エピソード82 異変その2
光に包まれ、ミラは反射的に手で目を覆った。しかしそれも束の間のひと時で、発光は収束されていき、やがて止んだ。
手を下ろして強く閉じた瞼を開くと、そこは先程の倉庫と何ら変わらぬ暗さ。だが議事堂にあった部屋とは全く別の一室に早変わりしていたのが見て取れた。
何やら怪しげな光を纏う円柱形の水槽が陳列されている様子が先ず目に入る。議事堂のエントランスにあった銅像を連想させるように一本通路を挟む形で等間隔に配置されており、通路へは一段の段差を隔ててミラが立っている石畳で造られた円形の部屋に繋がっていた。
”転送装置”は無事に発動した。あの一瞬で部屋が様変わりしたということはつまり、ミラ自身が瞬時に移動した事を指し示していたに他ならない。生唾を飲み、ミラは恐る恐る段差を降りて通路へ歩み出た。
通路の壁に半分埋め込まれる形で陳列する水槽は、大人一人分収まる程の大きさで、天井まで続く管が幾つも張り巡らされていた。水槽から放たれる薄い青色の発光が、中をよく見渡せる構造となっている。辺りが暗いのも相まって、水槽単体で覗けば綺麗とすら思える程である。
ミラの脳裏に『水族館』という御伽噺が過ぎる。昔、まだ優しかった頃のユースから聞いた話によると、稀有な魚や水の中に住まう数多の生き物をガラス張りの水槽に放って鑑賞する娯楽があるそうだ。
目の前の水槽が、そうなのだろうか──
中を注視すると濁った水の中から突如顔が現れた。
「ひっ──!」
口から心臓を吐き出すような思いをして、ミラは反射的に口元を押さえる。大声を出してはいけない。咄嗟の判断だった。
水中に浮く顔は、よく見れば人のものではなかった。体の骨格からして馬のように見える。”馬”と言えば頭のない魔法生物でしか見たことがない彼女なのだが、これが元々の本来の形である”馬”だということは連想させて補完することに成功した。
他の水槽にも目をやると、様々な生物の亡骸が収められていた。
人ひとりが収まる大きさが何とも不気味に見えて仕方がない。この中にもし人が入っていようものなら、水死体を眺める猟奇的嗜好の棺桶である。そう思えて身震いしたのだ。
ここは何処なのか。ミラは今更ながらにしてようやく通路の先に目を凝らした。
決して伯爵を疑っている訳ではなかったが、さっきの異変とこの不気味な空間が相まって動悸が激しい。気を抜けば正気を失いかねない。
普通の少女であればとっくに泡を吹いて倒れているところなのだが、皇女は底知れぬ胆力を持ち合わせていた。
無数の水槽が続く中、突き当たりに扉がある。こんな悪趣味なところからオサラバしたいと願って駆け足で扉へ向かうと、扉の方が先に開いた。
不味い。隠れる場所がない──
ミラは足を止めて身構える。いざとなれば魔法で己を強化して脱出を試みる算段を思考させる。
重い鉄の扉が半分も開かない内に動きを止めた。漏れ出る明かりが何とも得難い希望として目に映る。
一拍置いて、ミラは自分のセフィラに唱えようとして──やめた。
逆光で見えなかったが、扉の間から影がひょっこり顔を覗かせていたのだ。
よくよく捉えて目を細くすると、
「あれ、ミラちゃんもういるの?」
首を傾げる年端もいかぬ見た目の少女。桃色の髪を二つ下げて括り、ぶかぶかな白衣を纏う。大きな灰色の瞳とサイズの合わない眼鏡──クリスの姿がそこにあった。
「──先生っ!」
不安の中、やっと見知った顔に出会った感動に任せ、ミラは涙を浮かべて小さい胸に飛び込むのであった。
どうやらミラが出現した場所は地下室のようで、扉の奥にある階段を登ると、とある一室に出た。
書斎の棚が壁一面に広がっており、一冊一冊がやけに古く分厚い。医学にまつわるものから文字が読めないような本まで取り揃えている図書館のような部屋だった。
あの地下へ通じる階段は本棚の奥に仕舞われた隠し扉に続いており、振り返って確認した途端に本棚がスライドして閉じられた。
「ま、ついて来てー」
クリスに言われるがまま、書斎部屋を出て廊下を辿り、着いた先が桃色の空間。
メルヘンチックと喩えるのが一番適切だろう。白い毛皮で覆われた床に桃色一色の壁。天蓋付きのベッドが奥にあり、その横には大きな窓と洒落たテーブルが敷かれていた。さらにはベッドの反対側には簡単な台所まで備え付けてある。天井には魔鉱石を使用したシャンデリアが吊るされ、部屋を隙間なく照らしている。
