エピソード92 護衛騎士が駆け付けるまで、あと0
虚の王の誕生に信徒たちは歓喜の産声を挙げる。
これで王政は実質解体されたようなもの。観衆の目がある以上、もう後戻りが出来ない。
「──まだ式典は終わっていない」
エルウィンは足を組んで肘掛けに頬杖を着きながら待ったを掛ける。
歓声が徐々にざわめきに変わり、皆が疑問符を浮かべた。
式典と呼ばれる下剋上は果たしたはず。王の言葉に、誰もが息を呑んだ。
王は、ニヤリと頬を歪ませた。
「皆に紹介しよう。此処にいる皇女、ミラ・ノスタルジア・カーネリッジは、今より我が妃として迎え入れる」
「っ!」
忘れていた。いや、まさか本気にしていたとは思わなかった。
確かに議事堂の入り口で王は述べた。しかしそれは、従順に従わせる為の脅しなのだと頭で勝手に解釈したに過ぎない。
身を構え、ミラはこの場から去る段取りを強行した。
それだけは、決してそれだけは受け付けられない。
身勝手だと思われようが、ミラの心は幼児のように反対を示した。
だが、考えなしの強行策。すぐに捕らえられてしまい、壇上へ引っ張り出されてしまう。
「い、いや、離して!」
「皇女殿下っ!」
未だに這い蹲る伯爵が項垂れるのを辞め、顔を上げた。
「王子──いいやエルウィン! これはやり過ぎだ、名目から逸脱しているぞ!」
この場はあくまで政治に纏わる話だというのであれば、溜飲する余地はまだあった。クーデターも歴史によっては、のちに繁栄の道標になる場合も有り得る。
しかしこの行いは暴挙が過ぎた。
権力を振りかざして侍らせる。政略婚なら数多く存在するが、これは政治も政略も関係なかった。
「いちいち煩いヤツだ。逆らえばどうなるか解っているだろうに」
「くっ……」
指差しで指示を出し、取り押さえていた信徒が頷いて伯爵を壇上から退場させる。
人質が引き合いに出され、伯爵は苦渋を舐めるような思いを味わうしかなかった。
伯爵が奥に消え、壇上にはミラを取り押さえる信徒を除けば男女二人となった。
「貴方の妃になるつもりはありません!」
「ハッキリと云うではないか。そんな装いをしておきながらだと説得力に欠けるがな」
「これは──」
「痴話喧嘩はそのぐらいにしてはどうでしょうか」
純白のドレスを用意させたのはそちらの方だと憤慨したところで、奥からとある人物が現れた。
ミラがその人物に抱いた印象は柔和な笑み、そして高身長だった。
祭服に身を包み、胸に歪んだ十字架を下げた聖職者。アインの知識から例えるなら、招き猫のような男。
しかし何故だろう。ミラの頭には警告音が鳴り続けていた。笑みから来る掴み所のない雰囲気のせいなのか、それとも全く別の要因なのかは理解できない。ただ、本能が叫んでいた。
彼は、危険だと──
「痴話喧嘩とは嬉しいことを言ってくれるな」
エルウィンが神父の登場に何の疑いもなく返す。
依然と傲慢な態度を崩さず玉座に腰掛ける王に、神父は腰を折って頭を下げた。
「愉しまれているところ申し訳ございませんが、時間が近付いて参りましたので」
「ふむ、そうか」
何やらミラの預かり知らぬ会話が続いたのちに、エルウィンが閃いた。
「婚儀を行う。執り仕切れ、神父」
「確かにわたしは神に仕える身の一人。此処も聖堂でございますし、是非もない」
そうと決まれば、と王が立ち上がる。
ミラに目の前まで近寄り、ミラは身構えた。
「少々己の矜持に反するが──」
「何を……っ」
指先を額に向けられ、そこから淡い紫色の発光が灯る。同時に、ミラの中で違和感が生じた。
体の自由が利かなくなってくる。意識が朦朧とし、反抗する意志が削ぎ落とされてゆく感覚に陥る。
「解け」
彼女の後ろに控えている信徒に命令し、縄を解かせる。
瞬時に逃げてもおかしくない状況なのに、ミラは呆然と立ち尽くしていた。
瞳に色が失い、街の変貌した住人たちと同じような症状を確認して、二人は準備を進める。
「式はどのように」
「時間が惜しいのだろう? 貴様のやり方で構わん。己も婚儀についてはよく知らんのでな」
神父が伺うと、王が簡単に注文する。
承諾したとまた一礼をして、神父が玉座の前に立つ。そして左右に新郎新婦を並ばせたのだ。
「では、先程の式典が挨拶の代わりということで──」
オホン、と仰々しく咳払いをして、神父が聖書を片手に台詞を述べ始めた。
「虚の王よ、貴方はノスタルジア国皇女を妃とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、たとえ世界が滅びようとも──彼女を愛し、敬い、貶し、慰め合い、その命ある限り凌辱を尽くし、死後も厭わぬことを誓いますか?」
神父から発する台詞とは到底思えない物騒で邪な言葉の羅列が連なった。
しかし新郎は意に介さず喜び、不敵な笑みを作って、
「無論」
と頷く。
よろしい、と神父は相槌を打って、今度は上の空であるミラに向いた。
「では妃、貴女は彼の慰めものとして道具のように扱われる。それでも、彼の下敷きとなって歩むことを誓いますか? 彼は酷い男だ。きっと後悔するでしょう」
「酷い男とは、なかなか耳が痛い」
「事実でしょうに」
おおよそ、彼らに人の心はない。
他者の心を弄ぶ生粋の悪魔。その歪んだ笑みに囲まれ、ミラは心の底で叫んだ。
(助けて……!)
