エピソード96 虚飾
◆◇◆◇◆◇
中は喧騒としていた。思わぬ聖堂の壁の破壊と騎士の登場で、観客はざわめきを隠せない。
「思いの他、早いご登場で」
そんな中、ひっそりと影に隠れた神父は柔和な笑みをやめ、暗い目を開いて騎士を睨む。
予定ならあと一日ぐらいの猶予があると踏んでいた。囮と足止めを命じた同志が仕損じるとは考え難い。
「まさか──」
打ち破ったというのか。
有り得ないと切り捨てるのは簡単だが、目の前の現状を受け入れる為には考慮しなければならない。神父は、しばし思案した。
「軍を呼び戻した? にしては数が少な過ぎる……」
破壊された入り口。そこには二回りも大きい馬が砂塵を巻き上げて身震いしているのみで、騎士の後に続く兵士は一人もいない。
鎧兜の形をした魔法生物が一匹というところが精々か。
「一体、何を考えている」
予想外の展開に関わってくる人物といえば──神父が思い浮かぶのは、たった一人の悪魔である。
ハイエナの如く野望ごと掻っ攫おうとする、”貪欲”という悪徳の持ち主。彼ならやりかねない。
幸い、この程度であれば作戦に支障はない。同志がまた一人欠けるのは口惜しいが、今は作戦に準じるとする。
「いいでしょう……今は泳がせて置きます」
再び目を閉じ、暗い瞳を奥に閉めてから神父は静かにその場を去ったのであった。
◆◇◆◇◆◇
土煙を払って視界を晴らすと、慌てふためくフードを被った集団が目に入った。
先程の議事堂と違って、武器などの所持は見られない。出入り口に近い者がさっさと逃げているところから察するに、この場にいるほとんどの信徒たちは一般人なのだろう。
奥に続く聖堂の内部。壇上には、鎮座する玉座を間に挟んで対峙する二人と二人──
「殿下、ここは退きます。出口にはアインが居ますので、俺が隙を作っている間に──」
「だ、ダメです」
ヴァンが背中越しに打ち合わせると、ミラが反対した。
「ここに伯爵と公爵がいます。彼らを助けないと……」
「殿下が仰るのであれば、もちろん助けます。ですが、今は貴女が先に逃げてください」
「しかし──」
皇女が退くわけにはいかない。
どのような事情があれ、囚われている貴族を放って置けない。プライドが、生き様が、ミラを留まらせる。
だが、ヴァンは不敵な笑みを作り、後目でミラを捉えた。
「俺を信じろ」
短く、そう告げた。
なんと頼もしいセリフだろうか。今までで一番生き生きとしている彼の言に、ミラは思わず胸に手を当てる。
「終わったか?」
二人のやり取りに水を差すのは、他でもないエルウィンだった。
「従者との感動の再会──まぁ上出来だろう。劇としては盛り上がる展開は必要不可欠だ」
下卑た笑みが整った顔を歪ませる。
彼の言葉に、ヴァンが眉を潜ませた。
「劇、だと?」
まるで茶番だと言いた気である。
このクーデターが茶番と申すのであれば、付き合わされている僕たちは不快を通り越して憤慨の至りだ。ヴァンも僕と同じらしく、彼を睨む目に力が入る。
かくいう彼は縹緲と視線を受け流し、両手を広げて堂々と宣言した。
「そうだ。これも一つの歌劇に過ぎん。玉座の上に立つ己にとっては、な」
「ふざけるな!」
ヴァンが叫ぶと、同時に床を蹴った。
折剣を構え、エルウィンを捉える。彼を捕らえれば事は全て決着する。目の前に居るのであれば、狙うは当然。
しかし、立ちはだかるは黒一色の装束──グルツだった。
手に持つ短剣を振るい、ヴァンとぶつかった。
「お前は……!」
「────」
