無鉄砲な侍女の幸せ
皆が驚いて顔を向けた先には、汗だくで息を切らしたコンラッドがいた。
「あら」
予想もしなかった人物の登場に驚いて声も出ないコートニーの横で、小さくつぶやいた前子爵夫人は、コンラッドのその様子を見て何かを察したようだった。
コンラッドから目を離し、コートニーを見る。
「あなた。本当にまだ何も聞いていないの?」
今度は少し穏やかにコートニーにそう問いかける夫人に、コンラッドはその苦い顔のまま頭を下げた。
「先触れもなく、申し訳ありません。カートランド子爵、カートランド前子爵夫人。ご無沙汰しております」
「お久しぶりですね。私たち、もう話が通っていると思ってきたけれど、これはどう言うことからしら――えっ!」
呆れたような顔で挨拶を返していた夫人が固まった。
子爵と呼ばれた異母兄もさすがに笑いを引っ込めて、礼をとる。
侍女長も、コートニーも一歩下がって頭を下げた。
「楽にしろ。突然すまないな」
――エレオノーラの馬車に同乗させてもらった。
そう言いながらコンラッドの後ろから現れたのは、なんと現国王の孫であるランベルト殿下だった。
「カートランド子爵。わざわざ来てもらってすまないが、行き違いがあって本人にはまだ話が通っていないようだ」
ランベルトはそう言うと、コンラッドを見た。
「我々は本邸で待たせてもらう。子爵と母君も一緒にどうだ」
「――かしこまりました」
返事をしたのは、いち早く立ち直った侍女長だった。
誘われた当人たちは、使用人であるコートニーを訪れたのに、まさか公爵邸に王孫殿下と足を踏み入れることになるとは。思ってもいない事態に困惑しているようだった。
「では。私は皆様を本邸にご案内いたします。コートニー。セラーズ様はあなたにお任せしましたよ」
「いえ。あの私たちはここの別室でも――」
慌てて遠慮するコートニーの兄子爵だったが、
「コンラッドは、今後も自分の側近として勤めてもらう。主として、そちらの家ともきちんと話しておきたい」
と王孫殿下に言われてしまっては、子爵家如きが断ることもできない。子爵は顔を青くしたまま、母である前子爵夫人も流石に強気な態度は影を潜めて大人しく本邸に向かった。
部屋にはコートニーとコンラッドだけが残った。客間といっても使用人部屋だ。メイドの一人がいるわけでもない。本当に二人きりだった。
「――あの、どうぞ。お茶も淹れたてでなければ……」
二人が顔を合わせるのは、あの夜会の日以来だった。
なんだかいたたまれない。
コートニーは、とりあえずコンラッドにソファを勧めてみた。お茶も、子爵たちに用意したものがあると言えばある。
しかし、コンラッドは、ソファに座ろうとはしなかった。
「コートニー」
そう呼ぶ声がいつもと違って聞こえる。久しぶりだからだろうか。いつも真面目な人だが、今までになく固い声だ。
もしかして、先ほどまでの話を聞かれていただろうか。子爵家はどうやら、コートニーに縁談を持ってきたようだった。それを聞かれていたのだとしたらーー。
「コンラッド様、違うんです! 私に縁談があるなんて今日初めて知ったんです。私が誰かと、他の誰かと結婚したいって言ったわけじゃないんです!」
「コートニー」
慌てるコートニーに、コンラッドが困ったように眉を下げた。
「なのでできるかどうかわからないけれど、お断りしようと思ってます!」
「いや、コートニー」
「私、……夜会の日、ひどいことを言いました。コンラッド様を傷つけました」
「ーーいや。私も、強引だった。すまない」
「いえ。私、子爵家の方達とも、きちんとお話ししていなくて、もっと、ちゃんとみんなと話していれば、あんなこと言わなくてすんだんです。本当にすみません」
コンラッドは、そうか、と言って、静かにコートニーの手を取った。
「それは、もしそうしていたら、私の想いは受け取ってもらえていたと言うことか」
「え? ええと……」
コートニーは目を泳がせた。
コンラッドはさらに困ったような、何かを堪えるような顔をしていたが、ついに堪えきれず吹き出した。
「コンラッド様! 私真剣に……!」
「すまない。はは。いや真面目に話そう」
「コートニー。前子爵夫人から婚約の打診が来たんだな」
「はい」
「相手は誰か聞いたか?」
「……いいえ」
ふむと頷いたコンラッドは、コートニーの見知った彼だった。
「昨日の時点では私が唯一の求婚者だったんだ……。この一日で増えたりしたか」
「え?」
「それは大変だな」
セリフとは裏腹にふっと笑うとコンラッドがコートニーに一歩近づいた。
「すまない。なんだか、いつも私はタイミングが悪いな」
何に謝られているかわからない。だけど、謝っているというのに、その笑顔があまりに柔らかくて、コートニーは、顔に熱が集まるのを感じた。
何も言わずにただ突っ立っていることしかできないコートニーの手をコンラッドがとる。
「あの夜会の日、コートニーに想いを伝えてから、私も柄にもなく、落ち込んでしまってな……」
