夜会は嵐に
結局、コンラッドのダンスは一曲では終わらなかった。
一人になったコンラッドは、間髪入れずに何人もに話しかけられ、令嬢の何人かとはダンスも踊っていた。
コートニーは、最初は近くで飲み物を飲みながら休んでいたが、一人で高位貴族ばかりいる場所にいつまでもいるのも落ち着かず、だんだんと会場の隅の方に移動していた。
途中、挨拶をして回っているランベルトとエレオノーラがわざわざ話しかけてくれた。
「コートニー、あなた一人なの?」
「コンラッドは何をしているんだ。まったく」
恐れ多くもランベルト殿下が腹を立ててくださり、コートニーは恐縮した。
「いえ。コンラッド様にもお付き合いがあると思いますし、いつまでも私に付き合わせるわけにはいきませんので。殿下とお嬢様をお近くで拝見できて光栄でした」
そう言うコートニーに、二人は顔を見合わせた。
エレオノーラがため息をついた。
「……ヘイデンが、公爵家からの護衛として参加しているから、あなたに付けるわ。いい? 一人で勝手に人気のないところに行ってはだめよ」
――何故かお嬢様が侍女長様のようになっていらっしゃるわ。
コートニーは、そう思ったが、一人でいても退屈だし、何故か何人かの男性に話しかけられて、困っていたので、ありがたく申し出を受けることにした。子爵家の代表として話しかけられているのかもしれないが、コートニーは子爵家のことなど何もわからないのだ。粗相をするかもしれないので、できれば話しかけられない方がいい。
先程まできらきらと輝いていた夜会の会場が、なんだかくすんで見えた。
そして今、コートニーは、会場の隅で護衛として参加しているヘイデンと会話している。
「ヘイデンは、奥様とこういうところに参加しないの?」
ヘイデンの妻は男爵令嬢だった。ヘイデン自身は平民だがある程度の付き合いはあるようだ。
「ここまで華やかなのはないな。もちろん男爵にはご挨拶に伺ったし、パーティーも開いてくださったが、まあ、公爵家とは比べ物にならない規模だ。家の大きさだってまだ我が家の方が近い」
それはそうだろう。公爵家は王都の屋敷も広大だが、領地の城は、それだけでほぼ村だとコートニーは思っている。それと比べられたらかわいそうだ。
「じゃあ、今日はあまりものをいただいて帰ったら? 喜ぶんじゃない?」
「いや。ベルダは今、体調が悪くてな」
それを聞いてコートニーは慌てた。
「大変! 早く帰らなくちゃ」
私、お伝えしてくるわ、とドレス姿で走り出そうとせんばかりのコートニーをヘイデンは慌てて止めた。
「待て待て待て待て。――あー、そのー」
「なによ」
煮え切らないヘイデンをコートニーが睨むと、ヘイデンは俯いて小さな声で言った。
「……つわりだ、つわり」
「ええ! おめでとう! ヘイデン」
コートニーは、実はヘイデンよりヘイデンの妻との方が仲が良い。嬉しくなったコートニーはヘイデンの手を取って喜んだ。
しかし、何故かヘイデンは焦ったように手を振りほどくと、一歩下がって礼をした。
「コートニー」
振り返ると、コンラッドがこちらに向かって歩いて来ていた。
「探した」
「――申し訳ありません」
明らかに不機嫌なコンラッドに、コートニーは慌てた。どうしよう。怒らせてしまった?
「では。私はこれで」
「ああ。すまなかったね。公爵令嬢にもお詫びとお礼を伝えてくれ」
そんなコートニーを一人置いて、非情にもヘイデンは、立ち去ってしまった。一人でいるコートニーを心配してエレオノーラがつけてくれたのだから、コンラッドが戻ればもう良いと思ったのかもしれない。
「――殿下に叱られた。一人にしてすまなかったな」
しかし、一人になるとコンラッドは意外にも穏やかな声で謝ってきた。
「いいえ。私の方こそ、勝手にお側を離れて申し訳ありませんでした」
お役目として一緒に来てくれているコンラッドの側を勝手に離れたのは自分だ。コートニーが頭を下げると、コンラッドは眉を下げて笑った。
「ここだと人が多くて、話しかけられることも多い。一度外に出ないか」
そう言うと、コートニーの返事を待たずに手を引いて歩き出した。
繋いだ手から、何かが伝わってくるようで、コートニーは落ち着かない気持ちになった。
王城の庭園は、よく手入れがされていた。静かだが、風があった。生暖かい風は、湿った匂いを纏っていた。
そのせいか、あまり人もいない。
二人はしばらく手を繋いだまま無言で歩いた。湿った空気が息苦しかった。
「――危ない目には合わなかったか」
ポツリと聞くコンラッドに、コートニーも静かに答えた。
「はい。人の多い場所でしたし、途中でエレオノーラ様が気づいてくださって、ヘイデン、――護衛をつけてくださいましたので」
「……そうか。あの護衛と随分仲が良いのだな」
「ええ。あの護衛、ヘイデンの奥様が、新人の頃の私の指導役なのです。今も時々お家にお邪魔したりして、仲良くさせてもらっています」
何故そんなことを聞くのだろう。
コートニーが不思議に思って見つめると、コンラッドは何故か目を逸らした。
「コンラッド様?」
