ついてきてほしいって、そりゃもう必死だったんだもの」
「誰が」
即座に聞き返すと、美禰は狐に摘まれたような顔で、小首を傾げた。その顔には困惑が見て取れる。
「店長よ。店長がどうしても一緒に祭祀に行ってほしいって言って聞かなかったの」
「なんでまた」
沖島は驚いた。
佐紀子が誘ったのではなく、青井が?
あの、気弱と言えそうなほど人の好い青井が、十も下の美禰を捕まえて、一緒に行ってくれと懇願するなど想像がつかなかった。
「あたしも、変だな、と思って。二人が隠してるのを知ってるのがばれたのかと思ったんだけど、だったらなおさらついてきてほしいなんて言わないよね?」
「そうだね」
美禰は、自分が感じていた違和感に沖島が理解を示したことに明らかにほっとした。やっぱり変だよね、としきりに頷く。
「青井くんって、そんなに強引だったっけね」
「ううん。全く」
やはり、かなり強引に誘った様子だった。
美禰ならばいくらでも逃げおおせるだろうに、それをさせないほど必死に同行を願うのはどういう理由からだろう。
「どうしたんだろうね。何か変わった様子はなかったかい?」
「うーん、変わった様子と言えば、あたしにその話をしてきたとき、店長だけだったってことかな。佐紀子はいなくて、なんだか、いない隙に手早く話を済ませたいみたいだった。佐紀子が戻ってきたら、さっと調理場に戻っちゃったんだもの」
美禰は言いながら、胸に過ぎった不安が戻ってくるのを感じているのか、眉をひそめた。よほど不審だったようだ。
「それで、ついて行くことにした、と」
「帰りの戸締まりのときにも念を押されたの。祭祀に三人で行こうって」
「佐紀子くんは知ってたの」
「それが、祭祀の夜に、店の前で待ち合わせをしてたら、少しだけだけど、驚いた顔してたの。知らなかったみたいだった。でも、気を悪くしてる様子はないし、むしろなんだかいつもより元気で。今思えば、空元気だったのかな。悪いことしちゃったな」
「いや」
「先生?」
「詳しく聞いていなかったけど、いつはぐれた?」
「え。え、と。舞殿の左手の方に立って、舞を見てる最中だったと思う。今年の巫女が愛だったから、よく見えるようにって、佐紀子が。だけど人が多くて、結構込んでるねって話してて――中盤で、黒いカゲが出てきて、巫女の前でぐるぐるまわるところがあるじゃない。そのときにすごい大きな風が吹いて、演奏が一際大きくなったときに、人並みが動いたの。そのとき気づいた。二人が隣にいないって。でも、あれ、変だよね」
美禰が呟く。
沖島の知らぬ、神々しい舞を語る彼女の横顔に、怪訝な色が差し込む。
「ぎゅうぎゅう詰めだったのに、どうやってはぐれたんだろう。誰も押し退けたりなんてしてないのに」
美禰の記憶の中で、人並みが揺れる。
いくつもの蝋燭で灯された舞殿の舞台で、巫女姿の少女が神楽鈴を持ち、シャンシャンと空気を浄化していく。小太鼓や横笛が控えめに鳴る中で、彼女はゆらりゆらりと左右に身体を預けるように舞台を舞い踊り、それを待っている。
カゲが出てくるのは、祈祷をする巫女が、中央で足を止めた場面だ。
黒い布に透明の鱗を張り付けた鈍い光を発するそれが、舞台袖から、溶けた山のように這い出てくる。人が三人は入っているであろう物体が、奇妙としか言えない動きで、静止する巫女の周りを回り始める。
囃子の音が大きくなり、舞殿の周りを揺らす。風が吹く。
美禰の尾がからめ取られる。髪を押さえて振り向く美禰の目に映るのは、頭、頭、頭。しかし、隣にいたはずの見知った者がいない。
誰もが舞に向かっている視線の中、美禰は一人きょろきょろと周りを見渡す。音が美禰の中から遠ざかる。舞台の上では、巫女の鈴によって黒い鱗がぽろぽろと剥がれ落ちたカゲは縮み、一度膨らんだかと思うと、中にいる三人の白装束に身を包んだ小柄な男たちが姿を現した。布を翻す。内側から紙吹雪が飛び出し、風に乗って人々の元へ降り注ぐ。美禰の髪に、小さな白い花が乗る。
――きれいだ。