やっぱり。
ひどいことを言ってしまった自分を思い出して、コートニーは気持ちが落ち込んだが、そんなコートニーの手をコンラッドは優しく撫でた。
「ランベルト殿下にも、様子がおかしいとご心配をおかけした」
「まあ」
「何と、ランベルト殿下とシューレンブルグ公爵令嬢が、心を砕いてくださったんだ」
驚くコートニーにコンラッドは笑いかけた。
「あのお二人はすっかり打ち解けられたな。コートニーの努力の賜物だ。お二人仲良く我々のことを心配してくださったよ」
ーーあの様子を見たら、きっと喜んだと思うよ、と言われ、コートニーは胸が熱くなった。
コンラッドは、一度俯くと、苦笑いを湛えてコートニーと目を合わせた。
「だが、殿下から、正式に我が侯爵家に話をしてくださったら、我が家が先走ってね。思いもかけず、子爵に話が通るのが早くて、肝心なところが間に合わなかった」
なんの話をしているのか。
なんとなく察しがつくような気がする。でも、認めるのが怖い気もする。
目を泳がせるコートニーの手をとって、コンラッドが跪くに至ってもコートニーは何も言えなかった。
「コートニー・カートランド嬢、どうか私の求婚を受けてくださいませんか」
ヒュッと鳴ったのが、自分の喉だと気づくのに時間がかかった。
自分がそのまま息を止めていることに、気づいた時には、膝の力が抜けていた。
「――! コートニー!」
慌てて、受け止めてくれたコンラッドの腕は、コートニーが思っていたよりもずっと力強かった。
そんなことにも、胸がどきときして頭がくらくらする。
「大丈夫か? すまない! 驚かせて……!」
「……わ、私?」
自分の口から出ているとは思えない程、細い声だった。
「私でいいのですか?」
息を吸って、吐く。もう少し、しっかりとした声が出た。震えていたけれど。
「私、そそっかしいし、子爵令嬢と言っても名ばかりだし、そもそももう父は子爵じゃないらしいし、コンラッド様に何もいいことがないのでは?」
それに、私はひどいことを言いました。
そう言って俯くコートニーをコンラッドは覗き込んだ。
「私は、コートニーがいいんだ。いつも明るくて、お嬢様思いで、嘘がない。それだけではダメか?」
コートニーを側のソファに座らせると、横に膝をついた。
「逆に私は、侯爵家とは言え、四男だ。王宮勤めだから、貧乏暮らしにはならないだろうが、特に裕福ではない。将来的に男爵くらいは貰う予定だけれど、それも子ども全員には継がせないだろう。要するにほぼ平民だ。そんな男では嫌か?」
何を言っているのだろう。コートニーにとってそんなことはどうでもいいことだ。
「そうだろう? 私も、同じだ。コートニーがいいんだ。それで、返事は?」
コートニーには、もう断る理由が思いつかなかった。
冬も深まりすっかり寒くなったが、王城の客間は暖かく居心地良く整えられている。
コートニーは久しぶりにエレオノーラの茶会に付き添っていた。
「そうか。まあ、王家が後押しして、侯爵と子爵が了承しているんだ。断れる縁談ではないけどな」
ランベルトが優雅にお茶を飲みながら口を開いた。
本日、コートニーに付き添うよう言ったのは、なんと他でもない王孫殿下だということで、少し気恥ずかしい気持ちのあったコートニーも流石に断れなかった。
「殿下。そんな。それでもコンラッド様は、コートニーにお気持ちを伝えたかったのですわ。素敵ではないですか」
「エレオノーラはそういうのが好きなのか?」
「ええ。憧れですわ」
コンラッドの言う通り、ランベルトとエレオノーラは、すっかり打ち解けていた。
コンラッドとコートニーがヤキモキさせたおかげとエレオノーラに言われた時は複雑な気持ちだったが、二人の様子を見ているとまあいいかと思えてきた。
二人の仲が深まることに自分が貢献できたのなら何よりだ。
よし。ここは、もう一押ししておくところだろう。
「まあ。コンラッド様。では殿下とお嬢様にはとびきりの舞台を用意してくださいます? 私も協力いたします」
「そうだな。任せておけ。コートニーがいれば、最高の舞台を用意できるだろう」
心得たとばかりにコンラッドが請け負う。
「……な!」
「まあ。コートニーったら」
思わず声を上げたランベルトだが、エレオノーラが頬を染めて嬉しそうに呟いたのを見て、口を閉じた。
殿下がお嬢様に愛を乞うのはどんなシチュエーションが良いだろう。
コンラッドなら、きっとどんな舞台も用意してくれる。
コートニーは、その様子を思い浮かべて、幸せな気持ちになった。
コンラッドは、そんなコートニーを見て頬を緩めた。
ランベルトが覚悟を決めて、その場に挑むのは、その1年後のこと――。
なんとか完結できました! 更新日がバラバラで、お待たせしました。
少しでもお楽しみいただけていたら嬉しいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




