【4】 ???《1》
今日で十五歳を迎えたらしいから、あれは十五年前の事だ。
◇ ◇ ◇
荘厳な旋律が鳴り響く闇の中で、私は目を覚ました。
恐らく目を覚ましたのだと思う。
瞼を開けても閉じても視界は変わらず真っ暗だったから、あまり自信はない。とにかく、気付いた時には私の意識は覚醒していた。
ふわふわと浮遊する。ふらふらと漂流する。
風もないのに流されるままに私は闇の中を漂う。波に揺られているクラゲはこんな気持ちなのかなと、どうでもいい事を考える。恐怖はなかった。だけど、とても退屈だった。これなら眠ったままでいたかったと思うほどに退屈だった。
「誰か」
気紛れに闇へと問いかける。――応えはない。
声が出せる事に少しだけ驚いたが、声が出せた所で周りに誰もいないのでは何も変わらない。ここは何処なのだろうと考えようとして止めた。面倒臭くなったからだ。
不意に旋律が止まる。
とうとう音楽にも見放されたかと落胆していると、闇の中に光が生まれた。正確に表現するならばそれは光っておらず、ただ圧倒的に鮮やかな色彩だったから光っているように見えただけだった。
大きな曲線を描くシルエット。広大な青色と、点在する緑色。薄く引き伸ばした綿に似た白色。
それはまるで、子供の頃にみた《宇宙からみた地球》の写真のように美しかった。
「地球……?」
何か違うような気がするけれど、何が違うのだろう。
『否、あれは地球に非ず。似て非なるモノなり。然れど生命体の住まう惑星である』
頭の中に響くような声。
女にしては低く、男にしては高い声だった。
辺りを見回すが誰もいない。そして、何もいない。ここには私一人だ。
突然、目の前に白い光球が現れた。マシュマロが発光したらこんな感じになるような気がする。その光球に貌はない、しかし見られている。
私は疑ってもいないのに、光へと訊ねた。
「貴方が神様ですか」
『そう呼称する者もいるし、呼称せぬ者もいる』
それは、好きに呼べという意味だろうか。では《神様(仮)》と呼ばせてもらおう。しかし……何の神様なのだろう。日本の神様なのか、それとも海外の神様なのか。いや、細かい事は気にしたら負けか。
「ここ何処でしょう」
『ここは《此処》である。それ以外の他所に非ず』
……つまり?
『……在る者は《天国》と、在る者は《あの世》と、在る者は《神界》と呼んだ』
神様(仮)は凄く面倒臭そうに答えてくれた。盛大な溜め息が聞こえてきそうだ。
しかし、どの表現にも神様(仮)の主観は交じっていない。どの答えも、当たらずとも遠からず……つまりは好きに呼べ、という事なのだろう。
要約すれば此処はこの世――いわゆる《現世》ではないという事になるのだろうか。……あれ? それってもしかして、もしかしなくとも、
「私、死んだ……?」
『《汝》が死しているならば、なれは何者だ?』
揶揄するような意地の悪い声で神様(仮)は笑う。一瞬「むっ」としたが、言われてみればその通りだ。《私》は死んでいない。ただ、肉体が死んだ。幽体離脱ただし片道切符、みたいな感じか。
『然もありなん。その例えはどうかと思うが、魂の死と肉体の死が別物であるのは確かだ』
結構上手く例えられたと思ったのだけれど、真に残念である。
それにしても、神様(仮)と私の感性は大分異なっているようだ。神様(仮)は、やはり《神様》で間違いないらしい。人間的には、肉体の死を《死》と呼び、そこで全部終わりなのだが。
『否、終幕ではない。肉体を失っても尚終わっていないという事実に気付かず、自ら消滅へと堕ちゆくだけだ。尤も、堕落して久しい泥濘に斯様な事を諭しても無為であろうがな』
……難しいが、分からなくもない。
肉体という器が無くなっても、私という個はまだここにある。私を《私》たらしめる人格は、まだここにある。それは即ち《死》ではない……のだろう。
しかし、しかしだ。
「肉体を失った人間に、一体何が出来るんです?」
『可能性は無数にある。泥濘は須らくして己に与えられた可能性を理解したがらない』
「……まぁ、人間は死にかけたら悔い改める生き物ですからね。魂が消滅しかけたら、また悔い改めるかもしれませんよ」
『そこまで甘やかしてやる心算はない。が、一考に値しなくもないな』
愉しげに笑う気配がする。どうやらお気に召したらしい。
「それで……私は何故ここにいるんでしょう」
『ふむ、その問いは重要である。思考せよ、汝の叡智はまだ潰えておらぬぞ』
「え……はあ、肉体的には死んでいるんですよね? じゃあ身体に帰る……もとい生き返るのは無理ですから……あぁ、転生とか、輪廻とか、ですか? 生まれ変われるほど徳を積んだ記憶はありませんけどね」
神様は白い光球の形を少しだけ歪める。
『……信仰の潰えて久しいこのご時世に、徳などと口にする珍妙な泥濘がいようとはな。汝に些かの興が芽生えたぞ』
失敬な。現代人だって、少しは天国とか地獄とか信じている、と思う。
にしても、もしかしなくてもここに来た人間……と言うか魂? は私以外にもいるのか? まあ、世界では一日平均十五万人もの人間が死んでいるそうだから、不思議な話ではない。
むしろ、魂が来るたびに同じ対応を繰り返さなければならない神様が大変そうだ。