エピソード83 異変その3
エルウィン・アラバスタル・ウートガルザ第一王子。彼との邂逅は三年前、王国国際連合会議にて一度目にしている。そして二度目は学園での初日にて険悪な雰囲気のまま退場した。
彼を一言で表すならば、傲慢。世界は自分中心で回っているを地で行くタイプの人間である。だが、そんな彼でも脳みそまで我が儘の汁に浸っている程、馬鹿ではない。
第一王子であるなら王の座は約束されているはず。それなのにこんな謀反を起こす真似など、道理が合わない。失敗すれば処刑確実である。
「まさか……」
あるというのだろうか。第一王子が、王座から下ろされる話が──
ミラの脳裏に可能性の一つが過ぎる。もしそうであるなら、前代未聞どころの話ではない。
「動機はさて置き、問題は現状だね」
クリスは飲み切った紅茶のカップを皿の上に置いて空の器を見つめて述べた。
「現在、この街では信徒たちが徒党を組んで王族貴族たちを引っ捕らえている最中。ミラちゃんは見たと思うけど、何人かに襲われなかった?」
「襲われたというか、襲われそうになったというか……」
すべてはマエストロハート伯爵の手引きで事なきを得たのだ。
その事を話すとクリスは小さな溜息をついた。
「そうか、やっぱり伯爵が……」
小さく可愛らしい顔に影が差す。容姿と雰囲気がチグハグな彼女にとっても、伯爵の存在は周知している様子。むしろ、旧知の間柄を思わせる素振りである。
「伯爵と面識があるのですか? 彼に連れられてあの”転送装置”という場所に行ったのですが……」
ミラは、ここに来てクリスの正体が何なのか疑問に思った。
伯爵のこともそうだが、あの地下室といい、この現状に妙に詳しいといい、解せないばかりである。
『グレイ・アムリタス』の称号を持つ少女。それが彼女というのには変わりないはずなのに、大きな影があるように感じて、ミラの体は勝手に強張りを見せてしまう。その仕草に察して、クリスは紅茶のおかわりを注ぎ始めた。
「ドーラ家は長年”科学”というものに執着している家系でね」
「かがく、ですか」
聞いたことのない単語を口して咀嚼する。だが、皇女の頭脳を持ってしても意味が当てはまらず、結局は首を傾げる他なかった。
クリスは「説明下手だったね」と軽く頭を下げてから改めて言い直した。
「科学とは所謂、魔法を使わない技術だよ。例えば、木屑に火花を浴びせると火が点くだろう? 何故だと思う?」
「何故かと聞かれましても……」
燃えるから。としか答えようがないのではないのか。
そんな単純な話にも思えず、ミラが困った顔で思考を巡らしていると、クリスは二杯目の紅茶に口を付けて、離した。
「答えは単純だよ、燃え移るから。しかしそれだけで終わらせないのが”科学”なのさ──」
波紋で揺れる紅茶を眺めて、彼女は続ける。
「正確には火花から熱をもらうことで高温で高速の発熱反応を起こし、木屑の可燃性と大気を糧にしてエネルギーが変換される現象、それの繰り返しで木屑は燃えて広がる……道理と仕組みを識り、それらを応用し発展させ、技術へと昇華させる。我が家系の宿命と真理──」
何やら難しい話でミラは混乱した。
「つまり、魔法を使わずに火を起こせるといったものを造る、ということでしょうか?」
ざっくばらんな解釈に、クリスは頷いた。
「そう捉えて貰っても構わない。この技術が発展すれば、魔法が使えない人々にも魔法使いと同等の暮らしができる。そう教わってきたんだけどね……」
彼女は後ろにある台所に目を向けた。あるのはポットに湯を注いだ魔法石。
「今では魔法ありきで技術が発展してしまっている。かくいう私もセフィラ持ちだし、ドーラ家が日の目を浴びるのは当分先になるね」
魔法を使わない技術が、魔法を駆使して発展していくこの時代についていけない訳は多くある。
皮肉にも、彼女の生活の一部に、魔法がごく普通に使われているのが何よりも証拠だ。自嘲気味に笑う彼女の目は、少し寂しげに見えた。