体の自由が利かなくても、心では自我を保っている。
本人の意思など関係なしに話が進んでゆく。否定したい気持ちと恐怖が入り混じり、心はもう悲痛に塗れていた。
「ちなみに、我々が元々得意としているのが”契約”でして。約束事を違えることは不可能だと言うことを肝に銘じてください」
さらに神父が追い討ちをかける言葉を投げかける。
形が見えぬものに形を与える、それが契約。人の教えにある魔法の中に契約関係の魔法は確認されてないが、精霊との契約や悪魔との契約、様々な約束事が絶対となって現れる存在は幾らでもあった。
神父が宣う誓いというのも、その一種なのだろうと推測する。
ここで肯定する訳にはいかない。肯定したくない。
ミラは動き出しそうになる唇を頑なに結んで細やかな抵抗を示した。
いつまでも答えない新婦に、神父は首を傾げた。
「おや、心までは掛けなかったのですか?」
「心まで奪ってしまったら甲斐がないだろう」
「左様で」
王と短いやり取りを行い、神父は困ったように細い眉を下げた。
これでは式が進まない。どうしたものかとしばし唸り声をあげて、閃く。
「では口付けを交わす事で是としましょう」
「名案だな」
口付け。つまりはキス。
愛の証をこんな形で成したくはない。ミラは神父の邪な提案に目の前が暗くなった。
エルウィンが立ち尽くすミラの顎を指で持ち上げた。
視線も持ち上げられ、彼の端正な顔が広がるが、何も心に響かない。
歪む笑みが受け付けない。我が物としようとする傲慢さが気に入らない。そして何より、薄く付着した血痕が恐ろしい──
彼の唇が寄ってくる。純潔が奪われてしまう。突き放したいのに、腕も足も動かない。
目と口を固く閉じる事しか出来ず、ミラは塞がれるであろう唇を客観的に想像して、泣き叫んだ。
(やめて、たすけて──)
神に助けを乞う事は、もうしなかった。
今のミラが乞い願うのは、たった一人の男の背中。金色の髪に頼れる背中──
彼の姿を強く想えば想う程、目前に迫る現実が受け入れたくないと反発してしまう。
しかし、願わずにはいられない。
(助けて、ヴァンっ!)
唇と唇が触れる寸前で、それは起こった。
聖堂の入り口が大きな音を立てて吹き飛んだのだ。
「っ! 何事だ」
「おや、来てしまいましたか」
崩れる壁から悲鳴をあげて逃げ惑う観客。王と神父は式典を邪魔する来客が誰なのかと注目した。
巻き上がる砂塵の中から、一筋の影が飛来する。
影はエルウィンとミラの間に割り込み、折剣を王に向けて振り払う。折れていても剣は剣。鋭い剣戟が至近距離で王を捉えた。
「──ッ」
しかし、折剣が届く事はなかった。
何処から現れたのか、グルツが影と王の間に更に割り込んで剣戟を短剣で防ぐのである。
依然、黒い装束を纏って光の灯らない瞳をしているグルツに、影は舌を打ってミラを庇う様に引き下がる。
ミラ、影、グルツ、エルウィン、と順に並ぶ構図となり、突如現れた二人によって新郎新婦の距離が引き裂かれた。
「────」
ミラは混乱する頭で飛来した影を見る。
それは、自分が思い描いた男の背中であった。
獅子のような金色の立髪。雄々しく気高い佇まい。手に持つ剣と腰に携える鞘は、以前彼が正式に護衛騎士として配役を承る際に手渡したもの。王家の刻印が密かに刻まれた、護衛騎士にのみ許された証が輝く。
「遅くなって申し訳ございません、殿下」
本当は慣れない敬語を、彼女にのみ発言する不器用さ。幼い頃から共にいた、もはや半身とも呼べる主従関係──
ミラは目に涙を浮かべて、思わずその背中に抱き着いた。
王が軽く掛けた術は、彼の登場によって既に解けていた。
「ヴァン!」
ヴァン・リール・ヴァルヴァレット。彼女が最も信頼を置ける護衛騎士が、この土壇場で駆け付けて来たのだ。
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以前から小説は趣味で書いてましたが、こんなにも書いたのは生まれて初めてで、自分でも驚いてます。
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