エピソード52 六堂理その4
その日、綾瀬が一緒に帰ろうとしつこく誘ってきた。
あまりにも懇願するため、目立つのを避けたいと思った僕はその誘いに仕方なく乗った。
「────」
「────」
毎度お馴染みの帰路を通る。その道中には川の土手沿の道路を歩くところがある。
空は相変わらず快晴だったが、季節外れの積乱雲だけが、まだ遠くに居座っていた。天気予報では、近々嵐がやって来るのだという。
この土手沿には基本的に人気が少ない。安全性を考慮して、なるべく誰かと通るように心掛けるよう教師陣から言われていた。
今日は綾瀬と。何だかこうして一緒に帰るのも久しぶりな気がする。
しかし、お互いの雰囲気は最悪だった。互いに何も喋らずに、ただひたすら歩く。
この類の沈黙を、綾瀬は特に嫌う。
以前、銀髪のままだった頃、クラスメイトとの間に距離があった。和気藹々と話す仲良し組の輪に彼女が入ろうとすると、皆こぞって沈黙し、蜘蛛の子散らして去ってゆく。
まだ道徳が育ち切っていない子供たちの間ならよくある話だ。自分たちと違う容姿、雰囲気、髪の色に違和感を覚え、静かに排除しようとする。
これが、綾瀬が黒髪に染めた原因であり、経緯である。
ただ、黒髪に染めてからは順調だった。
髪の色を同じにしただけなのに、友達が次々とできて、瞬く間にクラスの中心人物へと昇華した。
それからは髪を染めることに、やや神経質なぐらい気を配るようになった。
だが今の彼女は、また違う。
煌めく白銀の髪が、眩しい。
「──ねぇ」
痺れを切らして、綾瀬が話しかけてきた。
「最近、避けてるよね?」
「……何が?」
「トボけないでよ」
「…………」
綾瀬は困ったように笑った。
今日の彼女はずっと眉が下がっている。
特に答えるつもりがない僕は、そのまま黙って聞いていると綾瀬は続けた。
「私、何か気に障ることしちゃったかな……?」
「…………」
「ちゃんと言って欲しいな。じゃなきゃ、謝りようがないよ……」
「何を謝るって言うんだ」
「それを聞いてるんだよ?」
「…………」
綾瀬は無理に作った笑みをやめ、困惑の表情で訴えかけてくる。
「今のまこと、昔のみんなみたい……覚えてる? 小学生の時、クラスのみんなが私を嫌ってた、あの頃」
僕は沈黙を貫く。
心の底で、困っている彼女を見て、喜んでいる自分がいた。
今まで苦しい思いをしたんだ。その気持ちを少しでも味わえって言っているような気がして、尚更自分に吐き気がした。
「そうだ! 明日の休日なんだけど──」
綾瀬はわざとらしく手を叩いて話題を切り替えた。今度はご機嫌取りのように満面の笑みを浮かべる仕草に苛立ちを覚えたが、反面、少し期待した。
遊びにでも誘ってくれるのだろうか。
そんな淡い期待が過った。
しかし、
「先輩と一緒に買い物する予定なの! ホントは内緒にしたかったんだけど、そこでまことの──」
胸に、最後の冷や水が注ぎ込まれた。
ああ、やっぱり。と期待を裏切られ、落胆すると同時に、塞き止めていたダムが決壊した。
「やめろよ」
話を最後まで聞く前に、歩く足を止めてから、そう短く遮った。
「──えっ」
綾瀬が何言われたか理解できない表情で振り返る。
「もうさ、こうやって一緒に帰るの、やめよう。学校で会うのも」
心に溜まった冷や水が黒い感情となって止めどなく溢れてくる。
こうなったら、もう止められない。
「な、なんで? なんでそうなるの?」
綾瀬が隠し切れないほど動揺していた。
何をそんなに驚く必要があるのか理解できなかったが、構うもんか、と言わんばかりに口が勝手に動く。
「僕みたいなのがさ、烏滸がましいんだよ。綾瀬みたいな人気者と一緒に居るなんてさ」
「そんなことない、そんなことないよ!」
自分を卑屈に嗤う。そんな僕の姿を見て、綾瀬が憤慨したように声を張り上げた。
「私はいつだってまことに助けられてるよ? 独りぼっちだった私にいつも一緒に居てくれたの、嬉しかったんだよ? だからそんな寂しいこと言わないで……」
「だったらさ、今度からタケナカ先輩に頼ればいいだろ」
やめろ。
「先輩カッコいいよな。憧れるのも分かる。聞くと優しいし、面倒見いいし、何でも相談すればいいじゃん。僕なんかよりよっぽど頼りになるしさ」
「それはちがっ──」
「それにさ、綾瀬が僕に構うのって正直おかしいだろ。だいたい住む世界が違うっていうか。なんで何の変哲もない僕に付き纏ってくるのか疑問だったんだけど、ようやく分かったよ──」
今、綾瀬がどんな顔をしているか分からない。視線を泳がせ、目を合わせないようにしていたからだ。
やめろ。やめてくれ。そんな事が言いたいんじゃない。
引き攣った笑みが、これでもかってぐらい卑劣で矮小な笑みが、内から湧き出る黒い感情をぶちまけてしまう。
「綾瀬さ、僕のこと、自分を引き立てる道具として見てたんだろ?」
パシッ──
頬に鋭い痛みが走った。視界がややブレる。
