王城の夜会
「お呼びですか。侍女長様」
コートニーは侍女長室のドアをノックした。お入りなさいという返事を待ってドアを開ける。
侍女長は卓上の書類をまとめると、コートニーにソファを勧め、自分も執務机からコートニーの向かいに移った。
「来月、王城主催の夜会があるわね」
「はい。今季では最大規模のものですね。下級貴族も多く参加するためにかなりの人数になるとか」
王城で開催される夜会は、人数を抑えるために上級貴族のみのものや、王妃や王子たちの友人といえる者たちだけを招いた内輪のものがあるが、定期的に大規模な貴族全体を対象としたものが開催される。
来月の夜会はそれで、エレオノーラもランベルト殿下の婚約者として、王族に近い位置で参加することになっていた。
当日は、王家側の者が近くにつくということで、コートニーは側にいられないのを残念に思ったが、できることは完璧にと張り切って準備をしているところだ。
「あなたも子爵家の令嬢として参加しなさい」
「え?」
しかし、侍女長の言葉は意外すぎるものだった。
「お嬢様は当日は王城側の侍女たちが付きますが、うちからも誰かが参加していた方がいいでしょう。子爵家にご連絡したところ、ちょうど王都に出づらい時期で是非にとのことだったわ」
「え、でも――」
「あなたももう18なのだから、たまにはいいのではないの」
そんな。15の頃に、公爵家に来る直前、確かに内輪の夜会でデビュタントはした。しかし、公爵家に仕えるための形式的なものだと思っていた。ダンスも、エレオノーラの練習に付き合うために基礎的なことは学んだが――。
「夜会?……私が?」
「ええ。準備をしておきなさい」
驚きから立ち直れないコートニーだったが、侍女長に話は終わりだと部屋を追い出された。
その後、なんとコートニーの父の子爵家からドレスや装飾品が届いた。当日は子爵家からはコートニーしか出席しないので、子爵の名代として必ず参加すること、出席さえすれば夜会の間は自由に過ごして構わないこと、付き添いと馬車が必要なら早めに知らせるようにということが当たり障りのない時候の挨拶と共に書かれていた。
どうやら子爵家の人間は今年、王都には誰もいないらしく、夜会に出るためにわざわざ王都に出てくるよりは、動きやすいコートニーを送り込もうという魂胆のようだ。参加さえすれば、子爵家の面目は保てるので、何かをコートニーに期待することもないらしい。
「まあ。コートニーも参加するのね。会場で会えるかしら」
エレオノーラは、コートニーの夜会参加を聞いて喜んでくれたが、おそらく会場では会えないだろうなとコートニーは思った。エレオノーラは、王族であるランベルト殿下のお側にいるはずなので、広大な会場で子爵令嬢が近づけることはないだろう。
「まあ。そうよね。残念ね」
がっかりするエレオノーラに胸が痛んだが、ここはコートニーではどうしようもないことだ。
しかし、それをどうにかできてしまう人が存在した。
「--そうか。君も参加するのか」
先日の下見を受けてのランベルト殿下とエレオノーラのお忍びデート。
案の定、バラ園にエレオノーラは大喜びで、一緒に歩くランベルトの表情も柔らかい。自然といつもよりも会話も弾むようで、親しげに語り合いながら歩く二人の距離に、少し離れて後ろをついてくコートニーはうきうきしていた。
だから口が軽くなっていたのだと思う。
つい、今日も隣を歩いているコンラッドに、夜会に参加すること、自分の立場だとエレオノーラに近付けそうもなく、自分もエレオノーラも残念に思っていることを話してしまった。
「ふむ」
と言って、少し考え込んだコンラッドは、何故か少し硬い声でコートニーに聞いた。
「では、私がエスコートしても良いだろうか」
