王子と公爵令嬢
時の王孫殿下の婚約者であるシューレンブルグ公爵家の令嬢エレオノーラは、そっとため息をついた。
秋も深まって来た公爵家の庭にある東屋は、綺麗に色づいた木々が目を楽しませてくれる。しかし、今のエレオノーラにはそれが物悲しい風景に思えた。
いけないいけない。
今日はお迎えする立場なのだ。感傷に耽っている場合ではない。
先日開催された定例のお茶会で婚約者のランベルト殿下に会ったエレオノーラに、次回はあまり寒くなり過ぎないうちに紅葉を見ながら外でお茶をしようと殿下から提案があったのだ。
王城から帰ろうとするエレオノーラにそれを告げにきたのは、いつも殿下の後ろにいる侍従だった。
そして、エレオノーラの憂鬱はこの男のせいとも言える。
エレオノーラには大事な侍女がいる。エレオノーラが十二歳の時にエレオノーラ付きのメイドになってから、使用人でありながら、姉のように友人のように過ごしてきた。
複雑な家庭に育ち、追い出されるように公爵家に奉公に出されたのだということはあとで知った。
誰よりも親身にエレオノーラのことを気にかけてくれる。
ランベルト殿下の婚約者でありながら、そして確かに婚約者を慕う気持ちがありながら、本人を目の前にすると上手に振る舞うことのできないエレオノーラのことをいつも心配してくれていた。時には暴走気味になって侍女長に叱られながらも、明るい彼女はいつも笑ってエレオノーラを支えてくれた。
その侍女、コートニーが、ここしばらく元気がない。
あの夜会の日からだ。あの日はコートニーも侍女のお仕着せではなく、子爵令嬢としてドレス姿で参加した。
そして、その日の夜、コートニーは屋敷に戻らなかった。以前、エレオノーラ付きのメイド仲間だったベルダと過ごしたと聞いた。
夜会までのしばらくの間、エレオノーラとランベルトの関係について、コートニーが何とか進展させようとしているのには気付いていた。
ランベルトから贈り物をいただいた時も誰よりも喜んでくれたし、お返しの品も必死に考えてくれた。バラ園への外出の下見までしてくれたし、――そして、その準備を一緒にしてくれていたのが、ランベルトの侍従であるコンラッド・セラーズだった。
おそらく、あの夜会の日に何かあったのだろう。そのコンラッド・セラーズと。
そう推測していたエレオノーラは、次回の予定を知らせに来たコンラッドを見て確信を深めた。
エレオノーラにその日付いていたコートニーとは別の侍女と話しながらも、どこかソワソワしていたし、何かを探してもいた。
でもコートニーは、その日、そこにはいなかった。そして今日もここには来ていない。
今も変わらずエレオノーラの世話をしてくれているが、そういえばと思い返してみると、あの夜から王家の絡む業務にコートニーがつくことがない気がする。
おそらく侍女長もコートニーの様子に気づいていて何か考えがあってのことなのだろうと思う。
エレオノーラにとって、婚約者のランベルトは憧れの人物だった。同い年ではあるが、幼い頃から大人びていて、武術も学問も完璧にこなした。幼い頃からの付き合いで昔は仲良く過ごしていた記憶がある。そのランベルトの婚約者候補となったと聞いたときは嬉しかったし、実際に婚約が結ばれたときは天にも昇る気持ちだった。
だが、その後が問題だった。生来のおとなしい性格と憧れの人物への緊張が相まって、顔を合わせても全く会話が弾まなかった。幼い頃はどのように仲良くしていたのか、いくら考えても思い出せなかった。
ランベルトは、元来寡黙なたちのようで、静かにお茶を飲むことに不満はないのだと周りは言うが、本当だろうか。ちょっと昔、仲が良かったくらいで、こんな気詰まりな女と婚約して後悔されているのではないだろうか。
そうやって落ち込むエレオノーラを慰めてくれたのは、コートニーだった。
「お嬢様! 殿下は今日も、また次回とおっしゃっていたではありませんか。嫌ならわざわざそんなことおっしゃいません」
そして、城に上がる際に付き添うようになった最近では、コンラッドと共に色々と考えてくれるようになっていった。
おかげで、ランベルトとは以前では考えられないくらい打ち解け、笑い合って話せるようになった。コートニーたちのおかげだと思っている。でも、それが、いけなかったのではないだろうか。