何が起きたか自分の頬に触れて、ようやく気付いた。綾瀬が叩いたのだ。
正面を向くと、彼女が目の端に涙を浮かべていた。
「ひ、ひどいよ……」
それだけ告げて、綾瀬は逃げるように背を向いて走り去って行った。叩いたであろう手を強く胸で抱き締めながら。
途端に独りきりになった。彼女の背中を眺めながら、叩かれた頬を手で覆いながら、呆然と立ち尽くす。
さっき吐いた言葉を思い返す。
つい此間、綾瀬のことを自分の道具だと図星を突かれて怒っていたはずなのに、それも棚に上げて、あんなことを綾瀬に言ったのか──
「……最低、だよな」
自分が情けない。
綾瀬はただ親切で僕と関わっていたに過ぎない。そこに邪な思惑はなく、ただ等しく接してくれただけだ。
なのに、だ。
さっきの最低極まりない言葉を放ってから、胸のざわめきが収まっていることに気付いてしまった。こんなことで胸の奥がスッとするなんて、今度は理性が許さない。
己が恥ずかしい。
この恥は、覆い隠したいとかそういう生半可なものじゃなかった。自分を絞め殺したい。こんな最低な奴、生きてるだけ迷惑だ。
そんな気持ちでいっぱいになった。
綾瀬に好きな人が出来た。本来なら祝福すべきはずなのに、些細な苛立ちで、こうして半ば口論と発展してしまう。
蛙の子は蛙なのだと、心底自分に呆れ果てた。
「あーあ、死にてぇ」
空を仰いで溜息混じりに呟く。何もない頭上の青空が虚しさを語っていた。
始まってすらいない恋が、とうとう破局を迎えた。それだけの話だった。
気付けば、また誰もいない夕暮れの教室にいた。
わざわざ引き返したのか、自分の記憶が朧げだった。
「いッ……」
さっきから頭痛が鳴り止まない。
脈打つような痛みが、顳顬に悲鳴をあげさせていた。
『あっはっはっは!』
突如、耳障りな笑い声が響く。
もちろん周りには誰もいない。人の気配すら感じない。
『いやー、傑作傑作。アンタもなかなか言うじゃない?』
以前に見覚えのある影が揺らめいて現れた。
輪郭はハッキリとしないが、他人を貶めるような笑みを浮かべているのが容易に想像できる。
「────」
『あらら、ダンマリ決めちゃって。本当にショック受けちゃったみたいね』
もはや警戒するとかいう以前の問題だった。
胸の奥が空っぽになった今、僕は何もかも煩わしいと感じていた。
ただ何か訴えてくるような頭痛だけが、思考を止めたいと願う僕を無理に叩き起こす。
「お前が、この、頭痛の原因なの、か……?」
痛みに堪えながら影に問いかける。
影は少し思案するような仕草をして、
『頭痛? そんな効力ないと思うけど?』
と答えた。
効力? と疑問が浮かぶが、それを口にする前に影が付き加えた。
『ま、頭痛するほど思い悩んでるってことでしょ』
気軽に肩を竦めて嘲笑う。
ああ、そうかもしれない。この頭痛はきっと、理性から来るものだと自分で納得させた。
暴れる心の次は、戒めとして理性が頭痛を与えてくる。
もう、うんざりだった。何もかも解放されたかった。
『楽になりたい? でもまだダーメ』
影が人差し指を揺らして続ける。
『アンタはまだやるべき事が残ってるの』
「やるべき、こと……?」
『そう。アンタは明日、綾瀬って子に会って言わなきゃならない言葉が残ってるわけ。それを最後に、アンタは永遠に何も感じない世界に堕ちる』
影の説明を耳にしながら綾瀬の話していた内容を振り返る。
休日で、先輩と、出掛ける約束。綾瀬は確かにそう言っていた。
何でわざわざ綾瀬に会わなきゃならないのだと、億劫になる。
今更会ったところで、なんて声を掛ければいいのだ。
そんな僕の思考を読み取ってか、影はクスクスと笑いながら答える。
『簡単よ。お前なんてだ〜いっ嫌い! って突き放せばいいの。それでアンタは晴れてアタシたちの仲間入り。”無感動”を得られるの』
「むかん、どう?」
『ええ、そう。胸の痛みも、頭の痛みも、心があるから痛いの。焦りや不安、怒りや嫉妬だって、心があるから醜いの。だからそれさえ失くせば、アンタは穏やかに安らげる日々が待ってるわ』
それは悪魔の囁きだった。
今の僕にとって、とてつもない魅力を感じさせる提案。代わりに、心を失くせと申している。
この痛みが取り除かれるなら、こんな醜い自分からオサラバできるのであれば、心など惜しくないとすら思える。
ただ、条件付き。明日、綾瀬に会う必要があるのだと影はもう一度念押しした。
『やるもやらないもアンタ次第だけど、もうあんまり時間がないからね。よーく考えて実行してね?』
それを最後に、影は高笑いをしながら霧散していった。ちょうど、学校の下校時刻を合図するチャイムが鳴り響く。
誰もいない教室に戻ったのに、頭痛はまだ鳴り止まない。
僕はついに、痛みに耐え切れなくなって、倒れてしまった。
もう少しでこの陰鬱な下りは終わります…もう少しお付き合いください!