美禰の瞳を通した景色はあまりにも美しく、煌めいていた。その場にいれば、神々しさに、きっと、目が焼けただれてしまう。
沖島は、最初で最後の祭祀の光景を、自分のずっと底にある引き出しに静かに仕舞った。ことん、と引き出しを締め、手を離す。
「なんだか、急に消えたみたい。佐紀子も変だったし」
美禰がぼやく。巻き込まれて混濁していた記憶がつらつらと蘇ってきているようだ。見計らって気を逸らさなければ。
「どんな風に?」
「ずっとそわそわしてて、元気だったの」
「元気」
沖島が繰り返すと、自分の発言が幼稚だと感じたのか、美禰が恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ごめん、いつも佐紀子元気だよね」
「そうだね。彼女結構パワフルだ」
「うん……」
「美禰くん」
「はい?」
考え込もうとした美禰の思考に割って入り、沖島はにこっと笑いかけた。
「今日は買い出しは必要かな?」
「え? いや、特には。先生の要望次第ではあるけど」
「じゃあ、頼みが」
「なに?」
一気に瞳に輝きが戻る。彼女は仕事をしている方が精神衛生上健やかと言えた。
「物置にまだ読んでいない本が積み上げられてるから、私の趣向にあったものを是非発掘してきてあげてほしい」
「なるほど、ずっと放置しているあれね」
段ボール箱を思い起こしているのだろう、美禰の眉間にぐっと皺がよった。確か四つはあったはずだ。
「五冊ほど選んで、そこの棚に置いてくれると、とっても助かる。美禰くんが置いてくれていたから読む気になったからね」
「え? そう?」
美禰がまんざらでもないように笑った。
沖島はさっと立ち上がる。
「では、私は美禰くんセレクトに期待をしながらちょっと出かけてくるよ」
「はーい。あれ、シロさんも行くの?」
沖島は軽く振り返った。シロが出窓から飛び降りるところだ。美禰とコクヨウの前を澄ました顔で横切り、沖島の隣に並ぶ。
やはりついてきたか。
沖島は軽くシロを一瞥する。彼女は頷くように、くりりとした藍色の目を細めた。しかと彼女の意志を受け取る。
玄関で履き物に足を滑らせていたところで、背後からぱたぱたという足音が聞こえた。沖島は振り向かないまま、俯いた表情を柔らかいものに変える。
「待って、沖島先生」
世話を焼く美禰の声が、羽織とともに肩に掛けられる。
「もう。一人で出るとすぐ忘れるんだから」
「ありがとう」
沖島が美禰に笑顔で礼を言うのを、シロが白々しそうに見上げている。彼女は気づいているのだ。沖島が、毎回こうして美禰を待っていることを。
「シロさんも行ってらっしゃい。気をつけてね」
美禰はしゃがむと、シロの額を指先で撫でた。優しい鳴き声で、シロは美禰に返事をする。
「で、先生夕飯のご希望は?」
「オムライスで」
「ええ? またあ?」
呆れ顔の美禰に、よろしく頼むよ、と和やかに念を押して、沖島はシロとともに我が家を後にした。
目的は一つ、あれの正体を確かめる為の訪問だった。
美禰はどこかで気づいている。
人探しを依頼してきたが、ここ一週間、沖島が自らの意思で出かけることはほぼ無く、日がな一日ソファに転がって本を読みあさっている姿を見て、何も思うことがないわけがない。
それでも聞いてこないのは、彼女なりの配慮なのか、それとも藪をつつきたくないからか。
本能的な忌避からの行動が、しゃかりきに家事に徹する原動力となっていた。
美禰は考えないようにしながら、その一方で最悪の結末への心構えもしている。それが人間の性なのだ。
今日の瓦町も、いつもと変わりない温度の中に沈んでいる。
深い海の底で、彼らは日常を営んでいる。
提灯がずらりと並ぶ石畳の真ん中を、沖島はふらりふらりと歩いていた。
時折、シロを連れた沖島に、軒先でくつろぐ老若男女が話しかけ、軽く世間話にも花を咲かせる。彼らはいつものように沖島の散歩だと思っているが、足取りが心なしか普段よりもきびきびとしていることを悟る者はいなかった。




