エピソード49 六堂理その1
「今日は体育で田村さんが──」
帰り道、綾瀬は今日あった話を自慢気に話してくる。これが僕らの日課となっていた。
クラスが違うから彼女の話す出来事はいつも新鮮で、所構わず躍動する彼女の姿が自然と目に浮かぶ。
何がそんなに楽しいのかと疑問に思う日もあるが、彼女にとっては毎日がキラキラしているのだろう。
その一欠片をこうして耳にしているだけで、僕の心も穏やかになる。
歩道橋を渡る途中で綾瀬の髪が夕暮れの日差しで煌めく。
黒髪なのに所々光る宝石のような輝きには、理由がある。
「髪、また伸びたな」
「うん。また黒に染め直さないと」
「ウチ、校則厳しいもんな」
「先生たちは別に地毛のままで良いって言われるんだけどね」
綾瀬は元々銀髪だった。
父からの遺伝だろう。しかし日本で銀髪はやや目立つ。
学校側も自由と尊重の意思を彼女に伝えているものの、こうして黒に染めてるのは彼女自身の意思だ。
それでも髪の量が多いから染め切れなかった所や生え際は黒に染めてる分、夜に煌めく星のように目を惹く。
「白髪みたいでヤなんだよね〜」
「いっそのこと、地毛に戻せば?」
「それはそれで何かみんなと距離作っちゃうからヤっ」
拗ねたように答える綾瀬。
友達百人を地でゆくような性格がそうさせているのか、うまくクラスに馴染むための努力は欠かさない。
”馴染む”と言うより、いかに”敵を作らないか”に重きを置いている感じがする。彼女も彼女で苦労が絶えないのだろうと推測した。
「僕は銀髪の綾瀬もいいと思うけど」
彼女の長い髪が白銀一色だった頃を、僕は知っている。
小学生低学年の頃まではそれはもう綺麗な白銀だった。伊達に幼馴染みをやってない。
白銀──
その単語を思い浮かべて、反芻する。
どこかで見た気がするのだ。とても最近、とても身近に……
「──まことは、銀髪がいいの?」
「えっ、なんて? ゴメン考え事してた」
綾瀬が小さな独り言を呟いた。頬が夕焼けのせいか赤く見える。
その声は耳に届かず、思わず聞き逃した。
急いで確かめようと聞き返すが、彼女は「なにもっ!」と言ってソッポを向いてしまった。
こう言う時、機嫌の良し悪しが分かりやすく態度に現れる女子っていうのもまた珍しい。
「────」
「────」
話題が尽きかける頃合いになると、お互い黙って帰路を歩く。
いつも彼女の方から一方的に話題を振ってくるため、コミュニティを得意としない僕にとっては非常に楽だった。だが話すことも尽きれば、こうして沈黙が流れる。
しかし決して重々しい雰囲気とかではなく、ましてや苦痛でもなかった。
綾瀬にとって、誰かと居る時の沈黙は何よりも避けたいと思っていることは承知だ。
いつも隣に誰かがいる彼女は、常に自分から話題を振る。それが学校の時の綾瀬ひかり。
なら今は?
長年の付き合いで成り立っている信頼の証とでも言うべきだろうか。今のところ唯一、僕だけが隣にいても沈黙が許されている存在だと認識されているに他ならない。
それが何より特別扱いされているのだと思わせてくれた。何というか、誇らしい気持ちになる。
肩を並べて歩く僕たちの間には、何も隔てるものがない。だが、離れることもなければ互いに近寄ることもない平行線。ただただ、穏やかな時間だけが過ぎてゆく──
時がこのまま止まってしまえばいいとすら思った。
「じゃあ、私はこっちだから」
「うん、じゃあ」
だけど永遠なんて都合のいいものはなく、一つの別れ道でお互いに手を振り合う。
都市部と学校の間にある住宅街に僕の家がある。対して綾瀬の家は都市部へと続いている。
昔はお隣さんだったのだが、綾瀬パパの都合で引っ越してしまった。
今でこそ離れ離れになってしまったが、また都合が合えば戻ってくる可能性を考慮して、綾瀬の家だった豪邸は現在空き家となっている。
僕は自宅へと足を向けた時、後ろから声が掛かった。
「まこと! また明日!」
振り返ると、彼女が仰々しく腕を振って別れを告げていた。
その言葉が、仕草が、飛び跳ねるほど嬉しく思い、
「また明日」
と昂る感情を抑え、努めて平然と応えた。
しかし、引き続く帰り道の間は足が重たく、綾瀬との会話を思い返しながらゆっくりと帰宅した。
家に居るのは、正直嫌いだった。
別段、特にうるさく言われることはないのだが、僕の父と母が互いの顔を合わすと決まって口論になるからだ。
母、六堂恵美。主婦。最近シワが増えた気がする。
父、六堂総一郎。サラリーマン。最近は宅飲みが減った代わりに外食で晩飯を済ませることが増えた。
二人が結婚して二十年。いい歳して痴話喧嘩、と思いきやガチの口論だから困る。
毎夜毎夜、些細なことから怒号が飛び交う二人の間に割って入って仲裁する技量が、僕にはない。
だから帰宅したらすぐに部屋に篭り、小遣いで買った高級ヘッドホンを耳に当ててゲームをする。
二人の声が耳に入らないように。ドス黒い感情の渦が、領海侵犯しないように。耳に蓋をする。目は娯楽に向けて集中させる。口は固く閉じる。
これが今のところ僕の中での最善策だった。見ざる聞かざる言わざるの三猿の如く、無関心を貫く。
中学生、反抗期真っ只中だった頃、我慢できずに怒鳴り込んでみたものの、見事に返り討ちに遭ってから大人しくしようと心に誓ったのだ。
藪を突かなければヘビは出てこない。ヘビが出てこなければこの身はひとまず安全なのだ。
たとえ藪の中のヘビが溢れんばかりに増えようとも──
その日も、相変わらず深夜まで口論が続いた様子で、僕も気付けば寝落ちていた。
眠気が治らないまま学校へ向かい、足りない睡眠は居眠りでカバー。成績が落ちれば、それを火種に両親はまた口論を繰り広げるだろう。
負のスパイラルが完成。
僕にとって輝かしい学校生活は、綾瀬と過ごす瞬きほどの時間だけ。
実につまらない灰色の人生だと、改めて思った。