「――コンラッド様が?」
目を丸くしたコートニーを伺うようにコンラッドは見つめた。
「もう誰か相手がいるか?」
「いえ。子爵家から誰か見繕うか聞かれましたがお断りしました。公爵家の使用人から下級貴族出身者が何人か参加しますので、相手がいない者同士で適当に出ようかと」
「その者たちよりは、私の方がシューレンブルグ公爵令嬢に近づけるな」
そう言ってコンラッドは、悪戯っぽく笑った。言われた方のコートニーは、目だけでなく口もぽかんと開けた。
遅れている、と言われて慌てて前を歩く王子たちとの距離を詰める。
「当日殿下は、シューレンブルグ公爵家まで令嬢をお迎えに伺う予定だから、私も同行しよう」
「……いいのですか?」
「いいも何も。私が誘っているのだが」
それはそうだ。コートニーだって、エレオノーラの側に行けるなら、願ってもないお誘いだ。でも、本当にいいのだろうか。
いつもの勢いも鳴りを潜めて、逡巡するコートニーにコンラッドは小さな声で聞いた。どこか不安げな声だった。
「嫌か?」
「そんなはずありません!」
「じゃあ決まりだな」
反射的に答えてしまったコートニーに、してやったりという顔で言ったコンラッドは、もうその話はお終いだとばかりに歩を早めて王子たちの後を追った。
混乱したコートニーは、その後のカフェでエレオノーラに心配される有様だったが、エレオノーラとランベルト殿下が仲良くコートニーの心配をしてくれて、それはそれで距離が近付いた様子だったので、良かったのかもしれない。
夜会当日、さすがにドレスを贈るというコンラッドの申し出までは申し訳なさすぎて断ったコートニーは、子爵家から送られてきたドレスに身を包み、公爵家の玄関でエレオノーラのそばに控えていた。
どうしてコンラッドは自分を誘ったのか。そう考えると、あの下見の日のようにコートニーの胸はざわざわとした。何だか考えてはいけないものが頭をもたげてくるような気もした。
しかし、何日かするうちに。きっとこれはあの真面目な侍従の親切なのだと思うようになった。
きっと、自分が仕える王孫殿下の大事な婚約者をしたう者として、コートニーに親しみを覚えてくれているのだ。そして親切にもお嬢様の側に行きたいという自分の願いを叶えてくれようとしている。仲間として。
そう思うと気持ちも落ち着いてきた。
当日の支度は侍女仲間が張り切ってやってくれた。
同世代の侍女やメイドたちは、侯爵家の御令息と夜会に参加するコートニーを質問攻めにしたが、「お嬢様のお側に行けるには、それが一番と言われて誘われた」というコートニーに何とも言えない顔をした。
侍女長は、最初は、くれぐれも王家にも公爵家にも侯爵家にも粗相をしないように口酸っぱく言っていたが、らしくなく緊張している様子のコートニーを最後は心配し始めた。
ややあって、王家の紋章を付けた馬車が玄関に付けられる。
中から出てきたのは、もちろんランベルト殿下だ。続いて、コンラッドも降りてきて、コートニーを見るとわずかに頬を緩めてみせた。コートニーも目礼を返した。いつもの控えめな服装と違って、夜会用に正装しているコンラッドはさすが侯爵家のご子息といった様子だった。公爵家の侍女たちの腕は確かだから、自分も、なんとかあの隣に立ってもおかしくない程度の仕上がりだと思いたい。
ランベルトが、エレオノーラの前に立ち、公爵家の者たちはエレオノーラを筆頭に礼をとる。
ランベルトは、鷹揚にうなづいたが、顔を上げたエレオノーラを見て、耳を赤くした。
「……美しいな。今日は楽しみだ」
ランベルトが、小さな、しかし確かにそう言ったのを聞いたコートニーは、緊張していたのも忘れて、喜びのあまり飛び上がるのをなんとか我慢した。そうでしょう。うちのお嬢様ですから!