エレオノーラの立場であまり詮索するのも憚られるが、一度侍女長にコートニーの事情を聞いてみてもいいかもしれない。
「どうした」
気がついたら、殿下がすぐ隣まで歩いてきていた。
いけない。上の空だった。
「殿下。お出迎えもせず申し訳ありません」
「いい」
慌てて立ち上がって挨拶しようとしたエレオノーラを、ランベルトは手で制した。
「出迎えもいらない、内輪の気取らないものにしようと言ったのはこちらだ。今日は、周りも声が聞こえないところまで下がらせてもらった。堅苦しくしなくて良い」
「……はい」
向かい合って座った二人に簡単につまめるものとお茶を用意すると、メイドも少し離れたところまで離れた。
なんだろう。今日はランベルトも何かいつもと様子が違う。少しためらってから意を決したように口を開いた。
「堅苦しくなくていいと言ったのは率直な意見が聞きたいからでもある」
エレオノーラは驚いた。ランベルトから相談を持ちかけられたことなど今までなかった。
「はい」
エレオノーラがそう答えるとランベルトは思いの外柔らかく笑った。
「コンラッドと言えばわかるか」
「……はい。セラーズ侯爵家の四男で殿下の側近の方ですわね」
今日も少し離れたところで待機している。何かを探しているように思えるのは、エレオノーラの思い過ごしか。
「あいつ、最近様子がおかしい。思い当たることはあるが、おそらくエレオノーラにも関することだ」
エレオノーラは驚いた。もしかして、コートニーが元気がないように、コンラッドの様子もいつもと違うのだろうか。
「殿下。あの。私の話も聞いていただきたいのです」
ランベルトの方に身を乗り出した。ランベルトは驚いたように肩を震わせたけれど、目を逸らしたりはしなかった。
「ああ。先に話してくれ」
「私、……あの、いつも一緒にいる侍女がおりますでしょう……」
エレオノーラはハンカチを握りしめた。いけない。コートニーのことを思い出しただけで泣きそうだ。
「ああ。カートランド嬢か」
「え?」
殿下がコートニーのことを知っているの?涙もひっこめてエレオノーラは目を瞬かせた。
「エレオノーラに近しい者は把握するようにしている」
そんなエレオノーラにランベルトが当たり前のことだというような顔で言う。
「それに私の話もおそらく同じ内容だと思う」
そう言って、離れたところにいるコンラッドに目をやった。
「まあ……」
コンラッドは相変わらず、静かに立ってはいるが、どこか落ち着かない様子だった。
「夜会の日から、ずっとあの調子で、使い物にならない。自分から望んでエスコートしたくせに、うまくやれなかったようだ」
「コートニーもあの夜から様子がおかしいのです。ーーコートニーの場合は、おとなしいくらいは仕事にはちょうど良いようですけれどーー、でも元気がなくて心配しています」
「うむ。実は、夜会のエスコートの件、我々のそばにいるためというのは、建前で、コンラッドが望んだんだ」
「まあ」
では、コンラッドは、コートニーに仲間意識以上のものを抱いていると言うことか。
驚くエレオノーラに、声を潜めてランベルトは聞いた。
「カートランド嬢から何があったか聞いているか?」
「--いえ。詳しくは。……殿下は聞いてらっしゃるのですか?」
エレオノーラの問いにランベルトはかぶりをふった。
「いや。認めたくはないが、我々はまだ子どもだと思われているのだろう。コンラッドはあまり悩みを口に出すたちではないしな」
眉をよせてランベルトは言う。コートニーもそうなのだろうか。ベルダには話したのだろうか。
「殿下は、でもお力になりたいと思ってらっしゃるのですよね」
「ああ。いつもそばについていてくれて、いわば兄のような者だからな」
そうか。ランベルトにとってコンラッドは、エレオノーラにとってもコートニーのようなものなのだろう。
「私も年の近く親しみやすい大事な侍女なのです」
エレオノーラは、少し考えてから、ランベルトを見た。
「--侍女長なら事情を知っているかもしれません」
もし、コートニーがベルダに話したとしても、もう公爵家を辞しているベルダにできることは少ないはずだ。だとしたら、ベルダが相談する相手として最もあり得そうなのは、元上司である侍女長だと思う。