この一室だけで充分暮らせるではないかと思われる程の充実さ。これが民家なら違和感はないが、豪邸の一室だというのだから驚きだ。ひとり部屋にしては広すぎる。
皇女ミラでもこんな部屋は見た事がない。豪邸に住まうのであれば、寝室と厨房と浴室と食卓と役割のある部屋に移動すればいい。ここにはその全てが一人サイズで収められていたのだ。
──アインの知識の中で言えば、この豪邸は所謂マンションそのもの。一部屋ずつに台所に寝室に浴室と備え付けられている一軒家と言われれば、たとえ転生者のアインと言えども仰天ものであるが。
「さて、何から話そっか」
クリスはあくまで軽い口調で話題を切り出す。奥の台所に立ち、魔法石を使って熱湯を呼び出してティーポットに注ぐ。その仕草は日常的に行われている動作なのだが、何とも贅沢な光景にミラは目を奪われた。
普通、紅茶は水を火で沸騰させてから作るもの。あらかじめ物体を押し込める事が可能な魔法石を使用して湯を注ぐなど、勿体無くて忍びない。使い回しが効かない高価なもののはずなのだ。
「えっと……」
ツッコミが追いつかないまま口籠もっていると、クリスは困ったように微笑んだ。
「まぁ、まずは座りなよ。窓の近くはよした方が良いから、そこのベッドとかにさ」
誘導され、ミラは言われた通りにベッドに腰掛けた。ふわふわな心地に腰が沈み、安堵の息が漏れる。
「──大変だったね。怖い思いをさせてゴメンよ」
ティーセットを運んで、クリスは謝罪を口にしながらミラにティーカップを皿ごと手渡した。
ふと、紅茶に映る自分の顔を見て、ミラは頬に涙が伝っていることに気が付いた。
徐々に押し寄せてくる波に抗うことも出来ずに、皇女は涙した。怖かったと、訳が分からなかったと、想いを口にして。
クリスがティーセットをテーブルに置いて、そっと彼女を抱きしめた。母性に溢れる瞳を揺らして、まるで赤子をあやすかのように──
しばらくして泣くことを止めたミラは、深呼吸をして自分を落ち着かせた。
先ずは知らなければならない。事情を知っている様子のクリスを改めて見つめて姿勢を正した。
「先ずは匿って頂いたことに感謝を。ありがとうございます、ハルバード・クリュス・ドーラ殿──」
正式な彼女の名前を綴って述べたのは皇女としての立場からによるものだった。助けて貰った事を蔑ろにしては、ノスタルジアの名が泣く。
彼女は相変わらず飄々とした態度で「どーもー」と返すが、ミラは続き様に本題に切り出した。
「先ずは王政議事堂……いえ、この街に起こっていることを教えてください」
何があったのか。それを知らずして迂闊な行動は取れない。
クリスはテーブルにあるイスを引いてミラの正面に座り、熱いうちに紅茶を一口啜ってから語り出した。
「詳細はまだ何とも言えない。けれど昨晩、この街の警備兵が何者かによって全滅させられている事は確かな情報だよ」
「警備兵が?」
耳を疑った。確かに王都では兵が不足しているのは周知の事実だ。アドニス軍が率いて魔物討伐に出向している今は、特に顕著に現れるだろう。
しかし、それにしたっておかしな話である。ならもっと騒ぎになるはずなのだ。なのに今朝は、騒ぎどころか異変も何もない静かなものだった。些か静かすぎるところもあったが──
疑問を残したまま、クリスは続けた。
「次に軍部──”情報統制機構”が何者かに乗っ取られた形跡がある。おそらく今も継続中だろうね」
「────」
情報統制機構。それはこの国の担う軍部の中でも重要な位置に属する機関である。危険が迫れば貴族や国民に知らせ非難誘導の義務を持つだけでなく、解決に乗り出す為の精鋭部隊を適切な位置に配置したりなど、その役割は大きい。普段は王都の内部も外部も情報を取り扱う重要機密の塊であり、敵の手に渡るような事があれば取り返しがつかない。
すでに、クリスの口から述べた事が真実であるなら、もう国としては手遅れであるのだが……
「敵は──」
ミラは、前置きをやめて核心を突く。
「敵は、何なのですか。首謀者は誰なんですか……!」
クリスはもう一口、紅茶を舌の上に含ませてから、
「計画的な犯行に手際の良さから察するに、王都外からの攻撃じゃない。議事堂を襲ったり、夜間に有力貴族を襲撃したり的確すぎる。つまり内部──謀反だよ」
「だ、誰が……」
「こんな緻密で大胆な計画、心当たりがあるとするなら一人だけだよ。アラバスタ第一王子、エルウィン・アラバスタル・ウートガルザ」
強烈な真実を告げたのだった。