「話が逸れて申し訳ない。ドーラ家が王政と繋がっている理由だったね」
姿勢を戻してクリスはミラと視線を合わせた。
本筋から逸れてしまうのは彼女の悪い癖でもあり、逆に言えば分かりやすく説明しようとする丁寧さの現れでもある。ミラは謝る彼女に短く首を振って、大した事ではないと答えた。
「今言った通り、ドーラ家には技術を発展させる培った力がある。そこに目を付けた国王が秘密裏に依頼したのさ。キミも見ただろ?」
依頼──つまりはあの地下通路の事だとミラは直結させた。
馬の亡骸の他に、ありとあらゆる生物が収められていた水槽の棺桶。あれが国王直々の命令で、しかも秘密裏に行われていたのであれば、否応無しとはいえ知ってしまった自分は罪に問われるのだろうか。
倫理観のズレによる嫌悪感もそうだが、見てはいけないものを見てしまった恐怖感の方が強い。不安に顔を染めるミラに、彼女は大袈裟に笑い飛ばした。
「安心してよ、別に取って食おうなんて思っていないから。でもここだけの秘密って事にしておいてね」
人差し指を立てて口元に当てる。他言無用なのは了承するが、大きな不安だけが心の底に澱となって沈む。これ以上、アレが何なのかを問い詰めるのは些か忍びないと判断したミラは、話を進めようと切り出した。
「ドーラ家が繋がっている理由は何となく理解しました。ですが何故、伯爵が……」
「あの伯爵は王家に仕える事も視野に入れてるからね。おおよそ誰かから聞き及んで、いざという時の脱出路として認知していたのだろうさ」
あの時の伯爵の判断は間違ってはいなかった。現にこうしてクリスと再会を果たせたのも、彼の勇気ある行動の結果である。
あれから無事だと良いのだが──
ミラは小太りの二重顎を想像して、頭の片隅で無事を祈った。
「最後に──」
長話もそろそろ終止符を打ちたいところ。今後の策も練らればならないのだから時間が一刻も惜しい。
しかし、クリスに対する懸念材料だけは何としてもここで払拭させたいと願うミラは、早々に言葉を投げかけた。
「先生は、何故今のこの現状を詳しく知っているのですか」
一晩の間に起こった出来事を知るには多過ぎる情報量だった。まるで街中に目を配置しているかのような正確さ。ミラ自身でも先ほど外を歩いたというのに、この情報量の違いは一体なんだというのだ。
彼女は紅茶に砂糖を入れてマドラーで掻き混ぜながら告げた。
「何度も言うけど、ドーラ家は技術発展を生業にしているんだ。私の姉に当たる人が情報統制機構にも知られてない監視の目が至る所に配置しててね。それを借りて情報を得ていたんだ」
「終始、ですか?」
リアルタイムで他所を見る魔法は幾らでもある。しかし、異変に気付くには見張り役の兵士同様、それに張り付かなくてはならない。
そんな事をする暇人ではないとミラは確信していた。ならば、異変に気付く何かが起こらなければ道理が合わない。
ミラの疑問を察して、クリスは声のトーンを落とした。
「私のところにも来たのさ、信徒が」
なるほど。それなら納得がいく。
昨晩、彼女の元に今朝のような曲者が現れたのだ。ドーラ家も立派な貴族。人質として捕まえる利点があったのだろう。
しかし納得と同時に別の疑問が浮き出てくる。
「今、その信徒は──」
そう、襲ってきたのであれば共犯者がここに来たはず。占拠されていない点から察するに、無事に追い返したのだろうか。
クリスは初めて苦い表情を浮かべた。視線を下げて後めたい様子を匂わせ、ミラの心をざわつかせる。
「ここにはまぁ、侵入者用の罠もあって私たちは無事なんだけど……襲ってきた信徒は今、別室にいるよ」
別室にいる。
含みのある言い方にミラは嫌な予感がした。だが、”それ”を行えば確かに妙に詳しい理由も合点がいく。
「ミラちゃんには話しておかなきゃね……ここに真っ先に案内したのも、見せたくなかったからなんだ……」
彼女は一旦勿体ぶってから視線を上げて打ち明けた。
「尋問──いや、拷問をしたんだ」




