エピソード53 六堂理その5
目が醒めると部屋にいた。
いつの間に部屋で寝ていたんだ、と疑問が残る。だが、それよりも日付が変わっていることに焦りを覚えた。
目覚まし時計が、日曜日の午後一時を差していた。
今日、綾瀬はタケナカとデートをする。
そのことを思い出すと、またも胸が締め付けられた。
早く楽になりたい。
そう願う僕は、急いで出掛ける支度をする。
(私服ってどこに仕舞ってたっけ)
長い間、休日は部屋に篭りっきりだったため、こうして外出することなんて滅多にない。
クローゼットを漁りながら縦長の姿鏡と衣服と交互に睨めっこする。
改めて、自分の容姿を鏡越しで見やる。
癖のない黒髪。平凡な顔立ち。体型は太ってもなく、かと言って痩せ細ってもない。筋肉なんて部活に所属すらしていないから柔らかい。
見慣れた自分の立ち姿に、どこか違和感を覚える。
(こんなに身長高かったか……?)
本当はもっと低かった気がする。
鏡の前で、試しに屈んで視界を低くしてみた。膝辺りの高さぐらいがしっくりくる気分だ。
幼い頃の記憶が蘇ったりしたのだろうか。
「……やべっ」
そうこうしている内に時間がどんどん過ぎていく。
服なんかに悩むことが馬鹿らしくなってくる。僕は適当にパーカーを羽織って部屋を出た。
この近辺で遊べる場所と言えば一つだった。
都市部に向かい、行き交う人混みを避けながら綾瀬の姿を探す。
とは言うものの、高い建物が敷き詰める都市部は案外広い。特定の人物を探すのはそうそう容易いものではなかった。
闇雲に探しても埒が明かないため、若者二人がデートで行きそうな場所を想像して走る。
ファッション系の服屋、カラオケ、ボウリング、ゲーセン、本屋、などなど。
心当たりある場所を隅々まで見回してみたが、それっぽい人物は発見できずにいた。
普段出歩かない為、すぐに息が切れて立ち尽くしてしまう。
時間だけが刻々と過ぎていった。
(何やってんだろ……)
休憩がてら、ビルの壁に背を付けてもたれつつ行き交う人々を眺めた。
空はだんだんと暗雲が立ち込み始め、空気に湿気が帯びていた。今すぐ降るとは限らないが、それも時間の問題だった。
雲行きと人々を交互に見て、思い耽る。
今更、綾瀬に会ったところで何になると言うんだ。
先輩との時間を邪魔して、剰え綾瀬に突き放すようなことを言って、一体何が変わると言うんだ。
そもそも、こうして会うことすら叶わないではないか。
昨日のあの段階ですでに運命は決まったようなものだと、頭の中でギブアップを命じた。
(……帰ろ)
虚しくなり、もたれ掛かった壁から離れて帰路に着こうとする。
その時、視界の端に白銀の髪が揺れた気がした。
「──っ!」
反射的に振り返って、目が彼女の姿を探す。
「すいません、通ります!」
人混みを掻き分け、僕はようやく綾瀬の姿を発見できた。
オシャレなレースが特徴の純白のワンピースを身に纏い、日焼けを考慮したこれまた白いレディース用のハット帽子。
嫌でも目立った。
「あや──」
見つけた喜びが勝り、思わず呼び止めようと手を伸ばしたところでストップがかかる。
彼女の隣には背丈の高い無愛想な男がいたのだ。僕では着こなせないだろうオシャレな服に新品同等の靴。落ち着いた色合いがより大人びて映る。
彼があのタケナカ先輩なのだろう。
容姿をちゃんと見たのは初めてだったが、なるほど。男らしい寡黙なタイプの格好良さが滲み出ていた。
二人が並んで歩く。どこからどう見ても休日にデートを楽しんでいる男女。
僕は伸ばした手を下ろし、二人の後ろを密かに追うことにした。
二人は、とある雑貨店に入っていった。
窓越しに店内の様子を尻目で伺う。二人は何やら談笑しながらネックレスなどを吟味していた。
自分でも馬鹿馬鹿しいと思う。
そもそも二人を付け回してる段階で気持ち悪いし、片想いの女の子が他の男と楽しく過ごしている光景をわざわざ見る必要なんてないはずだ。
どうしてまた自分を傷つけるような真似をするのか。
それでも昨日の影の一言が気になっていた。
綾瀬が笑う度にガラスが引っ掻くような傷を負う。その痛みからの解放が何よりも欲していたからに過ぎなかった。
外で待機していると雨がポツポツと降り出してきた。
風もやや強まり、天気予報通りの嵐がそろそろやって来る。
しかし、ここで引き返す訳にはいかなかった。
僕は、覚悟を決めていた。
「っ!」
突如、店の扉が開いた。
僕は慌ててパーカーを被って顔を隠す。出てきたのが綾瀬だったからだ。
(……一人か?)