コンラッドは答えずに、近くにあったベンチにコートニーを座らせた。そして自分もすぐ横に腰掛けた。
どうしたのだろう。もしかして体調を崩したのだろうか。
「コンラッド様、どこか具合でも悪いのですか。あの、でしたら無理なさらずに――」
「ああ。そうだな。あなたの性格からして、そうだな」
「え? 具合が悪いのですか? そうではないのですか? 私の性格?」
ブツブツと話すコンラッドにコートニーは混乱した。そして、何故か嫌な予感に胸がもやもやした。
「ええと。あの、人を呼んで参ります――!」
そう言って立ち上がったコートニーの腕をコンラッドがガシッと掴んだ。
コートニーは飛び上がったが、なんとか叫び声は上げずに済んだ。
「あ、あの。コンラッド様」
コンラッドの様子がおかしい。据わった目で見つめてくるコンラッドに、コートニーは落ち着かない気持ちになった。
コンラッドは、一つ息を吐くと。手の力を緩めた。
「――座ってくれないか」
低い声で言われて、こくこくと頷いたコートニーはそうっとベンチに戻った。
コートニーに座れと言ったのに、何故かコンラッドは立ち上がった。
――そして、コートニーの前に膝まづいた。
コートニーは、驚いて胸が詰まった。
「コートニー。いや、コートニー・カートランド嬢」
嫌な予感に、腕の毛が総毛立つのを感じた。
――言わないで! そう思ったが、コンラッドの方が早かった。
「貴女をお慕いしている」
コートニーは泣きたくなった。
それは無理だ。だって――。
「コンラッド様。……それは無理です。侯爵家に連なる殿下の側近をなさろうかという方が、そんなことをおっしゃってはいけません」
泣きそうな声で、告げるコートニーの手をコンラッドが握る。湿った熱い手だった。
「何故? 好いている令嬢にそれを告げて何が悪い」
「私、――だって。無理です」
「何が無理なんだ?」
コートニーの胸に、走馬灯のように色々な思いが渦巻いた。
幼い頃、母と暮らした小さな家、母の笑顔、母を喪い一人になった時のこと、子爵家で初めて会った父、父の家族、公爵家に初めて奉公に出た時のこと、本物の令嬢であるエレオノーラ、公爵家で見た貴族の暮らし――、そして自分の立場。
コートニーは、勢いよく立ち上がった。そして叫ぶように言った。
「無理です! だって、コンラッド様となんて、愛人にしかなれない。私、愛人だけは嫌なんです!」
「な、何を言っている!」
大好きだった母――。
母は、結婚もせずにコートニーを産み、そして一人残して逝ってしまった。
母が亡くなるまで、父なんていないものだと思っていた。
「私の事情、知っているじゃないですか。どう考えても無理です」
ずっと考えないようにしていた。コンラッドは、ただ仲間意識を持って親しくしてくれているだけなのだと。
そうでないといけない。
そうでないと、一緒にいられない。
そう思っていたのに、コートニーは裏切られた気持ちだった。
風が強くなってきた。雲の流れは早く、星や月をどんどんと隠していく。
いつもとはまるで様子の違うコートニーを驚いたように見つめていたコンラッドだったが、やおら立ち上がると、コートニーの肩を掴んだ。
「コートニー、聞いてくれ」
「何をですか? 無理です、無理なんです」
「そんなに自分を卑下するな。あなたは十分に価値のある人間なんだ」
「どこがですか? あなただって、結婚する女性はもっと血筋のきちんとした真っ当な令嬢を選ぶでしょう?」
コートニーは混乱していた。自分でも気づかなかった黒い感情が出てきて、どうしたら良いかわからない。
「何故そう決めつける!」
「あなたみたいな立派な方にはわからないわ」
そう言うとコンラッドはひどく傷ついた顔をした。惨めなのは自分のほうなはずなのに、コートニーは美しい令嬢たちに取り囲まれて、踊っていたコンラッドを見た時よりも自分の胸が痛むのを感じた。
コンラッドは、肩を掴んでいた手を力無く下ろした。
「少し一人にしてください」
「そうか……。わかった。――好きにすればいい」
背中を向けて立ち去っていくコンラッドをただ見つめた。コンラッドが立ち去って、見えなくなってもコートニーは、立ちすくんだままだった。
――雨が降って来た。最初はぽつりぽつりと様子を伺うように降っていたが、すぐに土砂降りになった。この日のために誂えてもらったドレスがすぐに濡れそぼち、裾は跳ねた泥で色が変わった。
「コートニー! 何やってるんだ! こんなところで」
それでも動けなかったコートニーに声をかけたのはヘイデンだった。
ヘイデンはコートニーの様子を見ると驚いた顔をしたが、何も聞かずに自分の上着をかけた。自分が乗ってきた馬車が待機している場所まで引きずるように連れて行くと、そのままコートニーを抱えるようにして馬車に走る。
御者に告げたのは、ヘイデンの家だった。
コートニーがヘイデンと共に馬車に乗り込んだ頃、雨に気づいたコンラッドが慌てて庭園に戻ったことは誰にも気づかれなかった。
コンラッドは、雨に濡れながら誰もいない庭園にいつまでも佇んでいた。