エピソード55 ゼロの"アイン"
気付けばまた、あの誰もいない教室にいた。
いつもの赤焼けの夕日が窓から差し込み、物寂しさを語っている。
「ここは──」
僕はあれからどうなった?
いや、確実に死んだ。綾瀬を庇って死んだはずなんだ。じゃあ一体ここに居るというのはどういうことなのだろうか。
疑問が尽きない中、教室中に声が響いた。
『あーあ、結局失敗に終わっちゃった』
聞き覚えのある声が分かりやすく落胆している。
身構えていると、教室の中央に影が揺らめいていた。
それは徐々に形を成していき、ハッキリと輪郭を露わにしてゆく。
「つまんないの」
現れたのは一人の生徒。背丈はやや低く、髪は茶色に染めた女の子。
制服姿だったが、僕の通う学校のものとは違う他校の生徒であった。
見たことがある。彼女を知っている。あれは確か──
「マコト君ってさ、もうどうしようもない程、普通だよね」
女子は暗い瞳を向けて嘲笑した。
「毎日学校通って、目立たない成績で、両親も喧嘩してるけど一緒に居るし、普通に恋をして、普通に悩んで、普通にカッコいいことしてさ──」
だんだんと言葉に力が篭っていく。
「薄ら寒いのよ。なに調子付いてんの? 自分、最後ちょっと粋ってみましたって? いやいや普通にキショいし、キモいっての!」
僕はただ、黙って彼女の言葉を耳にする。
「最近流行りの目立たない系主人公っていうの? 普段落ちこぼれてるくせに、ここぞって時にシャシャリ出ちゃってさ、見ててイライラしたしホント吐き気したっての!」
女子は視線を自分の両手に移した。
「なに自分本気で悩みましたって雰囲気出してんの? 世の中もっと大きいことで苦しんでる人いっぱいいるっつーの! 平凡が気取って被害者ヅラすんじゃねーっての! テメェの人生なんて、他人の視点から見りゃ、山もなけりゃ谷もない平坦でしかないの!」
怒りに任せたまま吐き出た言葉は罵倒ばかり。
しかし、彼女は見つめてた両手を目で覆い、嘆き始めた。
「アタシなんてもっと苦しんだよ? 屈辱の極みにいたよ? 誰も救ってはくれなかったし、自分でもどうしようもなかったし、底辺のドン底で、こっから良いことなんて何も起きないんだって悟ったよ? なんでアタシがこんなヤツの人生を……人生を……」
覆った手を退けて、彼女は素顔を見せた。
目に大粒の涙を浮かべて、これでもかってぐらい憎々しい表情を僕に向けて──
「死ぬほど羨ましいよ」
彼女がどれだけ普通の暮らしというものを望んでいたのか。そんなの計り知れない。
こんな悲痛に塗れた顔をされれば、誰だって何も言えなくなる。なんて声を掛ければいいか分からなくなる。
「ねぇ、一緒に居てよ。アタシと一緒に堕ちてよ。優しいんでしょ? あんな体を張ってナイト気取れるくらい、マコト君は優しいってこと、アタシ知ったよ?」
懇願する彼女。
あれだけの恨み辛みを吐き出しておいて、今度は猫撫で声で誘ってくる。
彼女の痛みは分からない。分かりっこない。
だから彼女と一緒に堕ちてやることが優しさなのだとしたら、それは違うと思いたい。
しかし、彼女は憐憫でも哀れみでも何でもいい、一緒にそばに居てくれる人を求めて止まない。そんな雰囲気だった。
だったら、僕は……僕が取るべき行動は──
「知らないよ、そんなの」
まず、拒絶してやることだ。
「……なんでよ。やっぱりマコト君も、アタシを見下してんの?」
首を横に振って答える僕を見て、彼女は豹変した。
彼女の右腕が空間ごと歪み、すぐさま収まると鎧の籠手と一体化した剣に変化する。
直後、彼女はダッシュで駆け寄り、剣を振り上げた。
「だったら、死んでよ」
「──っ!」
僕は反射的に横へダイブして回避。机が真っ二つに引き裂かれる。
彼女は、本気だった。
「壊してやる。殺してやる。アタシを見下すヤツら、全員あの世に送ってやる──」
再び、剣が振り下ろされた。
僕は倒れた姿勢のまま、彼女の間合いに敢えて床を滑らせて近寄り、剣になっていない腕の部分を蹴った。
僅かながら怯む相手を他所に、僕は立ち上がって教室を出ようとする。
「ぐっ──!」
戸に手をかけて引っ張るが、ビクともしない。
逃げ場がなかった。
「殺して殺して、そしてそれが救済になるの。アタシの、アタシ自身のための救済……」
まるで呪いのように呟く彼女。
またも剣を振り上げて、下す。
今度こそ、避けようも防ぎようもない。
両腕を前に交差して、せめて頭や胸の急所を防ごうと足掻く。
やってくるであろう痛みに備え、目だけは閉じなかった。
剣が襲い掛かろうとして──
ガキンッ──
「!」
「まだこんな力あったの……」
不可思議なことに、見えない何かに剣が阻まれた。
苛立ちを隠せないのか、眉にシワを寄せて露骨に舌を打つ彼女。
胸の奥が熱い。
「ならこれは?」
腕の剣をまたも変化させ、今度は普通の籠手に戻った。
その手で僕の胸倉を掴み、教室のドアに押し当てる。
「ぐっ……ぁ……」
気道が押し潰され、呼吸が困難になる。
女の子とは到底思えない力に、成す術がない。
そんな苦しみもがく姿に愉悦を感じているのか、彼女の表情は明るい。
「しね。死ねよ」
「ぁ、が……クソっ……」
必死に抵抗する。押される腕を引き剥がそうと両手で掴んで、少しでも潰された気道に通り道を作る。
それはそれとして、さっきから胸の奥が熱い。
焼かれそうなほどの熱が、僕に力を与えてくる。
「はぁ……はぁ……しら、ねぇよ……お前の、じん、せい……」
「……まだそんなこと言うの?」
肺を絞って、ほんの隙間の気道を通らせて声を発する。
それを聞いた名も知らぬ女子は、急に白けたように息を吐いてから、僕をドアから引き剥がし、反対側に放り投げた。
「ゴホッゴホッ、がはっ……」
一気に開いた気道に、ありったけの空気を吸い込む。
床に着地した痛みより、解放されたことの方に安堵を覚えた。
「一体何なの? どれだけアタシを不快にさせれば気が済むわけ?」
冷徹な少女。
しかし、やっぱりそうだ。
彼女は、まだ心からの救済を欲している。
本当にその気がないならあのまま締め殺すことが出来た。それをやめたのが証拠だ。
誰かを殺す、なんて虚しくなるようなものじゃなく、心からの安らぎを本能で求めている。
なら、それこそやっぱり、僕の出番だよな──
「マコト君さぁ、一体何がしたいわけ?」
「……マコトマコトって、気安く呼ぶけどさ──」
首を押さえて、声の調子を確かめる。
大丈夫。問題なく喋れる。言える。
胸に手を当てて、握り締める。さっき綾瀬に触れられていた場所を。
胸の奥の熱を、灯火をはっきりと自覚して、
「今の僕の名前は、六堂理じゃない──」
白銀の火を、胸に灯して、
「僕は、アイン──」
あの時、カナリアがくれた名前。
ヴァンが信頼する名前。
ユースやアフェク、クリス、アドニス、キノ、レラ……あの世界で僕を呼んでくれる名前。
「ゼロの”アイン”なんだ」