視線の先で、コンラッドが笑うのを堪えた顔をしているので、もしかしたら、少しだけ飛び上がってしまったかもしれない。侍女長の方は見ないことにした。
ランベルトのエスコートで、エレオノーラが馬車に乗る。コンラッドは、王子と共に乗ってきた馬車には戻らず、コートニーを伴って、すぐ後ろに控えていた馬車に乗った。
せっかく忘れていたのに、また緊張してきたような気がする。
「本日はエスコートを受けてくれてありがとう。ドレス姿は初めてだが、よく似合っている」
「……ありがとうございます。コンラッド様も素敵です」
いつもより明らかに大人しいコートニーだが、コンラッドはそれについては何も言わず、「ありがとう」と笑うと、今日の流れを説明してくれた。仕事だと思うと、コートニーも緊張が解けて、二人きりの馬車の中は案外楽しかった。
会場に着くと、一旦エレオノーラたちとは別れて、コンラッドと入場をした。
王族は、夜会開始の直前に入場する。会場内でエレオノーラたちを待っている二人のところには、何人もが挨拶に来た。
全てコンラッド目当てだった。
そして、皆、伺うようにコートニーを見る。
「カートランド・コートニーでございます」
コートニーはその度に、礼をとって挨拶をした。
「カートランド子爵家の御令嬢です」
コンラッドが言い添えてくれる。おそらくコートニーが庶子だというのは貴族社会では常識なのだろう。
皆、なぜ二人が一緒にいるのか不思議そうにしていたが、ランベルト殿下たちの入場を待っていると伝えると、仕事なのだと解釈したようだ。お疲れ様ですと言ってくれる者が多かった。
「――すまないな」
何人かと挨拶を交わしたところで、コンラッドに何故か謝られた。
「何がですか。 コンラッド様はランベルト殿下の側近ですし、セラーズ侯爵家としての繋がりもありますでしょうし、挨拶が多いのは当然です」
コートニーがそう言うと、コンラッドは何か言いたそうな顔をしたが、ちょうどその時、王家の入場が伝えられた。
王太子殿下に続いて入場されたランベルトとエレオノーラは、高位の貴族たちの挨拶を受けている。コンラッドとコートニーは側に行って控えることにした。
ランベルトの祖父である国王陛下によって、夜会が正式に開始させると、まずはダンスが始まった。
今回の夜会では、陛下に代わりランベルトの父母である王太子夫妻がファーストダンスを踊るようだ。続いて、ランベルトや王太子殿下の弟君たちが踊る。王太子殿下ご夫妻は一曲で戻られたが、ランベルトとエレオノーラはもう一曲踊るようだ。
「では、行こう」
「へ?」
エレオノーラに見惚れていたコートニーはコンラッドに声をかけられて、思わず間の抜けた声を出してしまった。
コンラッドは、苦笑いをしながら、コートニーの手を引く。いつの間にか、王族以外の者たちも踊りの輪に加わり始めていた。
ランベルトは、15歳とは思えない巧みな技術で、優雅に踊りながら、輪に入ろうとしているコンラッドたちの方へさりげなく近づいて来ている。
「ほら、殿下とシューレンブルグ公爵令嬢がいらっしゃるから、そのタイミングで加わろう」
「は、はい」
そうか。踊るのか。
今日は令嬢として参加しているから、ダンスに加わってもなんら不思議はない。コートニーだって、最初に公爵家の使用人の皆と参加しようと思っていた時は、踊るつもりでいた。だけど、何故かコンラッドと踊るとは考えていなかった。
慌てたコートニーのステップはひどいものだったが、コンラッドはダンスが得意なようで、難なくリードしていく。
踊りながら近くに来てくれたエレオノーラに微笑みかけられ、コンラッドの巧みなリードで踊る。
コートニーは夢見心地だった。
自分が自分で無いようで、少し怖いくらいだった。
そうなるとますます踊りは覚束なくなるもので、コートニーがあまり踊りが得意でないと慮ってくれたのか、一曲終わるとコンラッドは、踊りの輪から離れた。
「何か飲み物を取ってこよう」
そう言って離れようとしたコンラッドに、側にいた令嬢が話しかける。
「セラーズ様。お役目中申し訳ないのですけれど、せっかくですので、私とも一曲踊っていただけませんか」
「あ、ああ。すまないが――」
「少しだけよろしいかしら。お一人にしてしまうけれど」
その令嬢は、コートニーに目を向けた。明らかに高位のご令嬢とわかる。エレオノーラとは年齢が違うので、顔を見ただけではコートニーには誰なのかわからなかったが、名前を聞けばきっと知っているだろうと思う。
令嬢は、格下の家門であるコートニーにも礼を失せず、本当に申し訳なさそうだった。殿下たちの側付きとして参加している二人の仕事の邪魔をしていると思っているのだろう。
「いや――」
「大丈夫です。コンラッド様。飲み物は自分でとってこれますわ」
コートニーは、断ろうとするコンラッドを遮って、令嬢に伝えた。
「では。私は、失礼して少しお側を離れます」
「ごめんなさいね」
眉を下げた令嬢にコートニーは微笑む。
「あちらで休んでおります」
コンラッドにそう言って、返事を待たずに側を離れた。
明るい音色の音楽が、ちょうど短調のしっとりとしたものに変わる時だった。