お返しは何に?
ノックの音に応える「入れ」という声に、コンラッドは扉を開けた。
声の主は、入室したコンラッドに目を向けることはない。
出窓のクッションに腰を掛けて窓の外を眺めている。ここからではおそらく見えないだろうが、婚約者が帰る時はここから見送るのがランベルトの習慣だった。
「無事、渡せたか?」
「……はい」
答える声が一瞬遅れたコンラッドに、ランベルトが振り返る。
「何かあったのか」
「――いえ、問題なく」
公爵令嬢が忘れていったハンカチは無事、返すことができたのだ。何も問題はない。エレオノーラ付きの侍女が思いのほか勢いのある受け取り方をしたのなんて大した問題ではない。
すっきりとまとめられている赤毛に赤みがかった茶色い瞳を持つ侍女は、差し出したハンカチごとコンラッドの手を掴んだ。
コンラッドは、自分が「優良物件」であることは自覚している。侯爵家の四男で大した爵位も継げないが、王孫であるランベルト殿下の側近で、将来性はある。見た目も目の前の王孫殿下のように誰もが目を見張る美男子というわけではないが、身綺麗にしているし体格も良い。顔も見られないほどでもない。
もちろん粉をかけてくる女性も多いわけで、そういった女性と比べてもコートニーの行動は積極的だったわけだが……。
「全くそういう感じじゃなかったんだよな」
飛びついてきた姿を思い起こす。あれは全くコンラッド自身に興味のない顔だった。
「どうかしたか?」
「……いえ。シューレンブルグ公爵令嬢は殿下からの贈り物を大層喜んでおり、次回も楽しみしているとのことでした」
「――そうか」
声に堪えきれない喜びが乗るのを感じてコンラッドは表情を緩めた。幼い頃から「兄」のような立場で見守ってきた王孫殿下は、目下婚約者との仲を深めようと奮闘中だ。殿下の空回りではないといいがという心配も今日の侍女の様子から見て杞憂なのだろう。
嬉しそうなエレオノーラ付きの侍女の顔を思い出しながら、コンラッドはランベルトの御前を辞した。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
ここ二週間、エレオノーラは悩みに悩んでいる。ランベルト殿下への贈り物が決まらないのだ。
「お嬢様。ここは、愛のメッセージを直接刺繍したハンカチなどはどうでしょう。お言葉で伝えられない分、文字で表すのです!」
「……コートニー。それができたら、とっくに手紙にしたためていてよ」
エレオノーラがため息をつく。
「コートニー。あなた、もう少し恥じらいを持ちなさい。王城で、はしたない真似をしていないでしょうね」
侍女長までそんなことを言う。
「大丈夫ですわ。侍女長様。そもそもお嬢様の後ろに控えているだけですもの。お茶の用意も王城側の侍女がしてくださいますし、粗相のしようもございません」
しれっと答えるコートニーの言葉を受けて、侍女長はエレオノーラと護衛騎士のヘイデンに目を向けた。そっと目を逸らしたヘイデンにコートニーは憤慨した。
なによ! 失礼ね。
「……まあ。大丈夫……だと思うわ」
エレオノーラ様も。もっときっぱり言ってくださらないと。
そんな三人の様子を見て、侍女長はため息をつく。
「お嬢様の緊張を少しでも解くために、気心の知れたあなたをつけているけれど、くれぐれもお嬢様のお邪魔にならないようになさい。そもそも、あなたは考えるより前に体が動くのですから。もう少し落ち着いて――」
「はい。重々承知しています、侍女長様。――そうですわ! お嬢様。私、街に出て、お嬢様から殿下への贈り物に何か良い品がないか見てまいります。出入りの業者だけでは品数も限られますし、思いもよらない良い品があるかもしれません」
「……コートニー。私の話を聞いていて?」
「もちろんです。侍女長様! では、午後から早速行ってまいります。お嬢様はちょうどダンスのレッスンですし。よろしいですか」
侍女長のお説教は黙って聞いていると延々と続く。コートニーは、エレオノーラに外出の許可を求めた。エレオノーラは苦笑して、いいわと言ってくれた。ついでに、侍女長に本当に大丈夫よと言ってくれるのを忘れない。
「さすがエレオノーラ様!」
とエレオノーラを拝まんばかりのコートニーを見て、侍女長は諦めてくれたようだ。ため息をついて、「街でも公爵家の恥となることはしないように」と言って、コートニーの外出を許可した。
午後になると、コートニーは早速町へ繰り出した。
ヘイデンも一緒だ。エレオノーラがいくら何でも一人は危ないわというので、侍女長が騎士団の方へ相談してつけてくれたのだ。
公爵家の使用人が共用で使う馬車も出してもらって町の中心地まで出ると、後は歩いて行くことにした。
二人だけなので、大袈裟な警備体制ではなく、ヘイデンもコートニーの半歩後ろを歩く。
「ヘイデンはいつも奥様にどんなものをもらっているの?」
コートニーよりいくつか年上のヘイデンは、平民出身だが、身分差を乗り越えて男爵家の令嬢を妻に迎えている。ヘイデンの妻は元メイド仲間で、コートニーが新人の頃の指導役だった。今は、退職して家を守っているけれど、コートニーは時々会いに行ったりしている。