彼が前からエルウィンの盾として立っていたのだが、気配が薄っすらとしていて気付くのが遅れた。派手な衣装で己を誇示するエルウィンが目立つのもあって、非常に厄介である。
グルツは一言も発する事なく、鍔迫り合いとなったヴァンの折剣を上に弾く。
「くっ──」
両腕が剣ごと上に弾かれ、脇が隙だらけに。すかさずグルツが蹴りを入れて迎撃。
後ろに下がり、ヴァンは再びミラの元へと返される。振り出しに戻った訳だが、グルツの戦力が以前より飛躍して向上を見せており、見物していた僕ですら驚きを隠せないでいる。
「ヴァン!」
「このくらい平気だ。いいから早く逃げろ!」
ミラも騎士の無事を案ずるが、彼は振り払って撤退を催促した。
ヴァンの戦闘力は桁外れだが、先日の死闘で体力は脆い。自慢の剣も折れている状態。実力の発揮は難しいだろう。
「……わかりました」
意を決して、ミラが壇上から降りた。散漫になりつつある観客の間をすり抜け、僕の元へと駆け寄っていく。
ゲリュオンにさえ掴まれば、あとは逃げるのみ。僕は”緑”を起動して、いつでも逃げられる準備をしておく。
「この己が、逃がすとでも思うか?」
「きゃっ!」
エルウィンが、指を鳴らす。すると”ぐにゃり”と聖堂の床が歪んだ。
どういう原理で可能にしているのか解らないが、ミラは足元を掬われて転倒してしまった。
「何をしてる!」
堪らずヴァンが声を張り上げると、ミラが動揺して答える。
「いま床が……あれ……?」
床に手を着いて確認すると、まるで幻だった様に床は正常に戻っていた。
不可解な現象に疑問が絶えない中、僕はベンテールを上げて緑火を晒した。
(今のが魔法なら──)
”緑”には一度作り上げられた魔法をマナに還元する力の一端がある。それを利用すればと考えたのだが、発動する前に体が宙を浮いた。
「妙な真似をするな」
「こちらは捕らえました!」
(いつの間に!?)
鎧兜を捕まえてベンテールを強制的に降ろさせるフードを被った信徒。様子から察するにエルウィンの手先だろう。
数人に囲まれ、ゲリュオンと僕の身動きが取れなくなってしまった。
見えなかった。突然現れた信徒の登場に慌てるが、冷静に考えても不可解極まりない。
辺りを警戒していたのは当然で、密かに”青”を使って周囲を把握していたのだが、それにも感知しなかった。
一体、何をした。何をされたんだ。
「クク……ハハハ、ハーッハハハハ!」
傍目から見て逃げ道を封じられ、苦しい表情を浮かべながらグルツと剣戟を交わすヴァン。捕らえられてしまった僕を見つめて動揺を隠せないミラ。
そして唯一強力な魔法を使えるはずの僕が囚われてしまったのを見て、三段階笑いをするエルウィン。
「理解できぬだろう? まだ完全とは言い難いが、特別に見せてやろう──」
人は信じたいように信じる。
己を捻じ曲げ、真実から目を逸らし、好きなものだけを選り尽くせばよい。
やがて朽ちゆくのならば、楽な道へ征けばよい。
信じたい者こそ、自分勝手に救われるのだから──
「これが己の力だ」
大胆不敵に、彼は玉座に腰掛けて唱えた。
それは呪詛呪怨。世界を呪う詠唱──
かつてジンが綴ったものとは一線を軌している。
「己の名はエルウィン・アラバスタル・ウートガルザ。虚数単位・十一を拝借した、真名”ロキ”だ」
大聖堂一面に黒い空間が支配する。
『覚えがある』なんて他人行儀な言葉で表せない。これはつい先日体験した悪魔の術。
”ロキ”と改めて名乗った男が、玉座で踏ん反り返って嗤う。
「精々、己を楽しませろ」
外殻──偽り給え虚飾者
外殻が、辺り一面を包み込んだ。




