星の綺麗な夜だった
―――今日は星が綺麗な夜だ。
獲ったリンゴを両手に抱えながら、雪は天を仰いでいた。
市街地から電車とバスを乗り継ぎ、最後は徒歩で山を登る。最寄りのバス停で降りるのは、この山に住む自分たちくらいのものだし、この山にやってくる人は、見知った人以外ほとんどない。当然車も寄り付かないので、閑静で空気も美味しい。いつも星は綺麗に見える。と、静かに暮らしたい雪にとっては絶好の立地である。強いて難点を挙げるならば、やはり交通の悪さだと思うが、雪は特段気にならなかった。
今日は日中の天気が良かったからか、一段と綺麗に見えて、雪は自身の心が浄化されていくのを感じた。
「おい白雪、もう終わったか?」
カゴを持った新人が顔を覗かせた。そのカゴには8分目ほどリンゴが入っており、雪は両手に抱えていたリンゴをそこへ入れた。
『ずいぶん収穫したわね』
「んー、まぁたくさん獲ってくるって王子に言っちまったからな。―――あ」
新人も、先ほどの雪と同じように天を仰いだ。
「今、流れ星見えた気がする」
『あら、ほんと?』
雪ももう一度空を見た。
元来雪は、星を見るという行為が嫌いではない。むしろ好きな方だ。
学校では本を読んで過ごしていた雪は、多くの分野の本を読んだ。その中で星に関する本も読んだが、本の知識と実際に目に見える星を照らし合わせるというのが面白かった。今日も、あのあたりにどの星座があって…と答え合わせをするかのように空を見ていた。
『…って、そろそろ行きましょう。私も“早く帰る”って王子に言ってしまったのよ』
「えーもうちょい!もっかい流れ星見たら!さっきお願いしそびれた」
『次は一体いつ流れるのよ…今日は流星群だったかしら』
ため息をつきながらも、雪は新人の隣に並んで天を仰いだ。
―――もし、流れ星を見つけたら、そのときは王子の回復を。
雪も新人と同じように、流れ星にでもすがりたくなるほどの願いはあった。一体新人が流れ星に何を願おうとしているのかはわからないが、星を見つめるその瞳は真剣なものであった。その瞳を見て「…願掛けくらいはしようか」という気持ちになってしまった雪は、もう少し星を見ていたいという新人の誘いに乗った。
やはり簡単に星は流れず、少しの間沈黙が生まれた。
夜風が頬をかすめる。先ほど新人が渡してくれた(というよりも、投げつけてきたという表現の方が正しい)パーカーが、夏夜の涼しさを忘れさせてくれた。パーカーのちょっとした暖かさと、そこらから聞こえてくる鈴虫の鳴き声、そして満腹感が心地よくて、少しの眠気が襲ってきた。
…あぁ、だめだ、このまま、目を閉じたら、流れ星が、…
その時だった。
――――――ドンッッッッッ
大きな音とともに、一瞬辺りが明るくなって星空が霞んだ。
うとうとしていた雪は、その音の大きさと光に驚いたあまり、心臓がバクバクと音を立てていた。一瞬の明るさによって目がチカチカしたが、その目が慣れてくると、自分たちの家のあたりが青白く光っていることに気がついた。
「おい!!白雪!!あれ…!」
『…行きましょう』
2人は家へ向かって一斉に走り出した。
新人は持っていたリンゴのカゴを放って、最速で家へと急ぐ。雪もその後を追った。
先ほどの驚きだけではない。嫌な予感がして、心臓のバクバクが鳴り止まなかった。額の辺りに、冷や汗がにじんでいるのを自分で感じる。雪は左手で自分の胸元を掴むと、「静まれ、静まれ」と自己の心臓に暗示をかけた。それでも、心臓の音は鳴り止まない。
「白雪!」
数歩先を走っていた新人が、左手を差し出した。いつもの雪なら振り払っていたであろうその手を、咄嗟に雪は右手で掴んだ。少しでも、この心臓が鳴り止んで欲しかったのだ。この手を取ったら、心臓が落ち着く気がした。
新人は自分の左手に雪の右手を感じると、それを強く握った。振り返らずに、ひたすら前を見て最速で家へ向かう。
手から伝わってくる暖かさが、「大丈夫だ」と言っているように雪は思えた。心臓の音は、少しだけ弱まっていた。