奇妙だった。
さっきまで二人一緒だったのに、いつの間に先輩の姿が見えなくなっていた。
綾瀬も彼を探している様子で、小包を片手に店の軒下で周辺を隈なく見渡している。
(ひょっとして、今がチャンスなのか?)
今なら先輩という邪魔もいない。さっさと告げることだけ告げて、立ち去ればいい。
それで全てが完了する。
僕は意を決して踏み出そうとした。途端、綾瀬が軒下から出て走り出した。
「なっ!」
気付かれた?
しかし綾瀬はそんな素振りを見せないまま靴を濡らして道を駆けて行く。
傘も差さずに、だ。
「待ってくれ、綾瀬!」
ああ見えて綾瀬は足が速い。
見失わないようにずっと走るのは得策じゃないと感じた僕は、ついに綾瀬の名前を呼んだ。
「……まこと?」
走りながら、綾瀬は後ろを振り返った。
しかし、僕の姿を一瞥すると目をキッと吊り上げたのち、再び前を向いて走り出してしまう。
(な、何で!?)
それもそうだ。
昨日あれだけの事があったのにも関わらず、平然と顔を合わせるほど綾瀬は図太くはない。
これでは逆に僕が突き放されてしまう。
「ま、待って──」
もう呼び止めるほどの余力はなかった。
もうこうなったら意地だ。意地で綾瀬に追いついてやる。
そう思って、僕は全力で綾瀬の後を追った。
走り出して数分、場所は駅のバス停近くで、ようやくお互いの足が止まる。
綾瀬も僕も、膝に手をつけて肩で呼吸を繰り返す。
僕のなけなしの体力を考慮すると、危うく酸欠になるところである。
「はぁ……はぁ……何で、ついて、きてるの……」
「おまえこそ……何で逃げんの、さ……」
霧雨のように降り出す雨に打たれながら、僕は綾瀬からの質問には答えずに尋ねた。
ふぅ、と綾瀬は早々に呼吸を整えて姿勢を正す。
「……先輩が急に居なくなったから、もう帰っちゃったのかなって思って。今日のお礼言いそびれてたし」
「そんで、駅に……?」
「先輩、電車通学だし」
「それで、ついでに追っかけてくる僕を振り解こうと走ったわけだ」
「……」
「あの場に居なかったら、もう帰ってるだろ」
勝手な推測を押し付け、僕はパーカーを脱いで綾瀬に被せた。
雨が本格的に降り始めてきたからだ。
「綾瀬、帰り方面が逆だろ。これ着てなよ」
「……びしょびしょ」
「うぐっ……またそういう痛いところを突くよな、ホント」
「……ふふっ」
「──なに笑ってんだよ」
気付けばいつも通りに喋っていた。
「だってまこと、足遅いし」
心地のいいやり取り。
「うっせ」
「それに、あの場って何で知ってるのかなぁ? 付け回してたってことなの?」
綾瀬がジト目で疑いを掛けてくる。
「あーもういいだろ、その話は。行こうぜ、もう雨めっちゃ降ってきてるし──」
しかし、時はもう待ってはくれなかった。
照れ隠しとその場の勢いで綾瀬の手を引く。急いで雨宿りできそうなところを探そうとしたところで、駅にいた人たちがざわめき始めていた。
本降りし始めた雨の中、我先にと事の異常を知ろうと躍起になっている。
「なんだアレ……」
「嘘、えっ?」
「やば過ぎだろ」
ざわめく声に導かれるまま、次々と辺りの人たちが見上げる人たちの驚愕の表情に釣られて空を見上げて、固まった。
「まこと、アレ──」
綾瀬も空を見上げて絶句していた。
静かに指差される方向へ、僕も見上げて、唖然とする。
雲が、暗雲が、不自然な渦を巻いていた。
大きな、大きな渦を──