「ベルダはいつも手作りだ。裁縫が得意だから大抵のものは縫ってくれる」
「なるほど。そうよね。ベルダさんのお裁縫はお店で売ってもおかしくない出来栄えだものね。エレオノーラ様にそこまでは求められないわね」
話しながら、店を見て回る。このあたりの治安は悪くないので、わざわざ騎士が付いている女性を危険な目に合わせてやろうとする者もおらず、のんびりとしたものだ。
殿下は、もちろん武芸もこなすから、ヘイデンがもらうようなものでもいいかもと思ったけれど、エレオノーラは縫物と言っても、たしなみとして刺繍をこなす程度なので、プロのお針子並みの実力を持つヘイデンの妻が作るようなものは作れないだろう。
だとすると、やはり今回は既製品がいいのか。ランベルトは望めば何でも手に入れられる立場なので、何を送ったらいいのか……。
「あ……」
「あ!」
突然の声に目をあげると、目の前に見知った男性が立っていた。
「セラーズ様!」
驚いた。ランベルト殿下の側近であるコンラッド・セラーズだった。
ヘイデンが一歩下がる。コートニーも淑女の礼をとった。
「……これは、カートランド嬢」
コンラッドはどうも人見知りなのか。今日も少し引いた態度だ。
しかし、これは絶好の機会ではないだろうか。コートニーはずいっとコンラッドに近づいた。若干コンラッドがのけ反ったような気がするが気のせいだろう。
「奇遇ですわね。セラーズ様。本日は、殿下のおつかいですか」
「え、ええ。ちょうど用事を済ませたところです」
「まあ!」
コートニーは目の前で手を合わせる。
「では、この後少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「おい、コートニー」
小声で止めるヘイデンは無視した。だって。他に殿下の好みを助言できる方がいる?
「……まあ。少しの時間であれば」
コンラッドはコートニーとヘイデンを交互に見たが、ヘイデンが頭を下げたのを見て護衛の役目だと理解したようだった。喜んでとは行かないまでも了承してくれた。
「ありがとうございます」
コートニーが喜びのあまりもう一歩前に出ると、コンラッドは今度こそ本当にのけぞって一歩引く。飛びかかられるとでも思っているのだろうか。
しかしそんなことでめげるコートニーではない。
とにかく、コートニーたちは近くのカフェに入ることにした。
ヘイデンは、護衛中だと言って頑として席につかないので、やむなくコートニーが一人でコンラッドと向かい合わせに座る。さすが殿下の護衛も兼ねているだけあって、一人で歩き回っていたようだ。後について入る護衛の一人もいなかった。
「――なるほど。殿下の好まれるものか」
「はい。エレオノーラ様がかなり悩まれておりまして」
「シューレンブルグ公爵令嬢の送られるものならば、何でも喜ばれるだろうが……」
「まあ! そうなのですね!」
顔の前で手を合わせるコートニーを、警戒したように見つめながら、コンラッドは拳を口に当てて考えた。
「……うむ。まあ。強いていうなら、実用的なものが良いのではないだろうか。殿下は武芸も学問も嗜まれるが、ご令嬢からの贈り物であれば、どちらかというと机に向かう際に使うもの。例えば、ペンとか」
「ペンですね! わかりました! ありがとうございます!」
前のめりになるコートニーと、常に体を逸らし気味なコンラッド。コンラッドと目が合ったヘイデンは眉を下げて、目礼した。
「あ、ああ。お役に立てたなら何より……」
「では。私」
と言ってコートニーはやおら立ち上がる。ガタンとコンラッドの椅子が音を立てたが、コートニーが伝票に手を伸ばすのをみて、コンラッドは素早く伝票を自分の方に引いた。
「このくらいはこちらで。早くシューレンブルグ公爵令嬢にお伝えした方が良いのでは」
半ば無理矢理付き合わせた自覚のあるコートニーは目を丸くしたが、今はペンの方が気になっている。このお礼はまた次の機会にすることにして、今日はお言葉に甘えることにした。
「そうですわね! 重ね重ねありがとうございます。セラーズ様はお嬢様の救世主ですわ」
コートニーがそう伝えると、これまでどちらかというと硬い表情だったコンラッドがふと笑った。堪えきれないと言った笑いだった。
思いもよらない笑顔に、コートニーは目を瞬かせて固まった。
「いや。失礼。主人を大事にされているんだなと思って」
口に拳を当ててクスクスと笑いながら、コンラッドが続ける。
「え、ええ。お嬢様の幸せになっていただくことが私の至上命題なのです。本当に助かりましたわ。――では!」
「お、おい。コートニー」
コートニーはどうしてだか居た堪れない気持ちになって、挨拶もそこそこに踵を返した。
慌てたヘイデンが、コンラッドに礼を告げて追いかけてくる。なんだか顔が暑かった。――びっくりしたのだ。あんな顔で笑うんだ。
コートニーはその日、なぜだかいつまでも熱をもつ顔を持て余しながら、めぼしい文具店を三つほど見てから帰邸した。