「お呼びでしょうか」
控えていたメイドに伝えると、程なくして、侍女長がやってきた。
「今日はコートニーは?」
「夕餉以降のお嬢様のお支度の準備をしております」
侍女長は表情を変えずに答える。やはり、お茶会からは外されているようだ。
「最近、お城でのお茶会にも付いてこないし、今日もお茶会には付かないのね」
エレオノーラがそう言うと、侍女長はエレオノーラへと目を上げ、続いてそっとランベルトに目を送る。
おそらく、何の用事で呼ばれたのか、当たりがついていたのだろう。
二人が頷いたのを見て、侍女長は一通の手紙を差し出した。
侍女長宛のもののようだ。
「いつもお城に行く際についている護衛の妻が、コートニーが新人の頃の指導役でした」
ベルダのことだ。
「夜会の日にエレオノーラがつけた護衛だな」
「はい」
「夜会の日は、その夫婦のもとに泊まると連絡がありました。ひどい嵐でしたし、特に咎めはしませんでした」
「そうだったな。そう言えばコンラッドがずぶ濡れになって戻ってきた」
「その際にコートニー本人から事情を聞いたようです。コートニーの一方的な訴えですが、かいつまんで私の見解での事情をお話ししてもよろしいですか」
「ああ、頼む」
ランベルトが頷いた。
侍女長は、一つ息をついて、口を開いた。
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コンラッドは少し離れてランベルトとエレオノーラを見ていた。
親しげに話をする二人の姿は感慨深いものがある。
年上の仲間が言うには、幼い頃は仲が良かったと言う二人だが、コンラッドの記憶にはない。
ランベルトが、エレオノーラのことを想っているのはわかっていたし、エレオノーラからも緊張は感じるが、ランベルトを忌避しているようには見えなかった。
ただ、これ以上なく二人の間はぎこちなかった。
それが変わってきたのは、公爵家の年若い侍女が城でのお茶会に付いてくるようになった頃だった。
破天荒な侍女だった。
お茶会の場で、ランベルト殿下に直言した時は驚いた。
殿下は賢明なお方なので大ごとにはならなかったが、相手によっては大変なことになる。
肝が冷えたが、その後、忘れ物を届けた時も、あまりの距離の近さに再び驚かされた。
しかし、不思議と嫌ではなかった。
おそらく、コートニーの目当ては自分やランベルトではなく、エレオノーラを幸せにすることだからなのだろう。
そうとわかってからは、気がつくとコートニーを目で追っていた。
ランベルトとエレオノーラの外出を口実に下見に誘ったのは、自分としては積極的だったと思う。
何をするにもエレオノーラが一番で、周りが驚いていようが気にしない。
そんなところがコンラッドには好ましく思えた。
その際に本人から聞いた生い立ちも、こちらで調べた内容と大きな齟齬はなかったとはいえ、それでも明るくエレオノーラのために尽くす姿にますます惹かれた。
気がつけば、夜会に誘っていた。
ランベルトに伝えると、流石に自分の気持ちが見え透いていたのだろう。面白いものを見るような顔をされた。
ドレスこそ受け取ってくれなかったものの、一緒に夜会に参加できて、ダンスもできて、ランベルトとエレオノーラも笑っていて、それを見るコートニーも嬉しそうで。
だから、浮かれていたのかもしれない。
自分の気持ちを押し付けてしまった。
あんなに怒るとは思っていなかった。
あれから、コートニーには会えていない。
ランベルトとエレオノーラが顔を寄せて、親しげに話している。
でも、もうそれを一緒に喜ぶことはできないのだ。
そう思うと胸が痛んで、自然と視線が下に下がっていた。
「コンラッド」
ランベルトに呼ばれて、我に帰る。気がつくと、年嵩の公爵家の侍女との話は、終わったようだった。何故か手招きされて、東屋に座るランベルトに近づく。
「お呼びでしょうか」
そこには、同じような表情をしたランベルトとエレオノーラ、そして、年嵩の公爵家の侍女。
ランベルトは、コンラッドの顔を見て、困ったように笑った。
「コンラッド。これでも、私はお前たちに感謝している。今度は、我々がお前に協力しよう。きちんと誠意を見せるんだぞ」
訳がわからないコンラッドに、エレオノーラが優しく微笑んだ。




